婚約破棄ですか?構いませんわ。ですがその契約、すべて我が家のものです

ふわふわ

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第31話 遅すぎた訪問

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第31話 遅すぎた訪問

その日の午後、王太子ユリウスは珍しく王宮を出た。

護衛の騎士が数名ついているが、行き先ははっきりしている。

ヴァレリオン公爵邸。

王都でも特に広い区画を占める、古くからの名門貴族の屋敷だ。

重い鉄門の前で馬車が止まると、門番が静かに頭を下げた。

「王太子殿下のお越しとは、珍しいことでございます」

ユリウスは短く言った。

「カリスタに会いに来た」

門番は一瞬だけ視線を落としたが、すぐに答える。

「お嬢様は現在、執務中でございます」

「構わない。通せ」

門が開く。

馬車はゆっくりと中庭へ入っていった。

ヴァレリオン邸の庭は、王宮に負けないほど広い。整えられた芝生と噴水の向こうに、石造りの本館が堂々と立っている。

ユリウスは馬車を降りながら、周囲を見回した。

何度も訪れたことのある屋敷だ。

だが今日は、妙によそよそしく感じる。

執事のグレイが玄関で待っていた。

年配の男は深く一礼する。

「殿下。本日はどのようなご用件でしょうか」

ユリウスはためらわず言った。

「カリスタに会う」

グレイは一瞬だけ視線を上げた。

「お嬢様には、本日すでに多数の来客がございます」

「私より優先する客がいるのか?」

グレイは穏やかな表情のまま答えた。

「現在、商人組合の代表とお話し中でございます。王国銀行の役員も到着しております」

ユリウスは思わず眉をひそめた。

「銀行?」

「はい。金融契約の整理でございます」

その言葉で、ユリウスの胸に小さな苛立ちが生まれる。

この状況を作った本人が、まるで何事もないように仕事をしている。

「すぐに終わるのか」

「少々お待ちいただければ」

ユリウスは客間に通された。

重厚な家具と落ち着いた内装の部屋だが、今日は妙に静かだった。

窓の外には庭が見える。

噴水の水音だけが聞こえていた。

しばらくして扉が開く。

カリスタが入ってきた。

深い青のドレスに身を包み、書類を一冊手にしている。昨日と同じように落ち着いた表情だった。

ユリウスは立ち上がる。

「忙しいようだな」

カリスタは静かに席に着いた。

「商人たちは不安を感じています。契約の整理を急ぐ必要があります」

「王国の混乱は知っているのか」

「もちろん」

彼女は落ち着いた声で答える。

「港も銀行も、すべて報告を受けています」

ユリウスはその言い方に違和感を覚えた。

まるで、自分の関係のない出来事のようだった。

「この状況をどうするつもりだ」

カリスタは少し考えたあと、穏やかに言った。

「契約はすでに終了しています」

ユリウスは机に手をついた。

「その契約を戻せと言っている」

カリスタは首を横に振る。

「契約は双方の合意で成立します。そして殿下がそれを破棄しました」

その言葉は静かだったが、はっきりしていた。

ユリウスは言葉を探す。

「私は……あの場では状況を誤解していた」

カリスタは何も言わない。

ただユリウスを見ている。

その視線が、かえって落ち着かない。

ユリウスは続けた。

「ヴァレリオン家が王国にとってそこまで重要だとは思わなかった」

カリスタは小さく息を吐いた。

「殿下」

そして静かに言う。

「ヴァレリオン家は、王国に金を貸してきました。港湾会社に投資し、物流会社を支え、銀行の資本を出してきました」

彼女は机の書類を開いた。

「それらはすべて契約です」

ユリウスは黙った。

カリスタは続ける。

「契約があるからこそ商人は安心して取引できます。銀行は融資できます。港は動きます」

彼女は書類を閉じた。

「契約がなくなれば、すべて止まります」

部屋が静かになる。

ユリウスは窓の外を見た。

庭の噴水が、変わらず水を吹き上げている。

だが王都の街では、すでに混乱が広がっている。

「……戻せないのか」

ユリウスの声は、先ほどより低かった。

カリスタはすぐには答えなかった。

少し考えたあと、静かに言う。

「契約は感情では動きません」

それが答えだった。

ユリウスはそれ以上言葉を続けられなかった。

彼はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。

「今日は帰る」

カリスタは頷いた。

「お気をつけて」

ユリウスは扉へ向かう。

しかしそこで一度だけ振り返った。

カリスタはすでに書類を開き、仕事に戻っていた。

王太子は何も言わず、そのまま部屋を出た。

王宮へ戻る馬車の中で、ユリウスはずっと黙っていた。

王都の街を見ながら、ようやく理解し始めていた。

契約を破ったのは自分だということを。

そして。

その結果が、今の王国だった。
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