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閉店作業

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 唇を離した二人は、見つめ合っていた。

 時々そよぐ熱を孕んだ風が頬を撫で、汗で額に張り付いた髪を乾かす。遠くに人の声が聞こえ、先ほどまでは聞こえていなかった公園の隅には夏の虫の音が小さく響いた。

 こんな都会にも鈴虫がいるのかと、音の方へと目を向けた時、部長からの電話が鳴り響いた。何度も着信があった事を説明しセナに断ってから通話ボタンを押すと、barで待っているから来いと言われたのだ。

 少し迷ってから、人を送ってから向かいますと答えた凌太をセナは微妙な面持ちで見つめていたが、凌太が部長の話(主にルカにフラれたらしい話)を軽く説明すると、ため息交じりに笑顔を見せてくれた。

 ルカが渡してきた花束が墨谷から貰ったものであるという件が、セナの心を掴んだらしい。セナを家へと送る道中、二人はずっと手を繋いでいた。

 季節は秋の入り口に立っているというのに、じめじめした空気が体にまとわりつく。先ほど地面に寝転ばされたせいで、腕にも細かい砂が付着して取れていなかった。

 繋いだ手が暑く、徐々に汗ばんで来るのがバレてしまいそうで恥ずかしかったが、時折顔を合わせて微笑み合うあの時間は、プレイとは違う満足感を凌太に与えた。

 小さなマンションの前まで送り届けると、夢心地で花束を渡し、また明日必ず会いに行くと約束して凌太はbarへと急いで戻った。

 凌太を待ち受けていたのは、穏やかなマスターに絡んでいる墨谷だった。困り顔のマスターが凌太を見つけると、慌てて手招きしてきた。古い漫画に出てくるような、無口で感情の起伏の無いタイプの人かと思っていたが、なかなか表情豊かな人物らしい。近付くと、マスターは墨谷に何やら耳打ちをしてきた。

 情けない猫背だった墨谷は、ぐるりと体を回して凌太と目を合わせる頃には背筋が伸び、若干顔が赤く、目元が濡れているような気がしたが、いつも通りの頼れる部長の顔に戻っていて少し安心した。

「遅かったじゃないか。どうしたんだ?心配したぞ」

「すみません、知り合いと出会ってしまって……」

「あんなところで出会えば焦るのは仕方が無いが、連絡はいれるんだぞ。社会人として……いや、人間関係をスムーズに構築するために必要なことだ」

 もっともらしく注意をしながら、凌太にも飲み物を頼ませる。

「……花はどうした?ん?なんかここ青くなってないか?」

 指さされたのか藤堂に殴られた部位だ。慌てて手で隠すが、酔っぱらっていると言っても部長である。

「こ、転びまして……花束もその時にぐちゃってなってしまいまして……」

「だから裾に花弁がついているのか」

 視線を足元に落とすと、紫の花びらが一つそこに付いていた。しゃがみ、拾い上げる。そこにマスターがオーダーしていたカクテルを置いてくれた。

 飲みやすいカクテルをオーダーしていた凌太の元に運ばれたのは、緑色の液体に輪切りレモンとミントがあしらわれた一杯で、凌太の手から花弁をひょいと持ち上げると、綺麗に洗ってカクテルの上に飾った。緑と紫の対比が美しい。

「これって飲んで大丈夫ですか?」

 美しいが、花びらなんか口にして大丈夫だろうかと心配そうに問う凌太に、ゆっくり笑顔でマスターが頷いた。安心して一口含むと、カッと日本酒らしい辛味が一瞬にして広がったが儚くもすぐに消えていった。美味い酒は気を張っていた凌太の心を解きほぐすのに一役買った。

「あの、部長はどう……」

 美味しい酒にいい気分になり、穏やかに話しかけた墨谷の表情は暗く、それ以上言葉を続ける事は出来なくなった。無言になってしまった墨谷を横目に、ただただグラスを見つめていたが、グラスを全て飲み干すのをタイミングとして、墨谷はやっと口を開いた。

「花束は渡せた」

「よ、良かったですね」

 しかし頭に過ったのはルカが微妙な顔で凌太に手渡した花束の姿だ。今はセナの家に飾られている筈のあの花束だ。

 状況を繋ぎ合わせてみると、墨谷はルカにフラれたのであろうと予想するのがセオリーではないだろうか。

「けど、仕事は辞められないって……」

「京都についてきて欲しいって言ったんですか?」

「ああ……ああいう店で働いているんだから、何か事情があるんだろうとは思っていたんだけど……もう白状してしまうが、私のオキニはルカくんという子なんだがね。ほら、顔は映ってはいないが可愛いのがわかるだろう?」

「は、はあ……」

 スマホの画面の表示されたのは、キャスト紹介のルカのページだ。セナ以外に興味が無かったので見たことが無かったが、目元を隠し微笑むルカの写真が大きくあった。

「前に学びたいから学費を稼いでいるって聞いていたから、京都の学校なら入学費とか学費全部私が払うって言ったんだけど……それだけじゃなくてね。お母さんがね、病気らしいんだ。その医療費もいるんだって。だから私との時間は楽しかったけど、京都にはいけないって言うんだ」

「な、なるほど」

 そんな事情があるなんて知らなかった凌太は心底驚いた。が、若干設定が盛られ過ぎている気もした。

 もちろんそこに突っ込んだりなんて野暮な事はしないけれど。

「転勤までまだ日があるから、それまでは今まで通り通うって約束したんが……はあ……転勤断ろっかな……」

「ぶ、部長…」

「すまんな夏木。お前をけしかけたのに、私の方がこんな事になってしまって……ああ、ルカ……ルカくん……キスくらい最後してくれるかなあ……」

 遠い目をして、見えないルカを思いながら墨谷は何度もルカの名を呟いていた。凌太はキスもさせてもらっていないのに勇み足で告白した部長が少し奇妙に思えたが、それを言うのも営業妨害になる気がして無言を貫いた。



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