少年プリズン

まさみ

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百四十五話

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 情けない話、レイジの顔を見て腰が抜けるほど安心した。
 脱力してベッドに尻が沈みこんでく感覚。間抜けな恰好で床にひっくりかえったタジマから背格子にもたれて荒い息を吐いてる俺へとゆっくり視線をすべらしたレイジと目が合う。硝子めいて色素の薄い茶色の目に覗きこまれた瞬間、レイジの瞳に映った自分がどんなみじめで恥ずかしい恰好をしてるか思い知らされる。 
 視界の下半分が翳ってるのは鼻梁にずり落ちたハンカチが中途半端に顔にひっかかてるせいで、何度もタジマに掴まれて引き戻された襟刳りは伸びきって大胆に鎖骨が露出し、鎖骨の上には生々しく灰をこびりつかせた黒ずんだ痣が今だ焦げ臭い臭気をたちのぼらせてる。赤裸々にめくれあがった上着の裾から垣間見える脇腹にも高熱の灰が付着した丸い火傷がある。均衡を失って転落しないよう背格子に乗せた手の甲にもこまかな灰を散りばめた火傷があった。

 何をされたか、一目瞭然だ。

 「…………」
 レイジの顔がまともに見れずに下を向けばズボンが膝に絡んだ下半身が目にとびこんできて羞恥に体が火照る。下唇をきつく噛んでズボンに巻き込まれた下着と一緒に引き上げる。みっともねえ、こんな恰好レイジに見せたくなかった。だからぎりぎりまで我慢したんだ、助けを呼ぶのを。こんな、目隠しされて殆ど抵抗できなくてタジマのされるがままに煙草の火で炙られて……
 本当に、情けねえ。男のくせに、自分の身ひとつ守れないなんて。
 レイジがじっとこっちを見てるのがわかるのに顔が上げられない。

 ふと、全く唐突にレイジが動き出す。

 床に転落したタジマはパチンコで狙いすまして強打された片目を押さえて悶絶していたが、レイジの接近に本能的な危機感を感じ取ったんだろう。手で片目を覆ったまま「ひっ、」と声にならない悲鳴をあげ、足で床を掻くように尻であとじさる。レイジの歩き方には野生の品がある。今まさに狩りに赴かんとする猫科の肉食獣を彷彿とさせるしなやかで隙のない身のこなしは捕食者の余裕を漂わせ、ただ足を交互に繰り出してるだけだってのに筋金の筋肉と強靭なバネとが連動した生き生きした躍動感が満ちている。右手指にひっかけたゴムをくるくる回しながら、無造作ともいえる大股でタジマに歩み寄ったレイジがふと視線を落とす。タジマの足もとに落ちてるのはさっきまで俺の体を焼いてた煙草。まだ火が生きてるらしく、ジジジジと音を発してる煙草をひょいと拾い上げる。流れるように洗練された動作で腰を折った次の瞬間には持ち前の手癖の悪さで指と指の間に煙草を掠め取り、おもむろに口をつける。

