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ねむるということ
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「まあ、千隼くん、よく来てくれたわね。」
玄関で出迎えてくれたばあちゃんは、記憶の中より小さくなっていた。それもそうか、最後に会ったのはもう2,3年前だ。それでも足取りはしっかりしていて、家の中もとても綺麗に整理されていた。玄関にはばあちゃんの物とは思えないスニーカーが置かれていて、母さんの話を思い出した。もしかしたら下にいるのかな、なんて思ったけれど、リビングにはばあちゃんしかいなかった。促されてイスに腰かければ、机の上に置いてあった花瓶が目に留まる。とても良い香りがして、そうだばあちゃんは昔から花が好きだったな。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。」
目の間に置いてくれたティーカップからはとても良い香りがした。けれど普通の紅茶とは少し違う、爽やかな香りだ。一口飲んでみれば少し渋みがあって、でもとても美味しかった。
「これはね、ウバっていうの。珍しい香りでしょう。」
「へえ、初めて聞いた。でもすごいいい匂いだし、美味しい。」
「あら、ならよかったわ。私も最近頂き物でもらってねえ。せっかくだから千隼くんと一緒に飲もうと思って。」
ばあちゃんはそう言ってから一口紅茶を啜る。あら本当ね、美味しい。と微笑んだばあちゃんの笑顔は前会った時と全く変わっていなかった。1人でこの家を訪れた事なんて無かったから正直今日はとても緊張してしまっていた。けれど入ってみればこの家の匂いも家具も見慣れたものが多くて、気づけばあっという間に時間が過ぎていた。
ばあちゃん家までは住んでいるアパートから電車で1駅ほどだった。徒歩でも40分程度あれば着けそうな距離で、帰りは散歩がてら歩いて帰るつもりでいた。それを伝えれば、そうなのね、と優しく微笑む。
「夜はアルバイトがあるって言ってたものね。また今度、ゆっくり夕食も食べにおいで。」
「うん、ありがとう。」
「・・・あ、そうだ、千隼くん。一つお願いがあってね。」
ばあちゃんはそう言って、少し声を小さくする。
「天音くんの事、美晴から聞いたかしら。良かったら少し声をかけて行ってあげてくれない?」
「あー、うん。分かった。」
俺の返事にありがとう、とばあちゃんは少し困ったように微笑む。どうやら天音は2階にいるようで、ばあちゃんに促されるままゆっくりと階段を上がる。2階に上がって一番奥の部屋。ドアは閉まったままで、普段から内側から鍵を掛けているようだった。
部屋の前に立って、何を言おうか少し考えてみる。分かったとは言ってしまったものの、俺はなんて声を掛ければいいんだろうか。天音の事なんも知らねえしなあ。とりあえず、ノックは必要か。
コンコン、とノックをしても当然のように中から反応は無かった。
「えーと、俺、千隼。って言っても分かんねえか。」
「・・・。」
「あー、今日、シュークリーム買ってきたんだ。天音の分もあるからよかったら食べて。」
「・・・。」
「・・・。」
中から返事があるわけもなく、不自然な沈黙が流れた。「俺で良ければ話聞くよ。」「色々大変だったみたいだな。」なんて当たり障りのない言葉はすぐに頭に浮かんだけれど、かける言葉としては不適当な気がして結局何も言わなかった。俺がもし天音だったら急に現れた全然話したことないいとこ相手に相談なんか絶対しないしな。
「・・・じゃ、また。」
「・・・。」
それだけ声をかけて階段を降りる。下で待っていたばあちゃんは俺にありがとう、と微笑みかけてくれたが、その眉は少しハの字に曲がっていた。この表情、母さんにそっくりだなあ、なんて思いながらばあちゃんがくれた人参と玉ねぎを自分のリュックに入れる。帰り際、「いつでも来てね」と微笑むばあちゃんに頷いて手を振り返す。来たときは暖かかったのに、外はもう少し肌寒かった。遠くには色の変わり始めたイチョウの木が見えて、秋の訪れを感じた。
「じゃ、お疲れしたー。」
「お疲れ。気を付けて帰れよー。」
奥でレジ締めをしている店長に声をかけてお店を出る。外の空気を吸った瞬間、はあ、と思わずため息が出てしまった。毎週の事だが金曜日の夜は本当に忙しい。数時間立ちっぱなしだった足はもうボロボロで、すぐ近くの公園のベンチに腰を下ろした。本当は帰ってすぐ寝たいところだけど、バイト先からアパートまで自転車で20分近くかかる。すぐに自転車に乗れる体力は残っていなくて、こうやって少し休んでから帰宅するのもよくある事だった。
