少年プリズン

まさみ

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百四十四話

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 「……そうかよ」
 カチッ、と軽い音がした。
 何だかすぐにわかった、ライターを押し込む音だ。何をされるかわかった。シーツを蹴って逃れようとしたら背中に鈍い衝撃、金属音。
 ベッドの背格子に衝突して追い詰められた俺の頭上に巨大な影が覆い被さる。ジジジジ、と煙草の先端が爆ぜる音に喉がひきつる。
 煙草の先端からこぼれた灰がシーツに焦げ穴でも開けたのだろうか、焦げ臭い匂いがあたりにたちこめてる。逃げようにも逃げられない、目隠しされたままじゃどこに逃げたらいいかもわからない。無造作に上着をはだけられ素肌が外気に晒されるひやりとした感触に身が竦む。
 背格子に沿って距離をとってるうちに片腕を掴まれ力づくで引き寄せられ、そして。
 「!!!!!!!」
 背骨が折れそうなほどに仰け反る。左の鎖骨を貫通する灼熱感に目が眩み体中から脂汗が噴き出す。熱い、死ぬほど熱い。
 「ああっ、あっ、ふ、」
 息ができない。真っ赤に焼けた煙草の先端を抉りこむように鎖骨に押し付けられたのだ。汗でぐっしょり湿ったハンカチが目にへばりついて気持悪い。背格子にしがみついて熱が引くまでひたすら耐える、激痛が消え去るのを待つ。大丈夫、痛いのはいつまでも続かない、息を殺して待ってればいつかは終わる―……
 痛みが引かないうちに二度目が来た。鎖骨の激痛が沈静化してないのに今度は脇腹に。脇腹、ガキの頃に押し付けられた煙草の痕の上に。タジマの奴、全くいい性格してやがる。古傷を抉るってこういう事を言うのか、と痛みに麻痺した頭で朦朧と考える。それでも悲鳴はあげなかった、声をだしたら負けだ、負け―……

