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第一章 義姉上の死亡記録

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「おはようございます、坊っちゃま」

「あぁ、おはようマークス」

 マークスのノックに応じながら、カーテンを開ける。太陽はまだ山の間から頭を出した程度だ。
 すでに着替えも済ました俺を見て、マークスの口角がわずかに上がった。

「相変わらず早起きでいらっしゃる。メイドの出る幕がございませんな」

「この程度は自分で出来る。お前ももっと遅く来てもいい」

 本当は身の回りのことなど全て自分でやってしまいたいくらいだ。学園に執事とメイドを合わせて二十人も付けると養父上に言われたときには、なんとかマークスとメイドふたりほどで妥協してもらった。
 そういえば、養父上から「マ、マークスを連れていくのか? そうか……まぁ、優秀ではあるからな……。だが、その……なにかあればすぐ、連絡するんだぞ」と苦々しいお顔で言われたが、どういう意味だったのだろう。心配してもらったのは分かるが……。ふと、マークスと目が合う。ニコリと好々爺の微笑みを返される。隠し事を疑う俺のほうが後ろめたさすら感じる。

「ささ、温かいうちにお召し上がりください」

「あぁ」

 サラダとパン、それにスクランブルエッグ。公爵としてはあり得ないほど少ない朝食だが、この組み合わせが一番好きだ。家では人目があって許されなかったが、今はマークスしかいない。明日はスクランブルエッグの代わりにスープにしてもらおうか。

「では、朝食とともに昨日のカルミア様の行動などを報告させていただきます」

「ちょっと待て。なんでそうなる」

「おや、気になりませんか?」

 なんでわざわざカルミア様のことなど……。というか、いつの間に学園の中のことなど調べたんだ。確かに少しは気になる。だが、

「せっかくの朝が台無しになるような話しかないことくらい察しがつく」

「では、特記事項だけ」

「こらマークス」

 止めさせようとしたが、続く言葉は聞き捨てならないものだった。

「アレックス殿下は、カルミア様にだけはお会いにならず、他の女生徒にはほとんど全員声をかけられたようです」

「……は?」

 手にしたフォークが落ちそうになる。
 カルミア様、だけ? 一体どういうことだ? あぁ、いや、もしかしたら『わたしの婚約者をよろしく』という意味で……

「それはまるで口説くような甘い言葉を紡がれた、という女生徒の証言が複数ありますな。おそらく全員そうでしょう」

 あの野郎っ! 義姉上をあんな性格にしておいて、無下にすると!?
 沸き上がる怒りで拳が軋んだ。怒りのままにパンを引きちぎった。固さが特徴のパンをぶちぶちとちぎっては噛み砕く。あまりに品の無い姿をマークスが止める間もなく食べ終わり、部屋を出た。勢いで出たので、少し早い時間だ。

「殿下……いや、アレックス……! 絶対に許さん」

 逸る気持ちをそのままにミューと今後の相談をしようと思っていたが、彼の部屋をノックしても返事がなかった。まだ寝ているのか。そういえば同じクラスだが、昨日は教室で見なかったな。仕方なしにひとりで校舎へ向かった。
 ふわりと朝の心地いい風が頬をくすぐった。高い木の間から見える澄んだ空は、どこまでも遠い。落ち着きが戻ってきた。
 深い深呼吸と共に耳をすませば、自分の足音。それに、木々が風にさざめく音と小鳥の甲高い鳴き声とーー

「貴女! 昨日見てましたわよ! アレックス殿下に近付いてどういうおつもりっ!?」

 心地よさをすべて帳消しにするカルミア様のヒステリックな声。道の脇、木々の奥から聞こえてくる。げんなりと肩を落とした。

「そんな……誤解ですカルミア様っ! 私はただ少しお話しただけで……」

 ルフィナ様の声だ。今のカルミア様にとって『殿下とお話した』というのはただの自慢。ルフィナ様が危ない。
 前回、このときカルミア様はどんな行動に出たんだったか。なんらかの危害を加えたはずだが。

「……俺、こんなこと知らないな」

 前回と同じなら、当然俺は経験しているはずである。だが、全く記憶にない。入学式の次にルフィナ様と会ったのは、聖女様となってからだけのはずだ。覚えてないだけというのも考えにくい。

「やっちゃってください、カルミア様っ!」

「謝罪もできないなんて、カルミア様に逆らう気なのですわっ!」

 いかん! もう取り巻きがいるのか!
 とにかく現場に向かおうと木をかき分ける。取り巻きの声が近くなってきた。もう一息だ。が、枝に足を取られて動けない。ガサガサともがいているのが、向こうに聞こえたようだ。

