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第32話 何も持ち帰れない場所
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第32話 何も持ち帰れない場所
翌朝、温泉郷はいつも通りの静けさに包まれていた。
昨日、見慣れない旅人が来ていたことなど、
町の誰も話題にしない。
話す必要が、ないからだ。
「……少し、早起きしすぎましたか」
リヴォルタ・レーレは湯治宿の廊下を歩きながら、そう呟いた。
朝湯には、まだ早い。
縁側に腰を下ろし、白む空を眺める。
山の稜線が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
その頃、境界の外。
昨日の男は、峠道を下っていた。
護衛もいない。
だが、足取りは軽い。
「……何も得られなかったな」
そう口にして、
なぜか後悔はなかった。
情報はない。
力の正体も分からない。
交渉の糸口も掴めていない。
それなのに。
「……行って、よかった」
胸の奥に残っているのは、
奇妙な安堵だけだった。
王城に戻れば、報告はこうなるだろう。
――何もなかった。
――何も持ち帰れなかった。
――だが、触れてはいけないと分かった。
それ以上の成果は、
この世界には存在しない。
一方、温泉郷。
朝市が始まり、
野菜が並び、
湯気が立つ。
「おはようございます」 「ええ、おはよう」
それだけの挨拶が、
ここでは十分だ。
誰も、昨日の出来事を掘り返さない。
なぜなら、掘り返すほどの意味がないから。
昼過ぎ、トレイル・ブレイザーのもとに、簡潔な報告が届いた。
「視察目的と思われる人物が一名。
接触は最小限。
要請・要求なし。
当日中に離脱」
王は、短く頷いた。
「正しい対応だ」 「追跡は?」 「不要」
理解した者を、縛る必要はない。
「彼は、もう二度と“持ち帰ろう”とはしない」 「……なぜ、そう言い切れるのですか?」 「持ち帰れないと、身体で知ったからだ」
それは、知識ではない。
感覚だ。
夕方。
リヴォルタは、川沿いの石段に腰を下ろしていた。
「……今日は、風が涼しいですね」
誰に向けた言葉でもない。
ただの感想。
だが、その瞬間、
遠くの街道で起きかけていた諍いが、
自然と解消されていた。
誰も理由を知らない。
誰も結びつけない。
それでいい。
夜。
露天風呂。
「……昨日の人、
無事に帰れたでしょうか」
それだけ、思った。
助けたいわけではない。
関わりたいわけでもない。
ただ、人としての、ささやかな気遣い。
その気遣いすら、
彼女は自覚しない。
世界は、また一つ確信する。
――この場所では、
力も、答えも、
持ち帰れない。
だからこそ、
誰もが安心して立ち去れる。
何も失わず、
何も背負わず、
何も持たずに。
中心で、
今日も変わらぬ日常を送る元聖女は、
それを当然のこととして、
湯気の向こうに目を細めていた。
――何も持ち帰れない場所は、
同時に、
何も奪われない場所でもあるのだから。
翌朝、温泉郷はいつも通りの静けさに包まれていた。
昨日、見慣れない旅人が来ていたことなど、
町の誰も話題にしない。
話す必要が、ないからだ。
「……少し、早起きしすぎましたか」
リヴォルタ・レーレは湯治宿の廊下を歩きながら、そう呟いた。
朝湯には、まだ早い。
縁側に腰を下ろし、白む空を眺める。
山の稜線が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
その頃、境界の外。
昨日の男は、峠道を下っていた。
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だが、足取りは軽い。
「……何も得られなかったな」
そう口にして、
なぜか後悔はなかった。
情報はない。
力の正体も分からない。
交渉の糸口も掴めていない。
それなのに。
「……行って、よかった」
胸の奥に残っているのは、
奇妙な安堵だけだった。
王城に戻れば、報告はこうなるだろう。
――何もなかった。
――何も持ち帰れなかった。
――だが、触れてはいけないと分かった。
それ以上の成果は、
この世界には存在しない。
一方、温泉郷。
朝市が始まり、
野菜が並び、
湯気が立つ。
「おはようございます」 「ええ、おはよう」
それだけの挨拶が、
ここでは十分だ。
誰も、昨日の出来事を掘り返さない。
なぜなら、掘り返すほどの意味がないから。
昼過ぎ、トレイル・ブレイザーのもとに、簡潔な報告が届いた。
「視察目的と思われる人物が一名。
接触は最小限。
要請・要求なし。
当日中に離脱」
王は、短く頷いた。
「正しい対応だ」 「追跡は?」 「不要」
理解した者を、縛る必要はない。
「彼は、もう二度と“持ち帰ろう”とはしない」 「……なぜ、そう言い切れるのですか?」 「持ち帰れないと、身体で知ったからだ」
それは、知識ではない。
感覚だ。
夕方。
リヴォルタは、川沿いの石段に腰を下ろしていた。
「……今日は、風が涼しいですね」
誰に向けた言葉でもない。
ただの感想。
だが、その瞬間、
遠くの街道で起きかけていた諍いが、
自然と解消されていた。
誰も理由を知らない。
誰も結びつけない。
それでいい。
夜。
露天風呂。
「……昨日の人、
無事に帰れたでしょうか」
それだけ、思った。
助けたいわけではない。
関わりたいわけでもない。
ただ、人としての、ささやかな気遣い。
その気遣いすら、
彼女は自覚しない。
世界は、また一つ確信する。
――この場所では、
力も、答えも、
持ち帰れない。
だからこそ、
誰もが安心して立ち去れる。
何も失わず、
何も背負わず、
何も持たずに。
中心で、
今日も変わらぬ日常を送る元聖女は、
それを当然のこととして、
湯気の向こうに目を細めていた。
――何も持ち帰れない場所は、
同時に、
何も奪われない場所でもあるのだから。
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