『働いたら負けだと思ったので、何もしなかったら勝手に勝ちました』

ふわふわ

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第10話 確認という名の作業

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第10話 確認という名の作業


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 シグナス公爵家の執務室には、静かな緊張が漂っていた。

 テーブルの上には、数通の封書が整然と並べられている。
 いずれも王宮から届いたもの――ただし、どれも“正式”とは言い難い内容だった。

「……やはり、形式を欠いていますね」

 公爵が淡々と告げると、向かいに座る書記官が頷く。

「はい。
 婚約破棄に関する正式書類は未着。
 通達文も、署名者が不明確です」

「つまり」

 公爵は眼鏡の奥から書類を見下ろす。

「現時点では、“宣言があった”という事実しか存在しない」

 隣で話を聞いていた公爵夫人は、静かに紅茶を口にした。

「感情はどうあれ、
 手続きがなければ、法的には何も起きていないのと同じね」

 それは、抗議でも威圧でもない。
 ただの事務的な確認だった。


---

 少し離れた席で、ファワーリスはそのやり取りを静かに聞いていた。

 口を挟むことはない。
 必要がないからだ。

(確認、ですもの)

 それ以上でも、それ以下でもない。

 誰かを糾弾するわけでも、
 責任を追及するわけでもない。
 ただ、正しい順番で、正しい手続きを踏む。

 それだけで、物事は自然と形を成す。


---

「ファワーリス」

 父が、ふと娘に視線を向ける。

「こちらから王宮に、
 正式な照会を出すが……構わないか?」

「もちろんですわ」

 即答だった。

「私が関与する必要は、ありませんもの」

 公爵は小さく笑った。

「そうだな。
 これは“家と家”の問題であって、
 お前個人が背負うものではない」

 その言葉に、書記官が深く頷く。

「では、
 婚約破棄の経緯、理由、日付、証人――
 すべて明記した文書の提出を求めます」

「返答期限は?」

「慣例通り、七日」

 それだけで十分だった。


---

 一方、王宮。

「……照会、だと?」

 王太子レオンハルトは、差し出された書面を見て顔を強張らせた。

「はい。
 シグナス公爵家より、
 婚約破棄に関する正式確認とのことです」

 側近の声は、どこか硬い。

「形式的なものですか?」

「……形式を整えていないのは、こちらです」

 王太子は、思わず机を叩きかけ――寸前で止めた。

 形式。
 順番。
 手続き。

 それらを軽視してきたのは、自分たちだ。

(彼女は……)

 脳裏に、淡々とした銀髪の令嬢の姿が浮かぶ。

 感情を交えず、
 誰かを責めることもなく、
 ただ“正しい場所”に物事を戻していた存在。

(……確認するだけで、ここまで追い詰められるとは)


---

 その夜。

 ファワーリスは自室で、ゆっくりと日記を閉じた。

 今日、彼女がしたことは、ひとつもない。
 指示も、助言も、助力も。

 ただ、
 何もしなかった。

(働いたら負け。
 何もしないのが勝ち)

 その言葉が、今日ほど正しいと感じた日はなかった。

 確認という名の作業は、
 静かに、しかし確実に、
 王宮を追い詰め始めている。

 そして彼女は知っている。

 ――ここから先も、
 自分が何かをする必要は、
 やはり、ないのだと。
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