 『間接キスだ』
 いつだったかレイジが冗談めかして口にした台詞が、はまりすぎて映画のワンシーンのように現実感の薄い光景に重なる。

 慣れた手つきで煙草をくわえ、紫煙を吐く。並の男がやりゃ気障ったらしく鼻につく動作がレイジにはおそろしく馴染んでてちっとも不自然には感じられなかった。
 酷薄な笑みが似合う唇に煙草を挟んだレイジが低く呟く。
 「まじい煙草。日本製か」
 紫煙を燻らせながらレイジがにっこりと笑いかけた先には腰を抜かしたタジマがへたりこんでいた。鬱血した瞼を押さえ、無事な目を怒りに充血させてレイジを睨み付けているが、一瞬で形勢逆転されたタジマの虚勢を蹴散らすのは王様にとっちゃ造作もないことだった。タジマの正面に屈みこんで視線の高さを釣り合わせ、フレンドリーに話し掛ける。
 「タジマさん、ロンに何したか聞いていい?」
 親しみやすさ全開でにっこりと笑いかけているのに、その目はひどく醒めていた。殺意の氷塊を沈めた双眸で覗きこまれたタジマの顔が急速に青ざめてゆく。青黒く腫れた瞼を押さえ、ごくりと生唾を飲み下したタジマから望む反応が引き出せないと悟るや否や興味をなくして作戦を変える。
 「ああいいや、言わなくても。見ればわかるよ、灰皿代わりにしたんだよな」
 レイジの声はひどく淡々と落ち着き払っていたが、注意してよく聞けばおそろしく物騒で不安定な振幅があった。手首にさげたゴムで手際よく髪をひとつに結ったレイジがくわえ煙草でタジマを見つめる。
 襟足で一本に髪を結い終え、ゆっくりと両手を脇に下げる。
 「『俺の』ロンを灰皿代わりにしたんだよな」
 所有格を強調し、口から煙草を放す。レイジは完全にキレていた。理性を振り切った笑顔の内側から獰猛な本性を晒し始めたレイジが斜め下の挑発的な角度でタジマを覗きこむ。
 「俺の断りもなく俺の見てないところで俺のロンに手を出したんだよな。ロンの上着めくりあげて鎖骨と脇腹と右手の甲にじゅっと煙草を押し付けたんだよな。あははわかるよタジマさん、ロンの泣き顔おもわず勃起しそうなくらいかわいいもんな。ついイタズラ心出して泣かせてみたくなるもんな。下脱がされてたのはアレか、売春班の業務に就かせるまえに味見しようとしてたのか。タジマさんさ、知ってる?そういうの職権濫用っていうんだぜ。まあ賄賂と汚職に浸かりきったここの看守にんなこと言っても始まらねーけどさ」
 殆ど息継ぎもせず、饒舌にまくしたてたレイジの目が狂気を帯びて爛々と輝きだす。それまでレイジに気圧される一方で壁際に追い詰められたタジマが腰の警棒に手をかけて反撃に転じる、自分には警棒という心強い味方がいることに、ひいては主任看守の地位という最強の後ろ盾があることにレイジの指摘で思い至ったのだろう。
 「……看守に説教たあ何様のつもりだレイジ?たかが囚人風情がずいぶんとお偉くなったもんだな、おい。何勘違いしてるんだか知らねえが俺は一週間も売春拒否ったクソガキにきっついお灸据えに来ただけだ、あいつがやったこと考えれば当然の処置だろうが。あいつが駄々こねてひきこもってたせいで他の連中はシャワーも使えず迷惑してたんだ、いわば俺は代理人だな、こいつひとりのせいで多大なる迷惑被ってた売春班のガキどものぶんまでたっぷり思い知らせにきてやったんだよ」
 青黒く鬱血した瞼を押さえたままタジマがねっとりと笑う。
 「体にな」
 レイジの背後に位置したベッド、背格子に凭れ掛かってる俺へと視線を転じたタジマが懲りずに舌なめずりする。ケツを揉みほぐされる猥褻な感触がまざまざとよみがえりぞくりと悪寒が走った。間一髪レイジがとびこんでこなけりゃ俺は確実にタジマにヤられてただろう。
 背格子を掴み、反射的に身を竦ませた俺に性懲りもなく嗜虐心が疼きだしたタジマが下卑た哄笑をあげて追い討ちをかける。
 「それにな、俺が無理矢理こじ開けたんじゃねえぜ。ロンの方からドア開けて迎え入れてくれたんだよ。はは、傑作だったなあ!廊下に置き去りにされた好物に目が眩んでヨダレたらしてとびだしてきた意地汚さ全開のコイツの顔ときたら、もう見るからに育ちの悪さが現れてたぜ。自分からドア開いちまったんならついでに股も開いちまえよ、他の連中は一週間もまえにドアも股も開いてるぜ。ダチの鍵屋崎だってそうだ、アイツは素直だったぜ。ヤってる最中に妹の名前呼ばせたのが相当効いたんだろうな、あれ以降逆らう気力もなくして何でも言うこと聞いてくれたよ。ああそうか、お前にもそうしてやりゃよかったか?どうせレイジとできてんだろう、俺にヤられてる最中にレイジの名前でも呼ばせてやったらおもしろ……」
 「おもしろくねーよ」
 ゲスな勘繰りをさえぎったのはレイジの冷えた声。
 のべつまくなしにタジマが喋ってる間中不気味に沈黙して蚊帳の外におかれてたレイジが笑顔のままに立ち上がる。
 「おもしろいのはあんただけだ。俺はちっとも面白くねえ」
 壁に片手をつき、タジマを見下ろす姿勢で覗きこんだレイジが裸電球を背に顔を翳らせて笑う。指に挟んだ煙草の灰がこまかに顔に降り注いでタジマがぎょっと仰け反ったのにもお構いなしに抑揚なく続ける。
 「『汝、姦淫するなかれ』」
 「あん?」
 「我は汝の神なり。我のほか、なにものをも神とすべからず。汝、偶像を造り、これを拝みこれに仕うべからず。汝の神の名をみだりに唱うべからず。安息日を心に留め、これを聖別せよ。汝の父母を敬うべし。汝、殺すなかれ。汝、姦淫するなかれ。汝、盗むなかれ。汝、隣人に対して偽証することなかれ。汝、隣人の家を欲することなかれ」
 あっけにとられたタジマを前にすらすらとレイジが暗唱してみせたのは……聖書の台詞。俺は読んだことないけど汝うんぬんの妙に堅苦しい言い回しが聖書の特徴だってことくらいは知ってる。
 「聞いたことぐらいあんだろ?モーゼの十戒だ」
 よどみなく十戒を暗唱してみせたレイジが壁に手をついたままの前傾姿勢でタジマを覗き込む。
 「汝姦淫するなかれは十戒のひとつでいちばん有名な言葉。まあ、俺の場合『汝の神の名をみだりに唱うべからず』の時点で早くもつまずいてるしほかにも数々のNGワードがあるんだけどね。まず盗むなかれでアウト、殺すなかれもアウト、姦淫するなかれは言わずもがな。親も敬ってねえし安息日も関係ねえし他人の物欲しがるし隣人にも嘘つくし……こんな調子で禁忌犯しまくってるから神様に嫌われて当たり前なんだけどさ」
 乾いた声で笑ったレイジがスッと笑顔を引っ込める。
 「聖書を例にとるよかハムラビ法典のがタジマさんにはわかりやすいか」 
 
