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足おと
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足おと
宵藍の傷はとっくに癒えたはずだった。だけれど、蓮が近くで話している際でも突如寝落ちすることが稀にあった。今も蓮が釣りをしている横で佇んでいたが、気がつけば気を失ったように眠っている。宵藍は普段から静かなので、気付き辛い。眉を寄せていることもあり、蓮はその眉間の皺を伸ばすように擦った。嫌な夢でも見ているのだろうか。そうしているとその皺が薄れたので、安心する。
「突然だと、心臓に悪いんだよね」
蓮は釣竿を置いて宵藍の腕を自分の肩に回した。社の中に横たわらせて、呼吸を確認する。呼吸は浅い。
(できれば、はやくここから離れさせたいんだけど)
どこから来たのか、なぜここに来られたのかをやんわり聞き出そうとしたが、話したがらない。明確に無言なのだ。
宵藍と会ってからひと月は経っている。里の者たちが気付く前に、この山から離れてほしいが、離れてほしくない気持ちもあった。気兼ねなく、とまではいかないが、自分のことを何も知らない宵藍と共にいる時間は身体の力が抜けて楽だった。
釣りに戻ったところで声がパタパタと駆けてくる音が聞こえて、蓮は振り返る。ついに、見つかったと肝が冷えた。
「蓮兄」
「三郎、こんなところまでよく来たね。ここまで距離あるんだけど」
「蓮兄、最近いつも同じ所に釣り行ってるだろ?良い修行場があるのかなって思ってついてきた。ここまで来るの、大変だったし、迷うし、来るまでが修行だったけど」
蓮はほがらかに笑った。時に子どもは勘が鋭く大人よりも厄介になることがある。宵藍が起きないように、三郎が気づかないように願うしかない。
三郎は目ざとく社を見つける。
「祠?にしては少し大きいのかな。こんなところに神さまがいるの?古そうだけど」
「拙が見つけた時は葉が被り、木々が被っていたんだけど、古いわりには綺麗でね。誰がこんな所に建てたのか。御神体は盗まれたみたいでないんだけどね」
ふぅん、と子どもらしい好奇心で社を見に行こうとするので、蓮は呼び止めた。
「三郎、出かけて来ることは言ってから来たのかな?今日は、大兄さんと任務ではなかった?そろそろ戻らないと三郎の足では間に合わないかと思うよ」
「げ、やべ。蓮兄、お願い、近道教えて」
「近道?そんなものはないよ」
「え、あの距離毎日足で通ってるの?途中崖だったよ?本当に?」
「慣れれば大したことないよ。コツはあるんだ。一緒に帰ろうか」
頭を撫で、手を差し伸べれば、三郎は手をぎゅっと掴む。その手はマメだらけなので傷まないよう、やさしく握り返す。
――これで宵藍のことは気づかれずに済みそうだ。
「昨日来た子供は、あまり外に出さないほうが良い」
顔を合わせるなり感情の読めない顔で言った。
「目、覚ましてたんだ。そんな気はしていたんだよね。隠れていてくれてありがとう。子供でも三郎は勘が良いから。……それで、外に出さないほうが良いって、どういうこと?」
見上げれば、宵藍は視線を遮るように目を瞑る。
「話す気ない?」
「よくはない気配がする」
「なにそれ、全然わからないよ」
「我も、お前にどう話せばいいかわからん」
蓮は呆れた。
「君って、なんとういうか、会話する気、あまりないよね。いままでどうやって生きてきたのか不思議に思うよ」
「会話などという面倒なもの、我には不要だ」
宵藍は淡々と突き放すように言うので、蓮は「そう」と返した。
「外に出さないほうがって言われても、難しいかな。子供と言っても、役目はあるからね。でもまぁ、目はかけておくよ」
そう言えば、宵藍がすっと寄ってきて、頬を撫でてくる。
「なに?おまじない?くすぐったいよ」
「そうだ。お前には、世話になっているからな」
