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第1章:偽りの聖女と婚約破棄
2話
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――きぃ、と金具が鳴る音。
扉の向こうからは、ざわざわとした人々の声が聞こえてきた。すでに多くの貴族や重鎮が集まっているのだろう。アストリッドは浅く息をつき、背筋を伸ばしてからゆっくりと大広間へ足を踏み入れた。
高い天井には豪奢なシャンデリアが煌めき、壁面には歴代の王の肖像画が飾られている。深紅の絨毯が奥の玉座へまっすぐ敷かれ、その両脇には神殿の関係者、そして王家の者が立ち並ぶ。
中央には国王陛下が玉座に腰かけ、隣にはアストリッドの父であるラルディア公爵、そのさらに隣に第一王子ライナーが控えていた。だが、ライナーは彼女と目が合うと気まずそうに視線を逸らす。
――どうして、こんなにも冷たい目つきなのだろう。
アストリッドは内心のざわめきを抑えつつ、一礼してから国王へと視線を向ける。
「陛下。お呼び立ていただき、ありがとうございます。公爵令嬢アストリッド・フォン・ラルディアにございます」
そう挨拶すると、国王は深く息をついて頷いた。その表情はどこか苦渋に満ちているように見える。
「……うむ。来てくれたか、アストリッド。お前には、今日ここで正式に伝えたいことがある。皆の前で、そして神殿の高司祭の前で……」
国王の言葉を受け、神殿を束ねる高司祭――白く長い髪と髭をたたえ、金の杖を持った老人が一歩前へ進む。その横には、まだ幼さの残る茶髪の少女が小さく身を縮めていた。
「わたしは神殿を代表する高司祭として、本日、神の意志を皆さまに伝えに参りました。――実は、先日神殿に“神託”が下ったのです」
高司祭の声は朗々と響き、大広間の中にいた貴族たちを静かにさせる。「神託」という言葉は、この国では絶対的な意味を持つ。どんなに権力を持つ貴族や王族であっても、神の意志を無視することはできない。
アストリッドの鼓動が、高鳴る。――まさか、神託などという大ごとに、自分はどう関わるのか。彼女は唾を飲み込み、表情を崩さないよう努めた。
「神は仰せられた。――“いままで聖女とされていた者は、真なる聖女に非ず。新たな聖女は別に存在する”……と」
一瞬、大広間に微かなざわめきが生じる。アストリッドは胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。
――“いままで聖女とされていた者は、偽り”……。
それは、明らかに自分のことではないのか。彼女が長年この国の聖女として祭り上げられてきたからこそ、そう言われることに強い違和感と苦痛を伴う。
高司祭の隣に立っている少女――茶髪の少女が、王族や貴族たちからの視線を浴び、少し緊張した様子で頭を下げる。その目には、しかしほんのわずかに喜びが宿っているようにも見えた。
「お、お初にお目にかかります。わたしはミレーユ・フォルトナと申します。……先日、神殿に仕えていたとき、神の声を聞きまして……」
ミレーユと名乗る少女は、確かに何か特別な力を持っているのかもしれない。アストリッドにはそれを否定するだけの材料もないが、だからといって、自分が「偽り」であると言われては到底納得できない。
高司祭は厳かな声で続ける。
「ミレーユ・フォルトナこそ、真なる聖女として神が選ばれし存在。これまで“聖女”とされてきたアストリッド・フォン・ラルディア殿は、その力の余波を受けて一時的に奇跡を起こせていただけに過ぎない……と神託は示しているのです」
「そ、そんな、馬鹿な……」
思わず口をついて出た言葉が、アストリッドの本音だった。自分が持つ癒しの力や奇跡は、生まれつきのものであり、実際この国の疫病を沈静化したり、困窮した農村を救ったりしてきた実績がある。
それを、一方的に「偽り」と断じられるなど、到底納得できない。
しかし、王家や神殿の重鎮たちは、どこか冷めた目でアストリッドを見つめる。彼女がこれまで成してきた奇跡は、本当は“ミレーユ”なる少女の力のおこぼれだった――まるで、そう決めつけているかのようだ。
