槍一本携えて ~本多忠勝奮闘記~

佐倉伸哉

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序 : 泰平

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 慶長十四年五月。
 江戸の上空は天高くまで群青色に彩られていたが、屋敷の縁側に座り空を仰ぐ老男性。老男性の鬢は白いものが目立つが、その大きな体躯は鍛えられた肉体であることが着衣の上からでも分かる。
 あれだけ泰平の世を望んでいたはずなのに、願いが叶うと今度は物足りなさを抱く。そんな自分は我が儘な奴だ、と心中で自嘲する。
 この江戸も十年ですっかり様変わりした。見渡す限り荒野が広がる寒村だったこの地も、今では諸国から人が集う一大都市へと変貌を遂げた。それもこれも仕える主のお陰だ。
 徳川家康。元は三河の弱小大名だったが、朝廷から征夷大将軍に任じられて全国の大名を統べる存在になった人だ。二年前に将軍職を辞したが、現在も天下人として政事に大きな影響力を保持していた。
 長年仕えてきた家臣としては殿の立身出世は誇らしく思うが、一抹の寂しさも感じている。日ノ本で第一の存在となった今では側に侍るのは治政に秀でた者が占め、自分のような者が召し出される機会は滅多にない。昔を思えば考えられない事だ。
 かつては重大事があれば主だった家臣が一堂に会して、家臣同士がそれぞれの意見を自由に出し合った。自然と熱が入り喧々諤々の議論に発展するのを家康はじっと上座で聞き入り、出尽くした頃合を見計らって自らの判断を明かす。主君と家臣の垣根を超えた関係が妙に懐かしい。主と会うのに人を介して約束を取り付けなければならないのが煩わしいし、その度に主が遠い存在になったことを嫌が応にも突きつけられる。
 澄み渡った空を一羽の鳶が伸び伸びと宙を泳ぎながら鳴いている。まるで燃え尽きた自分を励ましているようだ。
(……あ奴が羨ましい)
 鳥居“彦右衛門尉”元忠。三河の頃から互いに戦場で競い合った朋輩。十年前、伏見城の留守を預かった元忠は二千の兵で四万を超える大軍を相手に討死。その後に勃発した天下分け目の大戦で徳川勝利に少なからず貢献した。死を運命づけられながら主の為に槍働きが出来る舞台を与えられ、大いに満足して逝ったのだろう。武人としてこれ程に誇らしいことは無い。
 最初に伏見城陥落の報を耳にした時は「愚か者が」と非難の言葉が口をついて出た。その自分勝手な振る舞いに激しく憤りの気持ちが芽生えた。しかし、時間が経った今は違う。与えられた役割を見事に全うして、御家の為に命を捧げた。それが心底から羨ましいと感じる。
 目線を床の間に移すと、そこには相棒が置かれていた。相棒と言っても人ではなく、使い込まれた槍である。が、長年連れ添ってきた自分には分かる。相棒は訴えていた、“我を使え”と。実際に声を発しないけれど心に語りかけてくる。
 “飾られているなんて御免だ”“早く、早くいつものように我を荒々しく振り回せ”悲哀の滲む相棒の呼び掛けに応えたい気持ちは常に持ち続けている。
(……魂の叫びに呼応するのも一興、か)
 据えられた槍を握ると畳を蹴って駆け出した。部屋を抜け廊下を突っ切り、素足で庭に飛び降りる。勢いそのままに影も形も見えない敵に穂先を向けた。体の内から湧き上がる衝動に身を委ね、思うがままに体を動かす。穂で貫き、石突で叩き、柄で押し込める。手応えの無いまま、暴れまくる。
 “まだだ”“まだ足りぬ”飢えた相棒はもっともっとと煽り立てる。風を切り、土を削り、小石を弾いても満たされず狂ったように槍を振り回す。
 次第に汗が滴って着衣は雨に濡れたように湿り気を帯び、息も上がり呼吸も苦しくなる。しかし尚も相棒は“まだまだ”と急き立てる。ならば限界が来るまで、いやそれも越えて腕が上がらなくなり槍を握れなくなるまで続けてみるか。
――― 虚しくないのか ―――
 動作の間隙を突いて相棒は不意に訊ねてきた。その声に槍を振るう手を一旦止める。相棒はいつも自分の弱点を容赦なく突いてくる。
 余計な手は一切挟まず、急所一点のみ狙って放たれる一撃。おまけにその突きは鋭く迷いが見られない。
 これまで会ってきた誰よりも手強い相手。自分の弱い部分を狙い澄まして攻めるのは自分の分身同然だからか。
 すっかり荒れた息をゆっくりと整えて、再び空を見上げる。相変わらず鳶は何者にも縛られず大空を悠々と飛び回っていた。
 よくよく考えてみれば、こうしてのんびりと空を眺めたのはいつ以来だろうか。どうせ時間は有り余っているのだ。たまには昔を思い返してみるのも悪くない。
 本多“平八郎”忠勝。徳川家の躍進に大きく寄与した功臣で、その武勇は武田信玄や織田信長、豊臣秀吉から称賛された。愛槍『蜻蛉切』と共に、生涯五十七度の戦に参加して掠り傷一つ負わなかった当代屈指の猛将である。


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