「ふぅん。やっぱり、わけわからないかな。だけど、嫌な気分はしないよ」
蓮が笑えば、宵藍は目を細めて眩しそうにした。
宵藍と約束してしまったので、三郎の後を追ってみる。
三郎は城下町で偵察をしていた。相手は三郎と同じ年頃の娘――敵将の娘、ゆり姫だ。お忍びで城下町を散策しているようで、隣には女中がおり、他にも護衛が五人、商人やらに変装して紛れ込んでいた。その紛れ方は、蓮が「うわ、へたくそ」と言ってしまうくらい下手だった。
大と三郎は兄弟で城下町に遊びに来た設定だ。
向かいから歩いてきた2人がゆり姫とすれ違う際に、ゆり姫の下駄が脱げて前のめりに転びかけた。それを三郎が抱き止め、そのまま一緒に転ぶ。本当なら一緒に転ぶところまでは台本にはないはずだ。
「いてて、おい、あんた大丈夫か?」
「あ、あああ、ありがとう、ございます」
顔が近かったせいで2人とも真っ赤だ。三郎も初心なので肩を掴んで離した。
ありきたりな物語りのようではあるが、概ね任務は成功している。
三郎の手元には媚薬が仕込まれている。ゆり姫に恋愛感情を抱かせるために、においを嗅がせる。自分たちがそれを嗅いだところでなんとも無いが、薬物慣れしてない者にとっては効果的面だろう。要人に近づくにはそれが一番手っ取り早く楽な方法だった。
(感情を操作するのは、少し可哀想な気がするけど)
なにせ2人ともまだ幼い。
大と女中が2人を起こしてぺこぺこと謝っている。
それを見やりながら、蓮は街中を歩いた。人混みもそこそこあるので、人と肩がぶつかる程度にはなり、少々歩きづらい。
離れたところにある橋の先から悲鳴が聞こえた。三郎やゆり姫も驚き、大や女中は2人を庇うように身を盾にした。ゆり姫の護衛も慌てて駆け寄る。
「人が倒れたぞ!」
「だれか!お医者様を」
あたりは騒然としていた。悲鳴が次から次へと上がる。蓮もひょこひょこと人垣の合間から顔を出した。男が1人倒れている。息絶えたのを確認してからその場を離れた。
蓮は暗殺に使った毒針と糸を火で炙った。それから釣り竿にかけて川へと垂らす。
ゆり姫にかまけてもう1人の要人は護衛なしだっあので、そのまま殺させてもらったのだ。長から殺すよう命じられていた者の1人だ。
これは仕事なのだ。特に何とも思わない。そういう風に育てられた。そういう風に育った。
「三郎たち怒ってるかな。せっかく良い雰囲気で出会えたのに、邪魔しちゃった気分。まー仕方ないよね」
針に引っかかった魚はビチビチと跳ねた。
「元気、元気だね。よし」
「蓮、何をしている」
「わぁっ」
気が緩んでいたのだろうか。宵藍の気配が全く感じ取れなかった。ここは社から随分離れた場所だ。里に近い。蓮はできるだけ平常心を保ちながら、宵藍を見上げた。
「なに、宵藍。こんなところで会うなんて、思ってもいなかったな。よく、来られたね」
「お前のおかげだ」
「どういう意味?」
「お前のおかげで、我の力の大部分が戻った」
「力?体調が良くなったという意味で良いかな?それは良かったね、と言いたいところなのだけれど、君はどうやってここまで来たの?」
「お前の気配を辿った」
「拙の、気配?」
「そうだが」
背中が、凍る思いがした。蓮は、足音はおろか、気配を消すことは得意である。それを辿ってきた、というのだろうか。何故。何のために。もしかして、見られていた?なにを。どこまで。そんな馬鹿な。
「蓮、お前が何を疑問に思っているのかが、我にはわからない。だが、我はお前が何を思うと、何者であろうと受け入れよう」
「え……」
蓮の世界から音が消える。
宵藍は、自分が何者なのかを知っているのか。
それは確信をついていた。
宵藍は蓮から目を離さずに近寄り、蓮の頬を撫でた。
「ずるい。ずるいなぁ。宵藍は」
蓮が何か言おうと迷っていると金眼を少しだけ柔らかくした宵藍が蓮に言い聞かせる。
「言いたくないのであれば、何も言う必要はない」
