妖のツガイ

えい

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 鱗山の中腹に見晴らしの良い池がある。透き通った水には色とりどりの花が浮かんでいた。
 蓮は池のほとりにある東屋で姿勢を正して座していたが、七生に「無理するな」と言われて苦笑いしながら足を崩した。七生に用意してもらった座布団に顔を埋める。
 
「ごめんね。緊張感がないのはわかってるんだけど、眠いんだよ。おかしいくらい、眠いんだ」
 
 七生は術でポンポンと座布団を作り出しそれが山になった。不思議だなぁと思いながらその座布団の山にダイブする。
 
「知ってる。オマエの活動時間は短いからな。5時間も起きてれば良い方だ。ここまで来るだけでも大分かかってるからな」
「拙、前は3時間眠れれば良い方だったのに。どうしてだろうね」
「オマエにとってここは異世界だ。身体が慣れるためっていう説が濃厚じゃないか?つか、3時間は少ねぇ。寝ろ」
「異世界、異世界かぁ」
 
 だからいつまで経っても夢心地なのかもしれない。
 火焔からの依頼は妖魔の囮になることだった。
 もちろん七生が「バカじゃねーの?なんで蓮がそんな危ないこと!」と反対したが、火焔は「手っ取り早いからだ」と答える。火焔は合理主義のようだ。
 東屋の柵に腕を乗せて、池を眺める。鏡のように己を映した。美しい。絵のように美しい池だ。
 
「人喰い池ねぇ。綺麗な池なのに」
「ここは昔から人喰い妖魔が巣食っていたから、人間は、ほとんど近づかない。知能はあるから仙は襲わない。何回か人を使った囮作戦はしようとしたんだけどな。大抵の人間は嫌がるだろうよ。そもそも、俺ら妖仙と人間は仲が良いわけじゃねぇし」
「そうなんだ?守ってるって言うから、感謝はされてるのかと思ったけど」
「人間たちが信仰してるのは大将だけだ。仙人はまだ、元人間だから、まだマシな扱いだが、妖仙は石を投げられるぞ」
「だから、拙なんだね」
 
 七生は頷く。
 
「仙力も、妖力もない、ただの人間は藍仙郷では珍しいんだ」
 
 蓮は池のほとりを見る。複数の仙人か妖仙が護衛とばかりに距離を置いてついては来たが、その蓮に対して敵意を隠そうとしない。人間だと見下しているのと、人間のくせに宵藍の庇護があることを妬んでいる。おおよそ、人間と変わらない感情に蓮は笑った。――どこの世界でも、どんなに力を持とうと、そういう人間がいることに安心する。
 そして、七生が、そんな輩が大嫌いだと言うことも知った。
 
「いいか、絶対にここから動くなよ。蓮を守るのは俺の仕事。俺以外は全員敵だと思えよ。つか、実質敵だからな。あんな奴らに手柄を取られてたまるか」
 
 蓮は穏やかに笑って頷いた。
 
「うん。もちろん」


 それは、一瞬だった。
 七生は目を光らせて蓮を護衛していたが、共に来た妖仙に呼ばれて、意識がそちらへと向いた瞬間に池から蔓が伸びて引き摺り込まれた。
 人喰い池というので、池から怪物が現れるのだろうかなどと思っていたが、実際は静かで呆気ないものだった。
 当たり前だが、蓮自身は、不可思議な力は持っていない。水の中で呼吸は出来ないし、水に沈められてしまえば絶体絶命ではある。それでも、冷静に息を止めて状況判断ができたのは、長年の経験によるものだ。数多の修行のおかげ、水の中でも多少は自由に動ける。
 人喰い池は池底に棲まう蔓のような化け物らしい。蔓は一瞬で蓮を池に引き摺り込んだが、すぐに離した。
 
(ふむ。魔除けが効いたかな)
 
 蔓には人間の骸が絡まっている。巨大ではあるが、中心部とされる箇所に赤い眼があった。
 蓮はそこまで確認すると、水を蹴って泳ぐ。岸に上がれば飛び込もうとして羽交締めにあっていた七生が飛んできた。
 