 『面白いでしょうその子。声あげないのよ』
 『可愛げないでしょうその子。泣きもしないのよ』 

 違うよお袋、俺は泣かなかったんじゃない、泣き声をあげなかっただけだ。あんたは何を見てたんだ、鼻水と涙とヨダレで顔をべとべとに汚してぐったり床に横たわってた俺の姿が目に入らなかったって言うのかよ。
 目を閉じても暗闇、目を開けても暗闇。
 真っ暗だ、何も見えない、気が変になる。もがいてももがいても堕ちてくだけでこの暗闇に終わりはない、自分で何とかしなけりゃだれも助けちゃくれない。耐えろ、とにかく耐えるんだ、我慢してればいつかは終わる、いつかは飽きてやめてくれる。早く早くお願いだから早く煙草をはなしてくれ、いい加減にしてくれないと吐いちまう、自分の肉が焦げてく臭気が鼻腔に充満して盛大に戻しちまう。ああ、でも大丈夫か、昨日から何も食ってないからどうせ胃液しか出てこないか。
 一回、二回。タジマは「しめて三回」だと予告した。
 最後はどこだ?
 ……だめだ、意識が保たない。頭も体もぐらぐらする。三半規管がおかしくなって平衡感覚が維持できずに体が傾いでく、背格子に背中を預けるように体をもたせかければベッドに横倒れる寸前に片腕を掴まれ引き戻される。
 「寝るなよ。寝たらつまんねえだろ」
 意識を失いかけたそばから頬を叩かれて強制的に目覚めさせられる。もう瞼を持ち上げる気力もない。息、喉に息の塊がひっかかって上手く呼吸できない。馬鹿な、呼吸の仕方を忘れちまったのか?魚じゃあるまいし。軽く咳き込んで息の通り道を確保、咳き込んだ拍子に抉るような激痛が脇腹に走り、鎖骨からは生々しく焦げ臭い臭気が立ちのぼる。まだ、まだ終わりじゃない。しっかりしろ、あと一回どうにか我慢しろ……
 汗でぐっしょり湿った前髪をかきあげられる。タジマの視線を顔に感じる。口を閉じろ、犬みたいに息を喘がせるな。……駄目だ。痛すぎて熱すぎて呼吸が浅くなる、肩で息をしながらぐったりとベッドに横たわる。熱い、体中が火照って肌が敏感になってる。男に犯されてる最中の鍵屋崎もこんな気持ちだったのか?……思考がまとまらない。早く早く終わってくれ、もうこんなこと終わりにしてくれ。いくら俺が痛みに慣れてても痛いもんは痛いんだ、怖いもんは怖いんだ。これ以上焦らされたら頭が変になっちまう、精神が崩壊しちまう。
 今タジマに泣いて頼めば許してくれるならそうする、土下座でもなんでもする。生きながら焼かれる苦痛から逃れるためならなんでもする……
 タジマが体勢を変えたらしくスプリングが耳障りに軋む。
 「お前、今の自分がどんな恰好してるかわかるか?」
 耳元で囁いた声には興奮の色。ズボンの太腿に擦りつけられたのは固く勃起した股間。
 「目隠しされたままシーツ掻き毟って喘いで滅茶苦茶いやらしいぞ。ほら、下さわってみりゃわかるだろ?お前がだしたもんでシーツがぐっしょりぬれてるじゃねえか」
 「変な言い方すんなよ、汗だろただの……」
 「まだ減らず口きけんのか、上等だ」
 暗闇の帳越しにタジマがほくそえむ気配がし、ジジジと煙草が短くなってく音が鼓膜をくすぐる。その瞬間にわかってしまった、次にどこに煙草を押し付けられるか。右手をとられ、掲げられる。ゆっくりと焦らすように、右手の表皮に熱源が近付いてくる。
 昨日できたばかりの火傷を二度焼きしようとしてる。
 冗談じゃない、まだ治ってもいない火傷を昨日の今日で抉られるなんて考えだけで発狂しそうだ。
 暗闇の向こうからだんだん音が近付いてくる。ジジジジジ、と煙草の穂先が短くなってゆく音。
 『恨抱謙……』
 ごめんなさい、とかすれた声を絞り出す。鼓動が暴れて心臓が爆発しそうだ。恐怖で頭がおかしくなる一歩手前に追い詰められ、催眠術でもかけられたように口が勝手に動く。
 『不要這様、』 
 暗い、暗くて何も見えない、タジマがどこにいるかもわからない。もう許してくれ、解放してくれ、お願いだから手を放してくれ。
 「ここは日本だ。日本語で言え」
 タジマの揶揄が耳朶にふれ、煙草の先端からこぼれ落ちた灰が右手の甲に降り注ぎ、その瞬間頭が真っ白になった。奇声を発して手を振り回せばタジマがひっくり返ったらしくベッドに震動が伝わる。
 今だ!
 目隠しをずらしてベッドから飛び下り床を蹴り半端に開いた扉めがけて走る、ベッドが斜めに傾いで扉を塞いでるせいですぐに開かない。くそ、早く開けよこの馬鹿!愚図愚図してるあいだに後ろから襟首を掴んで引き戻される、後頭部で結ばれたハンカチが中途半端に顔にひっかかった間抜け面で振り向けばタジマの笑顔が視界一杯を占め、
 横っ面に激痛。おもいきり頬を張られてベッドに背中から投げ出される。俺の上にのしかかったタジマがくわえ煙草のまま顔を近づけてきたせいで顔面に煙草の灰が落ちて口に入る。
 「賭けは俺の勝ちだな。ご褒美くれや、ロン」
 タジマが腰を使って動いてる昼間に見る悪夢みたいな光景に急速に現実感が薄れてく。俺の首から胸から腹から下半身へと手を移動させて舌を使って素肌に唾液の筋をつけてくタジマからもはや逃れる術もなく、せめてこれから先起こることを見ないですむように固く固く目を閉じれば瞼の裏に浮かぶのはいつでも余裕ぶっこいたレイジのくそ憎らしいツラ。
 『あとはお前次第だ。ピンチになったら名前を呼べ、速攻助けにきてやるよ』
 本当に、呼べば助けにきてくれるのか?
 俺はまた裏切られるんじゃないか?
 「!!あっ、んっ、く」 
 鋭い性感が走る。殆ど上着をめくりあげられて外気に晒された胸板を分厚い舌が這っている、唾液にまみれたタジマの舌が発情したなめくじめいた動きで這いずりまわってる。
 「女みたいにかわいい声だすじゃねえか、淫売」
 違う、こんなの嘘だ、絶対嘘だ。俺がこんな声だすはずない、よりにもよってタジマなんかに舐められてこんないやらしい声出すはずない。だって、今のはまるで……
 お袋?
 なんで?俺はあんたみたいにだけは絶対なりたくなくて家を出てきたってのに、なんでこんな声で喘いでるんだよ。タジマなんか殺したいほど憎くて憎くてたまらないのに何でこんな声だしてるんだよ、こんな、まるで感じてるみたいな声……
 淫売の血は争えないってか?
 笑いたくなる。泣きたくなる。どっちともつかない表情が顔に浮かぶ。今からタジマにヤられるしかねえのか?いやだ、絶対にいやだ。でも今の俺じゃ手も足もでねえ、なんでだよ畜生、あれからもう二年も経って俺は強くなったのに、なんで腹の上でヨダレたらしてさかってる屑ひとりどかすこともできねえんだよ。
 俺を押さえこんだタジマがベルトを緩めて前を寛げる、顔を背けようとしたら前髪を掴んで正面に固定されズボンを一気に引き下げられる、当然下着と一緒に。素っ裸の下肢を軽々持ち上げられタジマの目が精力的にぎらついて脂にぎとついた醜い顔が笑み崩れて、
 いやだ。
 怖い厭だ怖い、許してくれ頼む許してくれ、台湾語で謝罪の言葉を繰り返してもタジマには通じない。厭だ、男にヤられるのなんかやだ、この六日間通気口から聞こえてた絶叫が次の瞬間には俺の喉を引き裂いて漏れてくる、いやだ、だれかだれか助けてくれ― 




