婚約破棄? めんどくさいのでちょうどよかった ――聖女もやめて、温泉でごくらくしてます

ふわふわ

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第16話 取り戻せないもの

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第16話 取り戻せないもの

 本国の王都では、静かな諦観が広がり始めていた。

 災害は減った。
 負傷者も、ようやく列をなさなくなった。
 だが――“奇跡的に何も起きない日常”は、戻ってこない。

「以前は、こんな心配はしなかった」

 老いた商人が、軒先でそう漏らす。

「雨が降っても、道は崩れなかった」 「風が吹いても、看板は落ちなかった」 「……そうだな」

 人々は、口を揃えて言う。
 **“前は、運が良かった”**と。

 だが、今なら分かる。
 それは運ではなかった。

 王城の執務室で、ザガート・ビジョン・グランツは、最後の確認書を閉じた。

「……これ以上、交渉は不可能か」

 側近は、ゆっくりと首を振る。

「隣国は、正式に断っています」 「条件は変わらない、と」 「はい。
 “彼女に何もさせないことが、国是である”と」

 ザガートは、短く笑った。

「見事だな」

 皮肉ではない。
 本心だった。

 彼らは、価値を正しく理解した。
 理解したからこそ、手放さない。

「……我々は、逆だった」

 成果を求め、
 目に見える働きだけを評価し、
 “起きなかった不幸”を、存在しないものとして扱った。

 その代償は、あまりにも大きい。

 一方、温泉郷。

 朝の湯気の向こうで、リヴォルタ・レーレは、いつものように湯に浸かっていた。

「……今日は、少し涼しいですね」

 季節の変わり目。
 だが、寒暖の差は穏やかで、体に負担はない。

 それが、どれほど異常なことかを、彼女は知らない。

「何か、ご不便はありませんか」

 宿の者が、念のために尋ねる。

「いいえ。特に」 「でしたら、何よりです」

 それで、話は終わる。

 誰も、彼女に“役目”を与えない。
 誰も、“期待”を押し付けない。

 だからこそ、
 守護は、歪まずに広がっていく。

 午後、トレイル・ブレイザーは、国境の報告を受けていた。

「本国側で、小規模な崩落がありましたが」 「こちらへの影響は?」 「ありません」

 王は、静かに頷く。

「距離は、正直だな」

 中心に近いほど、安定する。
 離れるほど、守りは薄くなる。

 それは、奪えない。
 引き戻せない。

 夜。

 温泉郷の空に、満天の星が広がる。

「……きれい」

 縁側で、リヴォルタは空を見上げていた。

 彼女は、後悔していない。
 迷ってもいない。

 なぜなら――
 戻った先に、何もしなくていい居場所がないことを、
 もう知っているから。

 本国が取り戻せないのは、
 彼女の力ではない。

 彼女が安心して“何もしない”でいられる、
 その環境そのものだ。

 そして、それを失った理由は――
 あまりにも、単純だった。

 評価できないものを、
 価値がないと、決めつけた。

 ただ、それだけの話だった。
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