婚約破棄された令嬢は、幸せになると決めました~追放先で出会った冷徹公爵が、なぜか溺愛してくる件~

sika

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第27話 愛か、義務か

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婚約の申し出から一晩が明け、屋敷の空気はどこか柔らかかった。  
いつも通りに日が昇り、鳥が鳴く声が聞こえるはずなのに、  
その音がどこか遠く感じるのは――心が揺れているせいだろう。  

グレイスは鏡の前で身支度を整えていた。  
公爵の言葉がまだ頭のどこかで響いている。  

「俺の妻に――」  
あの時の声は低く、真っ直ぐだった。  
けれど、そこに宿るのは感情のすべてではなく、責任もまた混ざっていた。  
彼の“誓い”の中には、領主として、約束を守る男としての覚悟が感じられたのだ。  

ただの甘い言葉としてではなく、重い現実を背負う宣言。  
だからこそ、すぐに「はい」と答えた自分にすら、まだ戸惑いがあった。  

「……これは愛なの、それとも義務なの?」  
小さく呟き、頬を両手で押さえる。  
肩をすくめた瞬間、扉の向こうからリーナの声が聞こえた。  

「グレイス様、朝食のお支度が整いました!」  
「ありがとう。今行くわ。」  

声を出して立ち上がると、少しだけ胸の重さが軽くなった気がした。  

***  

食堂に入ると、レオンがすでに席についていた。  
包帯こそ取れたものの、まだ左腕を庇うように扱っている。  
それでも姿勢はいつもの通り背筋が伸びており、領主らしい威厳に満ちていた。  

グレイスが挨拶をしようと口を開いた瞬間、彼が先に言葉を発した。  

「よく眠れたか。」  
「……ええ、少しだけ。」  
「考えていたのだろう。」  
その一言に、笑みがこぼれそうになる。  

「公爵様に心を見透かされるのは、もう慣れてしまいました。」  
「ああ、それは俺もだ。」  

わずかに笑みを交わす。  
だが、すぐに言葉が途切れる。  
何をどう話せばいいのか分からない。  
婚約の返事を交わしたはずなのに、昨日以来、二人の間には言葉の壁ができていた。  

***  

食後、レオンが執務室に戻ると言い、グレイスもその手伝いに同行した。  
机の上には王都からの返答を求める書簡が積まれており、  
その中の一枚には特に目を引く一文があった。  

“正式な婚約を確認次第、王家として祝賀の使者を送る”  

「……早いですね。」  
「想定通りだ。」  
「国は、私たちのことをそう簡単に見逃してはくれないのですね。」  
「奴らにとって“血筋”と“威信”は切り離せぬものだ。  
俺たちが結びつけば、王国は表向きには安定を得られる。」  

「政治のための婚約、ですね。」  
その一言がぽつりとこぼれた時、グレイスは自分の胸が痛むのを感じた。  
言いたくはなかった。  
けれど、そうでなければ説明のつかないことも多かった。  

レオンはゆっくり息を吐き、机から目を離した。  
「政治的な意味を持たせるのは、王家の側だ。  
俺は違う。」  

「……それでも、領主として、責任のための選択ではありませんか?」  
問い詰めるような声が少しだけ強くなる。  
すると、彼は立ち上がり、窓際に歩み寄った。  

外には白い雲と、青く広がる空。  
そこを見上げながら、静かに答える。  

「義務だけなら、俺は誰とも婚約などしない。」  
「では、私と結婚を決めたのは……。」  
「義務ではない。必要だったからだ。」  

グレイスの眉が揺れた。  
「……必要?」  
「お前がいなければ、この領は、俺自身も立てなかった。  
怖かった。何もかもを失ったあの冬のように、また一人になるのが。  
お前が時折笑うたびに、“生きてもいい”と思えるようになった。」  

その言葉に、胸の奥から何かが込み上げてきた。  
声を出すことができなくなる。  
沈黙が降り――やがて、彼が振り向いた。  

「ただ、俺は不器用だ。愛を言葉にしても信じてもらえぬかもしれん。  
だが、お前に誓って生きることならできる。」  
「……それが、愛と何が違うのですか。」  

今度はグレイスが立ち上がる番だった。  
彼に歩み寄り、小さく笑みを浮かべる。  

「義務でも責任でも、“貴方と共にある”ことが、わたしにとっての愛なんです。」  
「それでいいのか。」  
「はい。貴方が義務を背負うのなら、わたしも背負います。」  

しばし、二人の間に言葉がなくなった。  
その沈黙がかえって穏やかで、柔らかかった。  

レオンが一歩、近づく。  
そして、手を伸ばして彼女の髪を指先ですくう。  

「……長い。」  
「え?」  
「最初に会った時より、ずっと。」  
「ええ、でも今は切りません。」  
「なぜだ?」  
「ここに来て、やっと髪を結ぶ意味を見つけました。  
“誰かのために強くありたい”と思えるからです。」  

レオンが苦笑する。  
「まったく……お前には敵わん。」  

指先が彼女の頬に触れる。  
優しい手の感触に、胸がいっぱいになる。  

彼の目が真正面から彼女を見つめる。  
「愛と義務の違いなど、俺たちの間に必要ないのかもしれんな。」  
「そうですね。どちらでも構いません。  
だって、どちらにしても――わたしは貴方と歩むのですから。」  

二人の距離が自然と近づく。  
触れれば壊れそうな静寂が流れ、外から風が吹き抜けた。  
カーテンの隙間から光が差し込み、それが二人の姿を包み込む。  

その刹那、レオンが微笑んで言った。  
「……ならば、もう一度だけ確認させてくれ。」  
「え?」  
「俺は、お前に“愛として”求婚する。」  

グレイスの瞳が揺れる。  
頬が紅く染まり、視界が滲む。  
涙が一筋、頬を伝って落ちた。  

「……はい。  
今度こそ、心のすべてで、受け取ります。」  

そして彼は、その涙を指で拭った。  
触れた手が震えていた。  
言葉はいらなかった。  
二人の表情がすべてを伝えていた。  

***  

その夜、屋敷の大広間で小さな祝宴が開かれた。  
領民の代表や文官が招かれ、灯された燭台の火が揺らめく。  
誰もが笑い、ワインが注がれ、花びらが散るような拍手が広がった。  

レオンとグレイスが並んで立つ。  
彼はいつも通り冷静に見えたが、その手は少し汗ばんでいた。  
グレイスがそっと囁く。  
「緊張されているのですか?」  
「まさか。……だが、皆がお前を“奥方様”と呼ぶのは、まだむず痒い。」  
「では、慣れるまでたくさん呼ばせて差し上げます。」  

その軽口に、辺りの笑いが広がる。  
穏やかな夜。  
だが、その幸福の中で、誰もが思っていた。  

この二人は、愛も義務も超えて歩むのだと。  
あの長い嵐をくぐり抜けた心は、もう揺らぐことはなかった。  

(第27話 愛か、義務か 了)
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