「わかった。言わない」
蓮は少しだけ、と目を閉じた。
宵藍の傷はとっくに癒えたはずだった。だけれど、蓮が近くで話している際でも突如寝落ちすることが稀にあった。今も蓮が釣りをしている横で佇んでいたが、気がつけば気を失ったように眠っている。宵藍は普段から静かなので、気付き辛い。眉を寄せていることもあり、蓮はその眉間の皺を伸ばすように擦った。嫌な夢でも見ているのだろうか。そうしているとその皺が薄れたので、安心する。
「突然だと、心臓に悪いんだよね」
蓮は釣竿を置いて宵藍の腕を自分の肩に回した。社の中に横たわらせて、呼吸を確認する。呼吸は浅い。
(できれば、はやくここから離れさせたいんだけど)
どこから来たのか、なぜここに来られたのかをやんわり聞き出そうとしたが、話したがらない。明確に無言なのだ。
宵藍と会ってからひと月は経っている。里の者たちが気付く前に、この山から離れてほしいが、離れてほしくない気持ちもあった。気兼ねなく、とまではいかないが、自分のことを何も知らない宵藍と共にいる時間は身体の力が抜けて楽だった。
釣りに戻ったところで声がパタパタと駆けてくる音が聞こえて、蓮は振り返る。ついに、見つかったと肝が冷えた。
「蓮兄」
「三郎、こんなところまでよく来たね。ここまで距離あるんだけど」
「蓮兄、最近いつも同じ所に釣り行ってるだろ?良い修行場があるのかなって思ってついてきた。ここまで来るの、大変だったし、迷うし、来るまでが修行だったけど」
蓮はほがらかに笑った。時に子どもは勘が鋭く大人よりも厄介になることがある。宵藍が起きないように、三郎が気づかないように願うしかない。
三郎は目ざとく社を見つける。
「祠?にしては少し大きいのかな。こんなところに神さまがいるの?古そうだけど」
「拙が見つけた時は葉が被り、木々が被っていたんだけど、古いわりには綺麗でね。誰がこんな所に建てたのか。御神体は盗まれたみたいでないんだけどね」
ふぅん、と子どもらしい好奇心で社を見に行こうとするので、蓮は呼び止めた。
「三郎、出かけて来ることは言ってから来たのかな?今日は、大兄さんと任務ではなかった?そろそろ戻らないと三郎の足では間に合わないかと思うよ」
「げ、やべ。蓮兄、お願い、近道教えて」
「近道?そんなものはないよ」
「え、あの距離毎日足で通ってるの?途中崖だったよ?本当に?」
「慣れれば大したことないよ。コツはあるんだ。一緒に帰ろうか」
頭を撫で、手を差し伸べれば、三郎は手をぎゅっと掴む。その手はマメだらけなので傷まないよう、やさしく握り返す。
――これで宵藍のことは気づかれずに済みそうだ。
「昨日来た子供は、あまり外に出さないほうが良い」
顔を合わせるなり感情の読めない顔で言った。
「目、覚ましてたんだ。そんな気はしていたんだよね。隠れていてくれてありがとう。子供でも三郎は勘が良いから。……それで、外に出さないほうが良いって、どういうこと?」
見上げれば、宵藍は視線を遮るように目を瞑る。
「話す気ない?」
「よくはない気配がする」
「なにそれ、全然わからないよ」
「我も、お前にどう話せばいいかわからん」
蓮は呆れた。
「君って、なんとういうか、会話する気、あまりないよね。いままでどうやって生きてきたのか不思議に思うよ」
「会話などという面倒なもの、我には不要だ」
宵藍は淡々と突き放すように言うので、蓮は「そう」と返した。
「外に出さないほうがって言われても、難しいかな。子供と言っても、役目はあるからね。でもまぁ、目はかけておくよ」
そう言えば、宵藍がすっと寄ってきて、頬を撫でてくる。
「なに?おまじない?くすぐったいよ」
「そうだ。お前には、世話になっているからな」
「ふぅん。やっぱり、わけわからないかな。だけど、嫌な気分はしないよ」
蓮が笑えば、宵藍は目を細めて眩しそうにした。
宵藍と約束してしまったので、三郎の後を追ってみる。