バイトをしているのは個人営業の居酒屋で、基本的に店長とバイト1人で回している。金曜日や土曜日はバイトが2人体制になるのだが、今日はもう1人のバイトの子が急遽体調不良で休みになってしまったのだ。普段だったら0時を回る前にはアパートに帰れるのだが、今日は既に0時を回ってしまっている。店長もさすがに気の毒に思ってくれたのか、賄いが見たことないくらい豪華だった。
はあ、ともう一度ため息をついてスマホを開く。一番上には母さんからのメッセージが来ていて、妹とばあちゃんの2ショットが送られてきていた。そうだ、今日からばあちゃんが岐阜に数日間遊びに行くと聞いていた。天音にも声をかけたようだが、当然のように返事は無かったらしい。久しぶりにばあちゃんに会いに行ったあの日の後も、俺は何度かばあちゃん家に足を運んでいて、丁度先週会いに行ったばっかりだった。「すぐに食べられるようなご飯は用意してあるけど、食べてくれるかしらねえ。」なんてあまりにも不安そうな顔でばあちゃんが言うから、「何かあれば俺が見に行くよ。」なんて合鍵を預かってしまったのを思い出した。明日、見に行ってみるか。なんて思いつつ自販機で買った温かい緑茶を啜る。
「・・・帰るか。」
ふう、と息をついてから重い腰を上げる。ああ本当に足がパンパンだ。チャリ漕げるかなあ。盗難防止のチェーンを外して自転車のサドルに跨った所で、あれ、と動きを止める。なんか、揺れてるな。そう思った次の瞬間、明らかに地面の揺れを感じて咄嗟にしゃがみ込んだ。地震だ。慌てて自転車も横に倒して、しゃがみ込んだままバクバクと脈打つ心臓を抑える。幸いにも揺れはすぐにおさまって、すぐに地震速報をチェックする。よかった、津波の心配もないようだ。そんなに大きな揺れではなかったけれど、やはり怖いものは怖い。しばらくそこから動けずに、大きく深呼吸を繰り返した。数回息を吐いたところで、ふと、天音の顔が思い浮かぶ。・・・アイツ、大丈夫かな。物が落ちてくるような揺れではなかったはずだ、身体的な危険はないだろう。そもそもこの時間だし寝てて気づかなかったかもしれない、けど、でも、怖いよな、絶対。まだバクバクしている自分の胸に手を当てる。こんな夜に、家にひとりぼっちで、そう考え出したらいてもいられなくなって、思わず自転車に飛び乗っていた。
玄関で出迎えてくれたばあちゃんは、記憶の中より小さくなっていた。それもそうか、最後に会ったのはもう2,3年前だ。それでも足取りはしっかりしていて、家の中もとても綺麗に整理されていた。玄関にはばあちゃんの物とは思えないスニーカーが置かれていて、母さんの話を思い出した。もしかしたら下にいるのかな、なんて思ったけれど、リビングにはばあちゃんしかいなかった。促されてイスに腰かければ、机の上に置いてあった花瓶が目に留まる。とても良い香りがして、そうだばあちゃんは昔から花が好きだったな。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。」
目の間に置いてくれたティーカップからはとても良い香りがした。けれど普通の紅茶とは少し違う、爽やかな香りだ。一口飲んでみれば少し渋みがあって、でもとても美味しかった。
「これはね、ウバっていうの。珍しい香りでしょう。」
「へえ、初めて聞いた。でもすごいいい匂いだし、美味しい。」
「あら、ならよかったわ。私も最近頂き物でもらってねえ。せっかくだから千隼くんと一緒に飲もうと思って。」
ばあちゃんはそう言ってから一口紅茶を啜る。あら本当ね、美味しい。と微笑んだばあちゃんの笑顔は前会った時と全く変わっていなかった。1人でこの家を訪れた事なんて無かったから正直今日はとても緊張してしまっていた。けれど入ってみればこの家の匂いも家具も見慣れたものが多くて、気づけばあっという間に時間が過ぎていた。
ばあちゃん家までは住んでいるアパートから電車で1駅ほどだった。徒歩でも40分程度あれば着けそうな距離で、帰りは散歩がてら歩いて帰るつもりでいた。それを伝えれば、そうなのね、と優しく微笑む。
「夜はアルバイトがあるって言ってたものね。また今度、ゆっくり夕食も食べにおいで。」
「うん、ありがとう。」
「・・・あ、そうだ、千隼くん。一つお願いがあってね。」
ばあちゃんはそう言って、少し声を小さくする。
「天音くんの事、美晴から聞いたかしら。良かったら少し声をかけて行ってあげてくれない?」
「あー、うん。分かった。」
