悲しみの迷宮

軫成恵

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 薄暗い石畳。小さな、小さな窓から入ってくる、わずかな光。ぽつん、ぽつんと水の滴る音が響いた。もぞもぞと身動きする二人の影。それ以外に、動いているものはいなかった。二人――少年と女性が毛布にくるまって温めあっていた。
「父上、お元気かな?」
 そう言った少年を女性はぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい………、ごめんなさい」
 謝罪の言葉を繰り返す女性に、少年は不思議そうにみつめる。
「母上………?」
 少年の言葉に、女性―ー母親は平すら謝るばかりだ。

 薄暗い暗闇が徐々に徐々に、さらなる暗闇へと塗りかえられる。
 いつの間にか母親も消え、少年は一人。
 暗闇の中に一人ただずむ少年は、ただ、ただ、足を進めた。次第に早足になり、走り出した少年の行きつく場所はなく。息が上がり、その場でへたり込んでも、誰もそこにはいない。
『君は、知っているんだろう?』
 どこからか、声が聞こえた。少年の方がピクリと揺れる。
『生まれて来たら、いけなかったんだ』
「―――知っているよ」
 歯を食いしばる少年は、応えた。どことも知れぬ声の主に。瞳が揺れる。ぎゅっとつむった、今にも泣きそうな少年は続ける。
「愛してくれたこと。どうして、俺を好いてくれたのか。何も価値のないこの命。あの人のために生き、あの人のために死ぬ。それでよかったのに。どうして――殺してくれなかったのか。俺が、初めから、あの時、生まれてこなければよかったんだ」
『わかっているのに、どうして、今も生きてるの?』
 少年は、手を握りしめた。手からは血が滴り、地へ落ちた。
「生きろ、といってくれたその言葉にすがって生きているだけだ。死にぞこなっただけなんだ」
『その価値が、ないのに?』
 淡々とした声は、その暗闇、全体に響く。
「知っているよ。殺されて、楽になれたらどれだけよかったか。失うものは、この命一つで済んだのに。父上も母上も、兄上も。彼らが笑って生きてくれれば、それでよかったんだ」
 少年は今にも泣きそうな顔で、闇を見据えた。少年は一人。けれども、何か見えているかのようで。
「この命一つで贖(あがなえ)ればよかったのに」
 暗闇の中で、また一つ、別の声がわずかに聞こえた。少年はそちらを振り返る。
「この命一つで、贖えないこと」
『そう、俺たちは』
「『消えてなくなるはずだった命』」
「助けられて」
『掬(すく)い取られた』
「価値のない命に、意味をくれたのは」
『いつだって、あのひとだったから』
「あの人のためにつかえるなら」
『どれだけよかったのか』
「けれども、あの人はこの命を使ってはくださらなかった」
「『還る場所は、砂塵のごとく。漂い、消えゆくこの命。果てるその日でも、俺はきっと自分を赦すことはできない。殺されて死ねるなら、本能だ。贖えるその瞬間を、俺はいつでも願っている』」
 その言葉に反論するものは、そこには誰もいなかった。



 見慣れぬ天井。徐々に明るくなっていく部屋。それを、ぼー、と見ながら、徐々に思考が明瞭になっていく。窓から差し込む朝日が眩しくて、タカは眉を寄せた。
「朝か………」
 もぞもぞとベッドから抜け出したタカは、鼻腔をくすぐる香りに気がつく。
「お茶………?」
 タカは首を傾げながら、香りのする方へと目線を移す。
「おはよう」
 タカが起きたことに気が付いたシダカは、にっこり笑って声をかける。
「おはよう…………」
 もの言いたげなタカに、シダカは「何?」と声をかける。
「いや、馴染んでるなと思って…」
「ここにティーパック置いてあったよ」
 示す先には小さな籠。蛇口にコンロ、小さな冷蔵庫まで完備されていた。
「………そうか」
「これとか、どう?」
 シダカが手に持っている「それ」は、ツィスニル国の茶葉だった。彼の手元を見ると、ほかにもいろいろなものがあった。なじみのあるお茶のほかにも、果物の香りのするお茶、花茶、水に溶かして飲む、ジュースの粉末、冷蔵庫の中にも缶がいれてあった。タカは、シダカに差し出されたお茶の封をきり、カップにお湯を注いだ。
「タカ、今日の予定は?」
「………お前も来るのか」
 シダカの問いには答えずに、タカは尋ねた。
「もちろん」
 はぁ、とため息をついて、タカは答える。
「晟雅とともに、能力のコントロールするように訓練する、だろう?」
 そうだね、とシダカは頷いて。
「本当に、君はお人よしだね」
 タカは首を傾げた。
「どこがだよ」
「すべてがさ」
「きをつけてね。僕も同席はするけど、『コントロール』することに関して、僕が手を加えることはできないんだからさ」
「ああ。肝に銘じておく」
 そういって、タカは席を立つ。後ろからついていくシダカはポツリとつぶやいた。
「わかっていってんのかなぁ」
 その言葉は、タカの耳には聞こえなかった。 
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