 絶叫。

 タジマが片時もはなさず目を押さえてた手の甲から煙が上がってる。肉が焦げる匂いが部屋に充満して吐き気を催せば、視線の先、壁際にタジマを追い詰めて退路を断ったレイジが薄らと笑っていた。
 壁に肘をつき、気だるげによりかかったレイジが手にした煙草の火をタジマの右手に押し付けたのだ。赤く爆ぜた先端を執拗に皮膚にねじこんで焼き焦がしながらもレイジは笑みを絶やさない。口を全開にし、濁った絶叫をまきちらして暴れるタジマの手からさっと煙草を遠ざける。脂汗と涙と鼻水、汚い汁にまみれて地崩れを起こした醜い顔のタジマを覗きこんでにこりと笑う。

 「ロンのぶん」

 極上の微笑を湛えたレイジめがけ風切る唸りをあげて警棒が振り上げられる。手を煙草で焼かれて激怒したタジマが獣じみた咆哮を発してレイジを殴打しようと警棒を振りかぶったのだがレイジが避けるほうが早かった。前髪を掠め去った警棒の行方を追ったレイジが目にも止まらぬ速さでつま先を蹴り上げればタジマの肥満体が毬のように弾む、つま先の先端が胃袋にめりこんだ衝撃に盛大に反吐を戻したタジマがその場に膝を折ると同時にレイジの腕がのびてくる。