三郎は城下町で偵察をしていた。相手は三郎と同じ年頃の娘――敵将の娘、ゆり姫だ。お忍びで城下町を散策しているようで、隣には女中がおり、他にも護衛が五人、商人やらに変装して紛れ込んでいた。その紛れ方は、蓮が「うわ、へたくそ」と言ってしまうくらい下手だった。
大と三郎は兄弟で城下町に遊びに来た設定だ。
向かいから歩いてきた2人がゆり姫とすれ違う際に、ゆり姫の下駄が脱げて前のめりに転びかけた。それを三郎が抱き止め、そのまま一緒に転ぶ。本当なら一緒に転ぶところまでは台本にはないはずだ。
「いてて、おい、あんた大丈夫か?」
「あ、あああ、ありがとう、ございます」
顔が近かったせいで2人とも真っ赤だ。三郎も初心なので肩を掴んで離した。
ありきたりな物語りのようではあるが、概ね任務は成功している。
三郎の手元には媚薬が仕込まれている。ゆり姫に恋愛感情を抱かせるために、においを嗅がせる。自分たちがそれを嗅いだところでなんとも無いが、薬物慣れしてない者にとっては効果的面だろう。要人に近づくにはそれが一番手っ取り早く楽な方法だった。
(感情を操作するのは、少し可哀想な気がするけど)
なにせ2人ともまだ幼い。
大と女中が2人を起こしてぺこぺこと謝っている。
それを見やりながら、蓮は街中を歩いた。人混みもそこそこあるので、人と肩がぶつかる程度にはなり、少々歩きづらい。
離れたところにある橋の先から悲鳴が聞こえた。三郎やゆり姫も驚き、大や女中は2人を庇うように身を盾にした。ゆり姫の護衛も慌てて駆け寄る。
「人が倒れたぞ!」
「だれか!お医者様を」
あたりは騒然としていた。悲鳴が次から次へと上がる。蓮もひょこひょこと人垣の合間から顔を出した。男が1人倒れている。息絶えたのを確認してからその場を離れた。
蓮は暗殺に使った毒針と糸を火で炙った。それから釣り竿にかけて川へと垂らす。
ゆり姫にかまけてもう1人の要人は護衛なしだっあので、そのまま殺させてもらったのだ。長から殺すよう命じられていた者の1人だ。
これは仕事なのだ。特に何とも思わない。そういう風に育てられた。そういう風に育った。
「三郎たち怒ってるかな。せっかく良い雰囲気で出会えたのに、邪魔しちゃった気分。まー仕方ないよね」
針に引っかかった魚はビチビチと跳ねた。
「元気、元気だね。よし」
「蓮、何をしている」
「わぁっ」
気が緩んでいたのだろうか。宵藍の気配が全く感じ取れなかった。ここは社から随分離れた場所だ。里に近い。蓮はできるだけ平常心を保ちながら、宵藍を見上げた。
「なに、宵藍。こんなところで会うなんて、思ってもいなかったな。よく、来られたね」
「お前のおかげだ」
「どういう意味?」
「お前のおかげで、我の力の大部分が戻った」
「力?体調が良くなったという意味で良いかな?それは良かったね、と言いたいところなのだけれど、君はどうやってここまで来たの?」
「お前の気配を辿った」
「拙の、気配?」
「そうだが」
背中が、凍る思いがした。蓮は、足音はおろか、気配を消すことは得意である。それを辿ってきた、というのだろうか。何故。何のために。もしかして、見られていた?なにを。どこまで。そんな馬鹿な。
「蓮、お前が何を疑問に思っているのかが、我にはわからない。だが、我はお前が何を思うと、何者であろうと受け入れよう」
「え……」
蓮の世界から音が消える。
宵藍は、自分が何者なのかを知っているのか。
それは確信をついていた。
宵藍は蓮から目を離さずに近寄り、蓮の頬を撫でた。
「ずるい。ずるいなぁ。宵藍は」
蓮が何か言おうと迷っていると金眼を少しだけ柔らかくした宵藍が蓮に言い聞かせる。
「言いたくないのであれば、何も言う必要はない」
「わかった。言わない」
蓮は少しだけ、と目を閉じた。
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