「蓮‼大丈夫か!?いや、大丈夫じゃねぇな。おい、オマエら、着るもの寄越せ」
 
 七生の気迫に負けた妖仙が自分の着ていた羽織を蓮に掛けた。
 
「怪我はないか?なんかされたか?俺が守ると言っておきながら、守れなくて情けねぇ」
「大丈夫。魔除けのおかげかな。池に引きづり込まれてすぐに離されたからね。ほら、拙は無傷」
「無傷なのが、奇跡だ」
「それは、大袈裟だよ」
 
 蓮が七生を安心させるように笑いかける。
 ほっとしたのも束の間、ゴゴゴという地鳴りがして、池の中から大量の蔓が現れた。
 七生が蓮を守るようにして立ち、他の仙たちも剣を構えた。
 蔓は明確に蓮を狙ってくるが、無造作に他の仙をも串刺しにする気だ。
 中心から禍々しい花が姿を表し、こちらを覗く。赤い眼はその花の中心にあった。
 七生の一本の剣が蔓に弾かれ、蓮の足元に飛んだ。七生が舌打ちする。
 蓮はその剣を拾って、宙に投げた。1回、2回、3回と剣をくるくると回す。
 
「思ったより、軽いんだ」
「……蓮?」
「ちょっと貸してね」
 
 蓮は剣を握り直して、その花の赤い眼に向けて飛ばした。剣は蓮の思う通りに飛び、その赤い眼に突き刺さる。
 絶叫がこだまするので蓮は「うるさいな」と呟き耳を塞いだ。
 しゅーと音を立てて蔦が萎んでいく。剣がその生気を吸っているようだ。みるみるうちに小さくなり、残った花の花弁が池に浮かぶと、澄んでいた池は真っ赤に染まった。
 力を吸い終わった剣がカランと地に落ちる。銀の剣は黒く染まっていた。
 

 夜、寝台の上で微睡んでいると、宵藍が現れた。
 頬を撫でられて、眼を薄らと開けると、宵藍の呆れた顔が見えて笑いが込み上げてくる。
 
「楽しんだようだな」
「……宵藍はなんでもお見通しなんだね」
「我は忘れていない。お前の趣味は」
「“釣り”と“狩り”」
 
 魚や肉は好きだが、それよりも獲物を得ることに重きを置いていた。妖魔狩りはそれに近い。
 
「少し感覚を思い出したよ。あの剣ほしいな。軽くて鋭くてとても良い。あと釣竿も」
 
 宵藍は蓮の足首を掴んで「だめだ」と低く言う。足首は蔓に巻きつかれた箇所で、ずっと気持ち悪かったものがすっと引いた。
 妖魔を倒した後、七生たちは唖然としていたが蓮は気にしなかった。七生は「そういう特技は言えよ」とツンとしたが、剣がドス黒くなってしまったことにショックを受けて、しばらくしたらいつも通り蓮の世話を焼いていた。七生は感情的になりやすいがすぐに戻るので楽だった。
 迎えた火焔とハクノも様子を見ていたのか、労いの言葉を短く述べただけで終わった。火焔の顔には「使える」と書いてあったので、おそらくこれから蓮を良いように使うつもりだろう。
 
「お前に武器を持たせればロクなことに使わないだろう。釣竿は……まぁ、良い。火焔にでも頼むと良い」
「身を守るもの欲しいなぁ」
「蓮」
 
 間近で金眼に覗かれる。奥を覗かれているような眼で、心臓が跳ねた。目が逸らせなくなる。
「お前に武器は必要か?」
「…………そう聞かれると、あまりいらないかも」
 
 言わされた感があるのは否めない。
 宵藍の眼を見ていて思い出したことがある。
 
「そういえば、花に赤い眼があった」
「眼を合わせたか?」
「合ったのかな。よくわからないや。模様みたいな眼だったし。眼を合わせるとどうなるの?」
 
 宵藍は眼を細めて言った。
 
「気を吸われる」
「――拙の気はおいしい?」
 
 それは宵藍に向けられて言っていた。気づいた宵藍はあきらめるように言った。
 
「……………………そうだな。不快か?」
「まさか。宵藍になら全部あげる」
「………………………………」
「なんで無言になるの。拙、おかしなこと言った?」
「おかしなことは言ってない。気にするな」
「ん、気にする」
 
 宵藍に頬を撫でられ、誤魔化されそうになるが、やっぱり、と蓮は思い直す。
 
「武器、ほしいな」
 
 宵藍は呆れて「諦めろ」と低く言い、蓮の眼の奥を覗いた。
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