 「鍵屋崎のぶん」

 ぶちん、ぶちんと音がして紺の制服のボタンが弾け飛んでく。タジマの襟首から力づくでボタンを毟りとって前を寛げたレイジが再び手を振り上げて今度は鎖骨の上に煙草の先端を置く。じゅっ、と音がしてタジマの体が絶叫とともに跳ねる。あの細腕のどこにこんな馬鹿力が秘められてるのか、タジマの肥満体を悠々と吊り上げて背中から壁に叩き付けたレイジが最高に愉快そうに笑いながら足もとの警棒を蹴りどかす。
 「レイジ、今すぐその手を放せ、今ならまだ許してやる!!」
 哀願、というにはあまりに高圧的な罵声をとばしたタジマにレイジがやれやれと苦笑する。完全な劣勢だというのに反省したふりをする機転さえ利かないタジマを哀れんでるような、その実心の底から楽しんでる凄まじくタチの悪い笑顔。
 「独居房送りは勘弁してやる、だから、な、この手を放せ。囚人が看守に暴行なんざ上にバレたら問題になるぞ」
 「ロンに手え出すまえなら考えたかもな」
 なだめすかすような言葉を鼻で笑ったレイジがタジマのズボンに手を突っ込んでシャツをめくりあげる。はだけたシャツの下から露出したのは不恰好に弛緩した腹。
 一際長い絶叫が天井にこだまする。

 「売春班のガキどものぶん」

 一際長く、じっくり時間をかけてタジマの脇腹を焼きながらレイジは笑っていた。怖い顔だった。完全に狂気に飲み込まれた笑顔には俺が知ってるへらへらした面影なんかどこにもなかった。肉が焦げる香ばしい匂いを鼻腔一杯に吸い込んだレイジが満腹した豹の笑顔でタジマから離れてく。すっかり先端が潰れた煙草を床に投げ捨てて靴裏で踏み躙りながら叫びつかれてへたりこんでるタジマの胸ポケットを探る。胸ポケットから無断で取り出したのは煙草の箱とライター。掌にすっぽり納まる箱を上下に振り、噛みちぎるような顎の振り方で煙草を一本くわえとる。
 ライターを押して煙草に点火。
 鼻に抜けてく紫煙を味わうようにゆっくりと目を瞑り、開ける。
 俺の知らないレイジがいた。
 魅力的に微笑むレイジから目を逸らせない。次の行動から目をはなせない。今のレイジなら何をしでかしてもおかしくない。狂気と正気の境界線をあっさり踏み越えたレイジがひょいと屈みこんで、くわえ煙草のままタジマのベルトを緩めにかかる。
 「……なにやってんだ。お詫びのしるしに俺のもんでもしゃぶってくれるってのか」
 叫び疲れて息切れして、酷い顔色のタジマがそれでもとことん人を馬鹿にした冗談を言えばレイジは手を止めずに返す。
 「残念、不正解」
 ズボンと一緒に下着を引きずりおろしてタジマを下半身裸にしたレイジが口から煙草を外し。

