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第二十六話 甘味の余波
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第二十六話 甘味の余波
甘味の戴冠式からひと月。
北は相変わらず白い蒸気に包まれているが、その空気は以前とは違っていた。寒さは同じ。風も同じ。だが人々の足取りが軽い。
市場ではてんさいが積み上がり、農民たちは誇らしげに語る。
「今年は出来がいいぞ。糖度も上がってる」
てんさいはただの根菜ではない。貨幣だ。未来だ。
王都への定期便が増えた。白砂糖は貴族の食卓へ、シロップは庶民の鍋へ。甘味は階級を越えて流れ始めている。
私は帳簿を閉じる。
数字は嘘をつかない。収益は昨年の三倍。雇用は倍増。領地税は安定。氷室の拡張も完了。
だが、順風満帆という言葉は甘すぎる。
「お嬢様」
書記官が硬い表情で報告する。
「南方砂糖商会が、王都で“北糖は粗悪”という風説を流しています」
予想はしていた。
遠方から高価な砂糖を運び、莫大な利を得てきた者たちにとって、北の白砂糖は脅威だ。
私は微笑む。
「ならば、味で証明しましょう」
翌週、王都で試食会を開いた。
招待状を送ったのは、貴族だけではない。料理人、茶商、パン屋。甘味を扱う全員。
大広間に並ぶ白い菓子。
ふわふわのパンケーキ。
軽いスポンジ。
砂糖衣をまとった焼き菓子。
そして、硬いパンしか知らなかった世界に現れた“柔らかさ”。
最初に声を上げたのは老舗菓子職人だった。
「……軽い」
それだけで十分だった。
味は真実だ。舌は嘘をつかない。
その場で北糖の定期契約が三件決まった。
商会の風説は数日で沈黙する。
だが、甘味の余波は別の方向へも広がる。
王都のパン屋ギルドが抗議文を提出した。
「魔法の粉は不正である。伝統を壊す」
ベイキングパウダーのことだ。
私は議会で答える。
「魔法ではありません。理です。化学です」
重曹、酒石、乾燥。反応。膨張。
理屈を説明しても、半数は理解しない。
だがもう半数は気づく。
便利さは力だ。
効率は正義だ。
議会は結論を出す。
「使用を認める。ただし製法公開は北の裁量」
私は小さく息を吐く。
守るべきは技術。独占ではない。秩序だ。
帰路、馬車の窓から王都を見る。
茶だけを出す店に、北の砂糖が置かれている。
小さな変化。
だが確実な変化。
北に戻ると、子供たちが広場で遊んでいた。
手には白い綿のような菓子。
砂糖を溶かし糸状にした新作だ。
「お嬢様、見て!」
無邪気な笑顔。
甘味は貨幣以上の価値を生む。
幸福。
誇り。
未来。
夜、私は一人で工房に立つ。
鍋でてんさいシロップを煮詰める。
静かな泡。
甘い香り。
婚約破棄されたあの日、私は価値を失ったと思った。
だが違った。
価値は他人が決めるものではない。
自分で作るものだ。
甘味の余波は止まらない。
南方商会は新たな圧力をかけるだろう。
王家はさらなる税を求めるかもしれない。
だが北は揺るがない。
寒さは守り。
乾燥は武器。
理は盾。
私は鍋を火から下ろす。
白い結晶が浮かび上がる。
美しい。
冷たい土地で生まれた、温かい光。
「次は、何を甘くしましょうか」
呟きは、静かな決意。
甘味の余波は、やがて王国全体を変える。
そしてその中心に、私は立っている。
甘味の戴冠式からひと月。
北は相変わらず白い蒸気に包まれているが、その空気は以前とは違っていた。寒さは同じ。風も同じ。だが人々の足取りが軽い。
市場ではてんさいが積み上がり、農民たちは誇らしげに語る。
「今年は出来がいいぞ。糖度も上がってる」
てんさいはただの根菜ではない。貨幣だ。未来だ。
王都への定期便が増えた。白砂糖は貴族の食卓へ、シロップは庶民の鍋へ。甘味は階級を越えて流れ始めている。
私は帳簿を閉じる。
数字は嘘をつかない。収益は昨年の三倍。雇用は倍増。領地税は安定。氷室の拡張も完了。
だが、順風満帆という言葉は甘すぎる。
「お嬢様」
書記官が硬い表情で報告する。
「南方砂糖商会が、王都で“北糖は粗悪”という風説を流しています」
予想はしていた。
遠方から高価な砂糖を運び、莫大な利を得てきた者たちにとって、北の白砂糖は脅威だ。
私は微笑む。
「ならば、味で証明しましょう」
翌週、王都で試食会を開いた。
招待状を送ったのは、貴族だけではない。料理人、茶商、パン屋。甘味を扱う全員。
大広間に並ぶ白い菓子。
ふわふわのパンケーキ。
軽いスポンジ。
砂糖衣をまとった焼き菓子。
そして、硬いパンしか知らなかった世界に現れた“柔らかさ”。
最初に声を上げたのは老舗菓子職人だった。
「……軽い」
それだけで十分だった。
味は真実だ。舌は嘘をつかない。
その場で北糖の定期契約が三件決まった。
商会の風説は数日で沈黙する。
だが、甘味の余波は別の方向へも広がる。
王都のパン屋ギルドが抗議文を提出した。
「魔法の粉は不正である。伝統を壊す」
ベイキングパウダーのことだ。
私は議会で答える。
「魔法ではありません。理です。化学です」
重曹、酒石、乾燥。反応。膨張。
理屈を説明しても、半数は理解しない。
だがもう半数は気づく。
便利さは力だ。
効率は正義だ。
議会は結論を出す。
「使用を認める。ただし製法公開は北の裁量」
私は小さく息を吐く。
守るべきは技術。独占ではない。秩序だ。
帰路、馬車の窓から王都を見る。
茶だけを出す店に、北の砂糖が置かれている。
小さな変化。
だが確実な変化。
北に戻ると、子供たちが広場で遊んでいた。
手には白い綿のような菓子。
砂糖を溶かし糸状にした新作だ。
「お嬢様、見て!」
無邪気な笑顔。
甘味は貨幣以上の価値を生む。
幸福。
誇り。
未来。
夜、私は一人で工房に立つ。
鍋でてんさいシロップを煮詰める。
静かな泡。
甘い香り。
婚約破棄されたあの日、私は価値を失ったと思った。
だが違った。
価値は他人が決めるものではない。
自分で作るものだ。
甘味の余波は止まらない。
南方商会は新たな圧力をかけるだろう。
王家はさらなる税を求めるかもしれない。
だが北は揺るがない。
寒さは守り。
乾燥は武器。
理は盾。
私は鍋を火から下ろす。
白い結晶が浮かび上がる。
美しい。
冷たい土地で生まれた、温かい光。
「次は、何を甘くしましょうか」
呟きは、静かな決意。
甘味の余波は、やがて王国全体を変える。
そしてその中心に、私は立っている。
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