 お袋。
 母さん。



 レイジ。
 レイジレイジレイジ、
 『頑張ったな』
 俺の頑張りを誉めてくれた。
 『いいんじゃねえの?ロンの不器用なとこ結構好きだぜ、俺』
 笑いかけてくれた。
 『おまえが俺の顔見たくなくても俺はおまえの顔が見たいんだよ、いやなら力づくでこじ開けるぜ』
 顔を見にきてくれた。
 『あとはお前次第だ。ピンチになったら名前を呼べ、速攻助けにきてやるよ』
 必ず助けにくると約束してくれた。
 本当に、信じていいのか?扉をぶち破ってとんできてくれるのか?
 もう裏切られるのはいやだ、がっかりするのはたくさんだ、でも信じたいんだ、最後の最後まで「もしかしたら」って信じさせてほしいんだ。だから―……

 ―「さっさと助けにきやがれ、レイジ!!」―

 絶叫。
 俺の喉から迸ったんじゃない―……俺の上、素っ裸の腰に跨ったタジマが片目を押さえて絶叫してる。海老反りに反って床に転落したタジマを呆然と見下ろし、ベッドに肘をついて上体を起こす。
 何?俺が目を瞑ってるあいだに何があったんだ?
 床では手で片目を覆ったタジマが壮絶な悲鳴をまきちらして悶絶してる、その傍らに転がってるのはどっかで見たことある麻雀牌。
 俺の牌だ。
 いつだったか、ブラックワーク配属が決定した俺がヤケになって房にぶちまけたままにしてきた牌がタジマの横に落っこちてる。どっから飛んできたのだろうと不審がりつつあたりを見回せば扉の方から物音が。背格子にもたれて上体を起こしかけて扉に向き直れば、今まさに僅かな隙間に手がかかり、細腕からは想像もできない馬鹿力で無理矢理にこじ開けられる。
 扉の下方から突っ込まれた長い足が無造作にベッドを蹴りどかし、人一人分何とか入りこめる隙間を作る。
 そして、中途半端に開いた扉から悠々と足を踏み入れたのは。
 「言ったろ?射撃の腕前は百発百中だって」
 銃を真似た指にゴムをひっかけ、いつもは襟足で結んでる茶髪を肩に流したレイジだった。
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