「……だれか、来たようですわね。今日はここまでとしておきますわ。ごきげんよう」

 ようやく抜け出したときにはカルミア様の姿は無く、ルフィナ様だけが取り残されていた。

「えっ! ジニア……様っ!? どうしてここに……」

「ちょうど通りがかったときに、なにやら聞こえてきたので……ルフィナ様はご無事ですか?」

 しまった。ルフィナ様にまだ自己紹介されていないのに、口が滑った。しかし、ルフィナ様は気づいていないようだ。

「平気です! ジニア……様が来てくださったんですもの! でも……」

「でも?」

「あっ! いえ! なんでもありません!」

 と、それっきり俯いてしまった。かろうじて聞き取れた言葉は「どうしてジニアが」「このイベントは」というものだった。よく分からなかったが、昨日会ったばかりの人間が助けに来るとは思っていないから、戸惑っておられるのだろう。
 ルフィナ様を後ろにして、道を作る。元の石畳の道へ戻ると、ミューがいた。

「おやおやぁ? おはようジニア。朝から女性をそんな人気のないところに連れ込むなんて、何してたんだい?」

 にまにまと悪戯な顔。悪魔の尻尾がみえる。ルフィナ様が慌てているのは、振り返らなくてもわかる。あまりに不名誉だ。

「違うとわかって言っているだろ」

「もちろん! 見てたからね。ジニアが茂みに入っていくとこ」

「見てないで助けてくれてもよかったんだぞ」

 見られてたのか。というか、あのしつこい枝はミューの仕業じゃないだろうな。

「いやぁ、ジニアがノックした時間に起きてさ~。追い付いたと思ったら、いきなり道を逸れて、しかも枝に引っ掛かってるんだもん。もう笑っちゃって」

 違った。しかも一番恥ずかしいところも見られてた。
 ルフィナ様がぽかんとしている。あぁ、まずはお互いの紹介が先だった。

「ルフィナ様、申し訳ありません。こちらはミュソーティス。えっと……俺の友達です」

 殿下を倒すための協力者ですとは言えないし、かといって知り合いで通すのもおかしい。
 ルフィナ様は声にこそしなかったが、驚愕といった風に後ずさった。そんなに俺に友達がいるのが意外なのだろうか?

「僕ら、まだ会うの二回目なんだけど?」

 ミューは友達、という言葉を飲み込めていないようだ。確かに俺だってまだむず痒いし、落ち着かない。だが特に不満もないのか、それ以上何も言ってこなかった。

「え、えっと……そうなんですか?」

「えぇ。昨日知り合ったばかりでして」

「で、では! 私もっ! 私もジニア様のお友達ということでよろしいでしょうか!?」

 ルフィナ様が俺の友達? のちに聖女様と呼ばれる方が? 恐れ多いことだ。こうして隣に立つことすら、以前の俺では考えられなかったというのに。
 俺はこの方と肩を並べられるような器じゃない。

「いやルフィナ様はーー」

「よろしくお願いしますね!」

 上機嫌な笑顔を残して、ルフィナ様は走り去ってしまった。
 今回のルフィナ様はよく走る。いつだって伏し目がちで優雅に歩いていたというのに、どうしたことだろう。

「ーーで、ホントにいいのかい?」

「なにがだ?」

 ミューは頭の後ろで腕を組み、じっとりとした横目でこちらを見ていた。
 ルフィナ様をおひとりで行かせたことか? しかし、走って追いかけるわけにはいかないだろう。そのまま走られたら俺はどんな目を向けられるか。それに、カルミア様だってあんなにあっさり引いたのだ。しばらくは様子見といったところだろう。

「君は……君は次期当主として、貴族として、築くべき人脈があるはずだ。どうせ僕の家のことや素性なんてまだ調べてないだろう? 君の家が必要とする人物と親しくするために、僕という存在が障害となるかもしれない。いや、なるだろう。
 それでも僕を友達だなんて言ってしまうのかい? 今ならまだ撤回してもいいよ。怒らないであげる」

 らしくもない。いつになく饒舌で余裕の無い語り口だ。怒らないといっているが、もう耳まで赤いじゃないか。そんなに俺の友達って嫌なのか。
 確かに、俺は昔から義姉上について回っていたし、養子という引け目から直系の貴族たちとはうまく会話ができなかった為、友人らしい友人はいない。でも、ミューはそういう貴族らしさも感じられないから仲良くできると思ったんだが……
 いや、これから。これからだ。友人はなるものではなく、なっているものだと昔義姉上が言っていた! それに貴族として『築くべき人脈』なんて言ってしまったらーー

「俺は真っ先にアレックスなんかと親しくしなければならないじゃないか」

「……今、なんかって言った? 殿下って言った?」

 もちろん、なんかって言った。
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