ライナー――第一王子であり、アストリッドの婚約者でもある青年が歩み寄る。端正な顔立ちに金の髪。その瞳には複雑な色が揺れているが、彼が発する言葉は冷徹なものだった。
「アストリッド……。実は、俺も最近、お前の聖女としての力に陰りを感じていた。今までのような奇跡を見せないどころか、体調を崩すことも増えていたじゃないか」
「そ、それは……私も確かに、少し疲れが溜まっていただけで……」
「だが、事実として今の神託はお前が“偽り”だと言っている。もしお前が本物ならば、神託でそんなことが告げられるわけがない」
ライナーは眉をひそめながら言葉を続ける。その背後には国王とラルディア公爵、そして多くの貴族たちが黙して聞いている。
「……アストリッド。国は“真なる聖女”であるミレーユをこれから重用し、国を導く聖女として迎え入れる意向だ。それに伴って――お前との婚約は、残念だが解消せざるを得ない」
「な……」
頭の中が真っ白になる。自分を聖女と信じてくれたライナー、幼少の頃から支え合ってきたはずの婚約者が、平然とそう言い放つなど、想像もしていなかった。
ライナーは視線を逸らし、ややうつむいたまま言葉を絞り出す。
「お前が偽りかどうか、俺だってすぐには受け入れられない。けれど、神殿の高司祭が言う以上、逆らうことはできないんだ……。俺は王子として、国を守らなければならない。これ以上、偽りの聖女とされる存在と婚約を続けるわけにはいかない」
続いて、国王が重苦しい声音で告げる。
「……アストリッド、お前のこれまでの功績は認めている。だが、神の意志に背くことはできない。ゆえに、お前には聖女の地位を剝奪し、さらに王家との縁を断たねばならない……」
「待ってください、陛下……!」
アストリッドは声を震わせる。だが、玉座にいる王の目は厳しく、取り付く島がない。公爵としての威厳を漂わせていた父ラルディア公爵も、ただ沈痛な面持ちで黙り込むばかりだった。
そこで、まるで追い打ちをかけるように、高司祭が言い放つ。
「さらに、アストリッド・フォン・ラルディア殿には、王都からの追放を命ずる。……お前の存在は、民に混乱を与える。偽りの聖女がいつまでも王都に居座っては、国の秩序が保てん」
「――ッ!」
扉の向こうからは、ざわざわとした人々の声が聞こえてきた。すでに多くの貴族や重鎮が集まっているのだろう。アストリッドは浅く息をつき、背筋を伸ばしてからゆっくりと大広間へ足を踏み入れた。
高い天井には豪奢なシャンデリアが煌めき、壁面には歴代の王の肖像画が飾られている。深紅の絨毯が奥の玉座へまっすぐ敷かれ、その両脇には神殿の関係者、そして王家の者が立ち並ぶ。
中央には国王陛下が玉座に腰かけ、隣にはアストリッドの父であるラルディア公爵、そのさらに隣に第一王子ライナーが控えていた。だが、ライナーは彼女と目が合うと気まずそうに視線を逸らす。
――どうして、こんなにも冷たい目つきなのだろう。
アストリッドは内心のざわめきを抑えつつ、一礼してから国王へと視線を向ける。
「陛下。お呼び立ていただき、ありがとうございます。公爵令嬢アストリッド・フォン・ラルディアにございます」
そう挨拶すると、国王は深く息をついて頷いた。その表情はどこか苦渋に満ちているように見える。
「……うむ。来てくれたか、アストリッド。お前には、今日ここで正式に伝えたいことがある。皆の前で、そして神殿の高司祭の前で……」
国王の言葉を受け、神殿を束ねる高司祭――白く長い髪と髭をたたえ、金の杖を持った老人が一歩前へ進む。その横には、まだ幼さの残る茶髪の少女が小さく身を縮めていた。
「わたしは神殿を代表する高司祭として、本日、神の意志を皆さまに伝えに参りました。――実は、先日神殿に“神託”が下ったのです」
高司祭の声は朗々と響き、大広間の中にいた貴族たちを静かにさせる。「神託」という言葉は、この国では絶対的な意味を持つ。どんなに権力を持つ貴族や王族であっても、神の意志を無視することはできない。
アストリッドの鼓動が、高鳴る。――まさか、神託などという大ごとに、自分はどう関わるのか。彼女は唾を飲み込み、表情を崩さないよう努めた。
「神は仰せられた。――“いままで聖女とされていた者は、真なる聖女に非ず。新たな聖女は別に存在する”……と」