 「これが、俺を怒らせたぶんだ」
 「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 俺はその瞬間を見なかった。
 レイジがやろうとしてることがわかったから、おぼろげなら察しがついたから目をひしと閉じて顔を背けていた。でも嗅覚まで殺すことはできない、タジマのペニスが煙草の火に焼かれて焦げてく異臭が鼻腔を突いて戻しそうになるのを懸命に堪える。たぶん今までで最長だった、たっぷり二十秒間はあったと思う。手首を捻り、圧力をくわえて先端をねじこみ、ようやく溜飲をさげたレイジが立ち上がった時にはタジマは口からヨダレを垂らして半ば廃人化していた。
 その襟首を片腕一本で掴んで引きあげたレイジがぐったりしたタジマの耳朶で退廃的に囁く。
 「汝姦淫するなかれ、だ。肝に銘じとけ。いや、たった今ヤキ入れてやったお行儀の悪いぺニスによーく銘じとけよ。俺はべつにあんたがだれ犯そうが興味ねえし構わないけどロンに手を出すのは許さねえし認めねえ。俺のいないところでロンを美味しくいただこうなんてしてみろ、じっくり時間をかけて生まれてきたのを後悔させてやる。なあタジマさん、なんで俺が『レイジ』ってゆーか知ってるか?」
 タジマの目をまっすぐ覗きこんだレイジが吸殻を蹴散らしてほくそ笑む。
 「憎しみを抑えつけるのがとてつもなく下手だからさ」
 「…………っ、!」
 レイジに殺される。
 殺意を秘めた脅迫に対してタジマは素早い行動にでた。膝に絡んだズボンに足をとられ、危なっかしく蹴躓きながら這う這うの体で逃げてゆく。床に転がった警棒をひったくり、腰にさすのも惜しんで脇に手挟んだまま扉にしがみつきノブを押したり引いたりしてたが焦りが増すばかりで上手くいかない、汗でぬめった手でノブを掴んで漸く開け放てば負け犬の背中に呑気な声がかかる。
 「タジマさん」
 反射的に振り返ったタジマの目に映ったのはにこやかに腕組みしたレイジの立ち姿。
 ゆったりと腕組みをほどいたレイジがタジマの股間へと視線をおろす。
 「隠さなくていいの?」
 「!」
 レイジに注意されたタジマが慌ててズボンを引き上げ、憤怒に猛り狂った凶暴な形相で唸る。
 「~~調子に乗んなよレイジ。一ヶ月、いや、懲役終えるまで一生独居房にぶちこんでやるから覚悟しとけ」 
 荒々しく扉が閉じ、鈍い残響が大気を震わせる。股間を焼かれたタジマが這うように廊下を逃げ去ってく気配が次第に遠ざかりやがて完全に消滅、タジマの姿が視界から消え去ると同時に金縛りにとけたように体が自由になる。放心状態で背格子に凭れ掛かった俺のもとに呑気な足音が近付いてくる。
 見なくてもわかる。レイジだ。
 「………レイジだよな」
 俺が知ってるレイジだよな?そう疑り深く念を押せば「なにをいまさら」とため息が聞こえてくる。
 「俺以外のだれが助けに来んだよ」
 よかった。いつもの、いつもどおりのレイジだ。タジマが逃げ去るのを見送ってるあいだに憎しみを抑えつけるのが下手なもう一人のレイジはいなくなったんだろう。深く深く安堵した俺のほうへと手をのばしたレイジが心配そうに眉をひそめる。
 「だいぶ酷くやられたみたいだな。もっと早く呼べよ」
 「さわんな」
 鎖骨に触れようとしたレイジの手を払いのける。虚を衝かれたように立ち竦むレイジ、その間抜け面に猛烈に腹が立つ。こいつが俺のダチ?嘘だ、あの時は気が動転してて心にもないことを口走っただけだ。レイジがダチのわけないじゃんか、こんなでたらめに強くて怪物みたいなやつがこんなカッコ悪い、一人じゃ何もできねえ俺のダチなわけないじゃんか。情けない情けない、死ぬほど情けねえ。タジマに押し倒されて下半身脱がされるまでなにもできなかったのに、レイジときたら呼んだらすぐに飛んできてタジマをやっつけちまった。
 畜生。
 「ふざけんなよ、なんでそんな強いんだよ」
 レイジくらい強かったらタジマをぶちのめすことができたのに。
 「反則じゃねえかよ」
 鍵屋崎や他の連中を助け出すこともできたのに。
 「お前のことなんか大嫌いだ、本当に大嫌いだ、スカした面見ただけで反吐が出る。いっつもへらへら笑ってて馬鹿なフリしてるくせにヤるときゃヤるなんて出来すぎだ、ぜってえ認めねえぞそんな都合いい展開。だって認めちまったら何なんだよ、俺が今までやってきたことは何なんだよ。お前なんかに頼りたくなかったのに、他人の力なんかあてにしたくなかったのに、だれかによりかかってしか生きてくことできねえんじゃあの女と一緒じゃねえか」
 俺にレイジみたいな力があればだれにも頼らずひとりで生きてくことができるのに。
 わかってる、レイジは約束を守ってくれた、俺を裏切ったりなんかしなかった。お袋でさえ開けてくれなかったドアを二年越しで開けてくれたんだ、レイジの顔を見た瞬間にああもう大丈夫だって安心して、その変わり身の早さに自分を殺したいくらい腹が立った。なにが大丈夫なんだよ、大丈夫じゃねえよ。だれかを、大事な人間を安心させる側になりたくて今まで頑張ってきた俺の苦労はどうなっちまうんだよ。
 水の泡?
 「どうして助けに来ちまうんだよ!?」
 逆ギレだ。
 「どっから冗談でどっから本気かわかんねえお前の言葉なんかマジで信じるわけねえだろ、はなから期待なんかしてなかったよ、どうせ助けにくるもんかって!俺のことなんか放っときゃいいんだよ、なんで構うんだよ、俺を助けてお前が独居房に入れられたらどうしようもねえだろ」
 レイジだって馬鹿じゃない、俺が言おうとしてることくらいわかってるはずだ。東京プリズンで看守に逆らうということが何を意味するか、どんなみじめな末路を示唆するか身に染みてないはずがない。レイジの懲役が残り何年だか知らないが俺よりは確実に長いはずだ、その間ずっとレイジが独居房で過ごすことになったら俺のせいだ、俺を助けにきてタジマに喧嘩売ったせいだ。
 「なんで余計なことするんだよ、無視すりゃよかったんだよ、そうすりゃ諦めついたのに!無視されんのにも裏切られんのにも慣れてんだから今さら傷つくもんか、お前のことなんかはなからダチともなんとも思ってなかったんだから裏切られたところで『やっぱり』で済んじまうんだよ、『ひょっとして』とか『もしかしたら』とかいらねえんだよ!」
 ちがう、本当はレイジがきてくれて嬉しかった。すげえ嬉しかった。でも同じ位、それ以上に悔しくて腹が立ってやりきれない。いつのまにかレイジに浅ましく期待してる俺がいることが、『ひょっとしてレイジなら』とか『もしかしてレイジなら』とか希望を託してる俺がいることが。もう諦めてたのに、刑務所で希望なんか見つかるはずないって、外にも何にもなかった俺の人生にそんなもん見つかるわきゃないって割り切ってたのに。
 「全部お前のせいでおかしくなったんだよ!!」
 お前のせいで、割り切れなくなったじゃねえか。 
 「余計なことすんなよ、目障りなんだよ、消えてくれよ!期待なんかさせんなよ、希望なんか持たせんなよ、そんなもん持ったってどうせ無駄なのに何も報われねえのに!ここは刑務所で、悪名高い東京プリズンで、生きて五体満足でここを出れるかどうかもわかんねえのにそんなもん抱えこんでどうすんだよ、蟻地獄の底で身動きとれなくなってゆっくり死んでくだけだろう!?」 
 大体刑務所でダチつくってどうすんだよ、どっちがいついなくなるかわかんねえのに。
 どうせまた一人ぼっちになるのに。
 