俺の返事にありがとう、とばあちゃんは少し困ったように微笑む。どうやら天音は2階にいるようで、ばあちゃんに促されるままゆっくりと階段を上がる。2階に上がって一番奥の部屋。ドアは閉まったままで、普段から内側から鍵を掛けているようだった。
部屋の前に立って、何を言おうか少し考えてみる。分かったとは言ってしまったものの、俺はなんて声を掛ければいいんだろうか。天音の事なんも知らねえしなあ。とりあえず、ノックは必要か。
コンコン、とノックをしても当然のように中から反応は無かった。
「えーと、俺、千隼。って言っても分かんねえか。」
「・・・。」
「あー、今日、シュークリーム買ってきたんだ。天音の分もあるからよかったら食べて。」
「・・・。」
「・・・。」
中から返事があるわけもなく、不自然な沈黙が流れた。「俺で良ければ話聞くよ。」「色々大変だったみたいだな。」なんて当たり障りのない言葉はすぐに頭に浮かんだけれど、かける言葉としては不適当な気がして結局何も言わなかった。俺がもし天音だったら急に現れた全然話したことないいとこ相手に相談なんか絶対しないしな。
「・・・じゃ、また。」
「・・・。」
それだけ声をかけて階段を降りる。下で待っていたばあちゃんは俺にありがとう、と微笑みかけてくれたが、その眉は少しハの字に曲がっていた。この表情、母さんにそっくりだなあ、なんて思いながらばあちゃんがくれた人参と玉ねぎを自分のリュックに入れる。帰り際、「いつでも来てね」と微笑むばあちゃんに頷いて手を振り返す。来たときは暖かかったのに、外はもう少し肌寒かった。遠くには色の変わり始めたイチョウの木が見えて、秋の訪れを感じた。
「じゃ、お疲れしたー。」
「お疲れ。気を付けて帰れよー。」
奥でレジ締めをしている店長に声をかけてお店を出る。外の空気を吸った瞬間、はあ、と思わずため息が出てしまった。毎週の事だが金曜日の夜は本当に忙しい。数時間立ちっぱなしだった足はもうボロボロで、すぐ近くの公園のベンチに腰を下ろした。本当は帰ってすぐ寝たいところだけど、バイト先からアパートまで自転車で20分近くかかる。すぐに自転車に乗れる体力は残っていなくて、こうやって少し休んでから帰宅するのもよくある事だった。
バイトをしているのは個人営業の居酒屋で、基本的に店長とバイト1人で回している。金曜日や土曜日はバイトが2人体制になるのだが、今日はもう1人のバイトの子が急遽体調不良で休みになってしまったのだ。普段だったら0時を回る前にはアパートに帰れるのだが、今日は既に0時を回ってしまっている。店長もさすがに気の毒に思ってくれたのか、賄いが見たことないくらい豪華だった。
はあ、ともう一度ため息をついてスマホを開く。一番上には母さんからのメッセージが来ていて、妹とばあちゃんの2ショットが送られてきていた。そうだ、今日からばあちゃんが岐阜に数日間遊びに行くと聞いていた。天音にも声をかけたようだが、当然のように返事は無かったらしい。久しぶりにばあちゃんに会いに行ったあの日の後も、俺は何度かばあちゃん家に足を運んでいて、丁度先週会いに行ったばっかりだった。「すぐに食べられるようなご飯は用意してあるけど、食べてくれるかしらねえ。」なんてあまりにも不安そうな顔でばあちゃんが言うから、「何かあれば俺が見に行くよ。」なんて合鍵を預かってしまったのを思い出した。明日、見に行ってみるか。なんて思いつつ自販機で買った温かい緑茶を啜る。
「・・・帰るか。」
ふう、と息をついてから重い腰を上げる。ああ本当に足がパンパンだ。チャリ漕げるかなあ。盗難防止のチェーンを外して自転車のサドルに跨った所で、あれ、と動きを止める。なんか、揺れてるな。そう思った次の瞬間、明らかに地面の揺れを感じて咄嗟にしゃがみ込んだ。地震だ。慌てて自転車も横に倒して、しゃがみ込んだままバクバクと脈打つ心臓を抑える。幸いにも揺れはすぐにおさまって、すぐに地震速報をチェックする。よかった、津波の心配もないようだ。そんなに大きな揺れではなかったけれど、やはり怖いものは怖い。しばらくそこから動けずに、大きく深呼吸を繰り返した。数回息を吐いたところで、ふと、天音の顔が思い浮かぶ。・・・アイツ、大丈夫かな。物が落ちてくるような揺れではなかったはずだ、身体的な危険はないだろう。そもそもこの時間だし寝てて気づかなかったかもしれない、けど、でも、怖いよな、絶対。まだバクバクしている自分の胸に手を当てる。こんな夜に、家にひとりぼっちで、そう考え出したらいてもいられなくなって、思わず自転車に飛び乗っていた。
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