一瞬、大広間に微かなざわめきが生じる。アストリッドは胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。
――“いままで聖女とされていた者は、偽り”……。
それは、明らかに自分のことではないのか。彼女が長年この国の聖女として祭り上げられてきたからこそ、そう言われることに強い違和感と苦痛を伴う。
高司祭の隣に立っている少女――茶髪の少女が、王族や貴族たちからの視線を浴び、少し緊張した様子で頭を下げる。その目には、しかしほんのわずかに喜びが宿っているようにも見えた。
「お、お初にお目にかかります。わたしはミレーユ・フォルトナと申します。……先日、神殿に仕えていたとき、神の声を聞きまして……」
ミレーユと名乗る少女は、確かに何か特別な力を持っているのかもしれない。アストリッドにはそれを否定するだけの材料もないが、だからといって、自分が「偽り」であると言われては到底納得できない。
高司祭は厳かな声で続ける。
「ミレーユ・フォルトナこそ、真なる聖女として神が選ばれし存在。これまで“聖女”とされてきたアストリッド・フォン・ラルディア殿は、その力の余波を受けて一時的に奇跡を起こせていただけに過ぎない……と神託は示しているのです」
「そ、そんな、馬鹿な……」
思わず口をついて出た言葉が、アストリッドの本音だった。自分が持つ癒しの力や奇跡は、生まれつきのものであり、実際この国の疫病を沈静化したり、困窮した農村を救ったりしてきた実績がある。
それを、一方的に「偽り」と断じられるなど、到底納得できない。
しかし、王家や神殿の重鎮たちは、どこか冷めた目でアストリッドを見つめる。彼女がこれまで成してきた奇跡は、本当は“ミレーユ”なる少女の力のおこぼれだった――まるで、そう決めつけているかのようだ。
ライナー――第一王子であり、アストリッドの婚約者でもある青年が歩み寄る。端正な顔立ちに金の髪。その瞳には複雑な色が揺れているが、彼が発する言葉は冷徹なものだった。
「アストリッド……。実は、俺も最近、お前の聖女としての力に陰りを感じていた。今までのような奇跡を見せないどころか、体調を崩すことも増えていたじゃないか」
「そ、それは……私も確かに、少し疲れが溜まっていただけで……」
「だが、事実として今の神託はお前が“偽り”だと言っている。もしお前が本物ならば、神託でそんなことが告げられるわけがない」
ライナーは眉をひそめながら言葉を続ける。その背後には国王とラルディア公爵、そして多くの貴族たちが黙して聞いている。
「……アストリッド。国は“真なる聖女”であるミレーユをこれから重用し、国を導く聖女として迎え入れる意向だ。それに伴って――お前との婚約は、残念だが解消せざるを得ない」
「な……」
頭の中が真っ白になる。自分を聖女と信じてくれたライナー、幼少の頃から支え合ってきたはずの婚約者が、平然とそう言い放つなど、想像もしていなかった。
ライナーは視線を逸らし、ややうつむいたまま言葉を絞り出す。
「お前が偽りかどうか、俺だってすぐには受け入れられない。けれど、神殿の高司祭が言う以上、逆らうことはできないんだ……。俺は王子として、国を守らなければならない。これ以上、偽りの聖女とされる存在と婚約を続けるわけにはいかない」
続いて、国王が重苦しい声音で告げる。
「……アストリッド、お前のこれまでの功績は認めている。だが、神の意志に背くことはできない。ゆえに、お前には聖女の地位を剝奪し、さらに王家との縁を断たねばならない……」
「待ってください、陛下……!」
アストリッドは声を震わせる。だが、玉座にいる王の目は厳しく、取り付く島がない。公爵としての威厳を漂わせていた父ラルディア公爵も、ただ沈痛な面持ちで黙り込むばかりだった。
そこで、まるで追い打ちをかけるように、高司祭が言い放つ。
「さらに、アストリッド・フォン・ラルディア殿には、王都からの追放を命ずる。……お前の存在は、民に混乱を与える。偽りの聖女がいつまでも王都に居座っては、国の秩序が保てん」
「――ッ!」
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