 ―「お前に助けられるくらいならタジマにヤられたほうがマシだった!!」―

 気付いたら、そんな心にもないことを叫んでいた。喉振り絞るように。
 俺のせいでタジマに喧嘩売ったレイジがこれからどうなるか想像したくもない、けど身近に想像できちまう。いくらレイジが無茶苦茶強くても看守を敵に回してここで生きてけるわけがない、殺されるに決まってる。独居房に入れられて手も足もでない状態で嬲り殺しにされるか飯を抜かれて飢え死にするまで一週間でも二週間でも放置されるか―……
 
 「そうかよ」
 氷点下の声だった。
 「!?」
 声に反応して顔を上げれば目の前、唇が触れそうなほど近くにレイジの顔があった。近付きすぎだ気色わりい、と押しのけようとしたら手首を掴まれ逆に引き寄せられる。スプリングが軋む。ベッドに片膝から飛び乗ったレイジが両腕で俺を組み伏せ、真剣に怒った顔で言う。
 「ヤられたほうがマシなんだろ」
 真剣に怒った顔?
 まさか、なんでレイジはこんな顔してるんだ。いつものへらへらした笑顔はどこ行ったんだ。サーシャとやりあったときもタジマを追い詰めたときもへらへら人を食った態度を崩さなかったのに、俺のたった一言で理性が爆ぜていつもの余裕が吹っ飛んだってのかよ。
 額と額を突き合わせて俺の目を覗きこんだレイジが、天井の裸電球を背にしてスッと目を細める。
 冷徹な眼光に射竦められた瞬間、鼓膜に響いてきたのはさっきレイジ自身が不誠実に笑いながら口にした言葉。
 『なんで俺がレイジってゆーか知ってるか?憎しみを抑えつけるのがとてつもなく下手だからさ』
 「タジマとどっちがマシか思い知らせてやる」
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