婚約破棄? めんどくさいのでちょうどよかった ――聖女もやめて、温泉でごくらくしてます

ふわふわ

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第7話 ごくらく、ごくらく…

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第7話 ごくらく、ごくらく…

 別荘地は、静かだった。

 山あいに広がる温泉郷は、王都とはまるで別の世界のように空気が澄んでいる。木々は瑞々しく、川の水音が心地よく響いていた。

「……いいところですね」

 馬車を降りたリヴォルタ・レーレは、深く息を吸い込んだ。

 王都で感じていた張りつめた気配は、ここにはない。
 責任も、期待も、評価も――すべて、湯気の向こうに消えている。

「さっそく、お湯にご案内いたします」

 案内人に導かれ、彼女は宿の奥へと進む。
 木造の回廊を抜けた先にあったのは、岩に囲まれた露天風呂だった。

 湯気がふわりと立ち上り、硫黄の香りが漂う。

「……最高ですね」

 衣を脱ぎ、ゆっくりと湯に浸かる。

 じんわりと体の芯まで温かさが染み渡り、思わず声が漏れた。

「ごくらく……ごくらく……」

 誰に聞かせるでもない独り言。

 肩の力が抜け、頭がぼんやりとしてくる。
 何も考えなくていいという状況が、これほど贅沢だとは思わなかった。

 その頃――王都では。

 小さな異変が、いくつも起き始めていた。

「また怪我人が出た?」 「今度は、工事現場で足場が崩れたそうだ」

 以前なら、転倒しても打撲で済んでいたはずの事故。
 だが今回は、数名が骨折し、重傷者も出た。

「おかしいな……」 「こんなこと、今までなかったのに」

 人々は首を傾げるが、原因を深く考えはしない。

 大神殿では、マーレン・エルバが詠唱を続けていた。

「――癒やしの光よ……!」

 光は確かに傷を塞ぐ。
 だが、治癒を待つ人の列は、日を追うごとに長くなっていく。

「こんなに……?」

 マーレンの額には、明らかな疲労が浮かんでいた。

 一方、温泉郷。

 湯上がりの縁側で、リヴォルタは湯冷ましの茶を飲んでいた。

「……静かですね」

 風が心地よく、鳥のさえずりが響く。

 不思議なことに、ここでは事故の話も、怪我人の噂も一切聞こえてこない。

 道は整い、足を滑らせる者もいない。
 山道でも、誰一人転ばない。

 宿の主人が、感心したように言った。

「最近、この辺りは本当に穏やかでして」 「そうなんですか?」 「ええ。天候も安定して、魔物も出ません」

 それは、まるで守られているかのような環境だった。

「運がいいですね」 「まったくです」

 リヴォルタは、そう答えて微笑む。

 自分が理由だとは、思いもしない。

 夜。
 露天風呂に再び浸かりながら、彼女は満足げに呟いた。

「……ここに来て、正解でした」

 その言葉と同時に、
 遠く離れた王都では、雷が鳴り始めていた。

 天候の急変。
 落雷による火災。
 倒壊する建物。

 それでも人々は、まだ知らない。

 この国を覆っていた“当たり前の平和”が、
 すでに失われ始めていることを。

 湯気の中で、リヴォルタは目を閉じる。

「ごくらく……ごくらく……」

 その背後で、
 世界が静かに、しかし確実に狂い始めていた。
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