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2. 月曜日(前)
しおりを挟む月曜日。九イニングを完投した疲れがまだ残る岡野は気だるげな表情を浮かべて教室に入った。
すると教室内に男女入り混じって人だかりが出来ている場所があった。
「ねぇ新藤君! 昨日の試合も勝ったんだって!?」
「そうだよ」
女子生徒の問いかけに柔らかな微笑みで返す新藤。若手俳優の面影も感じられる爽やかなルックスは女子受けも上々、台詞のないモブキャラみたいな顔の岡野とは天地の差である。
「次の試合っていつ?」
「今度の土曜。もし良かったら応援しに来てくれると嬉しいな」
「行く行くー!」
キャーキャーと騒ぐクラスメイトとは対照的に、黙々と教科書やノートを用意すると岡野は机に突っ伏して眠ってしまった。
泉野高は金沢市南部の郊外にある公立高校で、県内屈指の偏差値を誇る進学校である。戦後暫くしてから開設された歴史ある学校で、卒業生には国会議員や俳優などが居る。また理数系に特化したコースがあるのも特徴の一つに挙げられる。
スポーツ分野ではサッカー部がそれなりに強いことで知られ、野球部に関しては一回戦を勝てれば上出来というレベルであった。当然ながらグラウンドはサッカー部・陸上部と共用、しかも比率的にはサッカー部の占有率が多めという状況だ。
あまり期待されていない野球部が秋の大会で躍進を遂げたのは、弱小校を次々と強豪にまで押し上げた実績ある指導者に代わった訳でもなく優秀な成績を残した野球部員を大量にスポーツ推薦で入学させた訳でもない。
強いて理由を挙げるとするなら、有望な選手が一人入ってきたこと。その人物とは、先日の試合でもマスクを被っていた新藤。
新藤はリトルリーグの頃から地区で知られた有名人だった。バッティングでは鋭い当たりを連発、足もそれなりに速く、肩も強いし守りも上手。非の打ち所がない選手で本職じゃないショートを守らされることもあった。
走攻守に隙のない、正しくスーパースター。それが新藤という選手だった。
中学へ進学しても強豪校で一年生からスタメンに抜擢、最後の年には全国大会に出場してベストナインに選ばれた。
一方の岡野は……好きだから野球を続けているという、至って普通な球児だった。上級生が抜けた後にようやくベンチ入りを果たして、エースが崩れた後に登板の機会を得る。そんな選手だった。
同じ地区ということで新藤の在籍するチームと何回か対戦したが、勝負にならなかった。天才と凡人の差は早い段階で自覚していたので、結果については淡々と受け止めていた。
学業面でそれなりの成績を残していた岡野は難関と言われる泉野高へ。無事に合格を掴み取り、高校でも野球を続けようと入部したが……まさか泉野高で新藤と対面するとは思わなかった。てっきり野球の強い私立の星城・金沢学園・学友館のどこかに行くだろうと考えていたし、実際他県の強豪から勧誘の話が幾つもあったと新藤本人が明かしてくれた。
「どうして強豪校へ行かなかったの?」
入部して間もない頃、誰かが質問すると新藤はあっさりと答えてくれた。
「親から『青春期の貴重な三年間を野球漬けの生活をするのは間違ってる』と猛反対されたから」
幼少期からプロ野球選手になるのを夢見て、日夜練習に励んできた。幸いなことに他の人よりも少しだけ才能に恵まれ、努力を怠らなければもしかすると手に届くかも知れない―――と意識し始めてからはさらに頑張ろうと精進した。
しかし、両親は“夢を追い続けること”については応援してくれたが、一方で現実的に考えるよう新藤を諭した。
『憧れのプロ野球選手になれるのは何十万に一人の確率だ。もし仮に夢が叶えば良いかも知れないが、叶わない人の割合が圧倒的に多い。野球しか能の無い人が社会で通用すると思うか?』
それから新藤は何度も両親と話し合いに臨んだが、翻意させることは出来なかった。スポーツ推薦の誘いを全て断り、進学校として有名な泉野高への受験を決断した。
だが、新藤はプロ野球選手になる夢を諦めていなかった。
学業に支障を及ぼさない程度でなら野球を続けても良いという約束を結び、野球部へ入った。強豪校に遠く及ばない練習環境の中でも効率と独自性で研鑽を積んだ。抜きん出た才能は入部当初から如何なく発揮され、一年の夏から不動のレギュラーとしてチームを牽引、三年生が引退すると当然の流れでキャプテンに就任した。
監督は野球経験ゼロの素人、しかも数年おきに人事異動に伴う入れ替わりがあるので、練習方針から試合中のサインまで全てキャプテンに丸投げという状況が常態化していた。その環境を逆手に取り、新藤は自分色に染めようと考えた。
練習設備も取り巻く環境も部員の質も強豪校に遠く及ばない中、弱小校なりの戦い方をすべきと新藤は考えた。
まず最初に着手したのは、守備力の徹底的な底上げ。
「得点を取れなくても、失点しなければ永久に負けることはない」
それが新藤の自論だった。エラーや四死球を極力減らして、自滅を避ける。とにかく失点を防いでいれば、いつか必ず勝機は巡ってくる。僅かなチャンスを信じて待つ、それが泉野高が生き残る術だと結論づけた。
練習メニューも以前と比べて大幅に変更が行われた。まずウォーミングアップの後、ノックや実践守備。猛練習でヘトヘトに疲れてから走塁練習、そして最後にバッティング練習。また、雨天でグラウンドが使えない場合は階段を利用した走り込みや空き教室を活用してバランスボールなど、下半身と体幹を鍛えるメニューを重視した。
さらに、全部員の能力や適性に応じて大胆なコンバートを実施。肩は弱いが足の速い外野手をセカンドへ、球速は出るがコントロールに難のあるピッチャーを外野手へ、肩は強いが守りの粗いショートをピッチャーに……といった具合だ。
その煽りを受ける形で二番手・中継ぎ要因だった岡野にエースナンバーが転がり込んできた。ピッチャーの中で一番制球が安定していたのと九回を投げ切れるスタミナが決め手らしい。
ただ、自分より実力が上の選手が入れば確実にエースナンバーは剥奪されると岡野は自覚していた。そしてまた、岡野自身も苦しい思いをしてまでエースの座を死守したいとは露とも考えていなかった。
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