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はたらくということ
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美玲の話を長いと感じるようになってしまったのはいつからだっただろうか。
「お先失礼しまーす。」
「お疲れー。」
首を回しながらパソコンに向き合っている先輩に挨拶をして会社を出る。外の空気を吸い込んだ瞬間、はあ、とため息が出てしまった。時刻は21時を回ったくらいで既に辺りは真っ暗だ。それでもこの時間に帰れるのはまだ早い方で、『今から帰る。』と美玲にメッセージを入れて駅へと向かった。
「おかえり。」
「ただいま。」
玄関を開けるとお肉の焼けた良い香りがして、お腹がぐう、と音を立てた。そういえば今日は忙しくて昼飯も食べられていなかったし、その事すら忘れてしまっていた。出迎えてくれた美玲はすでに部屋着にメガネ姿で、俺のスーツの上着を受け取ってくれる。
「ご飯温める?」
「あー、先風呂入っちゃおうかな。」
「分かった。タオル用意しとくから着替えちゃいな。」
「ありがとう。」
いーえ、と微笑んだ拍子に美玲の長めの前髪が揺れる。彼女とは大学生の同級生で、付き合って6年、同棲してからは4年目になる。同棲を始めたのはお互い就職をしたその年で、地獄のようにしんどかった社会人1年目を支えあって乗り越えてきた。気づけばそれからもうプラス3年経っていて、お互い社会人4年目。まだまだ分からないことばかりだけれど業務量は増え、後輩もできて、1年目とはまた違うしんどさを感じている。
お風呂を出てリビングに向かえば机の上には既に温かい夜ごはんが用意されていて、胃袋を直接刺激するような良い香りに生きててよかったあ、なんて大袈裟な感想が漏れそうになる。
「いただきます。」
「はい、召し上がれ。」
既に夕食を食べ終わっている美玲もお茶を啜りながら一緒にテーブルに座ってくれていて、これもいつもの事だった。
夕ご飯を食べすすめつつ、思考は今日の仕事のことに支配されていく。朝の会議、なかなかうまく進められなかったなあ。次の営業、坂中さんと一緒か、俺あの人苦手なんだよなあ。そういれば明日の取引先への訪問、まだ資料読みこめてないなあ・・・。
「ねえねえ、味どう?大丈夫?」
「・・・え、ああ、うん。美味しい。」
「ならよかった。今日鶏肉が安かったんだ~。」
美玲の言葉で思考が中断されて、けれどすぐに俺の頭は仕事のことで一杯になる。そうだ、来週末には職場のゴルフコンペにも参加しないといけなくて、少しだけでも練習をしておかなきゃな、クラブも揃えた方が良いだろうか。
「あ、ねえ聞いてよ。スーパーにね見た事ない味のカップラーメンがあってね。期間限定だったんだよね、買おうか迷ったんだけどさ~。」
ねえ、聞いてる?
そう言って美玲は俺の顔を覗き込む。「うん、聞いてる聞いてる。」そう答えるとふうん、少し不満そうにスマホに目を映す。あーあ、始まった。と、正直、思ってしまった。いつからか俺は、美玲の話が長いと感じるようになってしまった。帰ってきてすぐにご飯が食べられる幸せも、誰かが家にいてくれる安心感も、尊いものだと十分わかっている。わかっているのに。
「ほら~、絶対聞いてない。」
「・・・ごめん、ちょっと疲れてて。」
「そうだよね。今日も遅かったもんね。」
美玲はそう言って、こんな最低な俺をお疲れ様、と労ってくれる。彼女はは本当に素敵な子で、仕事が忙しくてまともなデートもしばらく出来ていないのに文句も言わないでいてくれる。たくさん我慢させていることは分かっていて、だから話くらい聞いてあげないといけない、頭では十分わかっているのに俺の頭の中はいつだって仕事のことが大半を占めていて、休みも疲労感で寝て潰してしまうことも多かった。彼女への罪悪感を抱えつつ、でもどうしても仕事の事が頭から離れてくれなかった。いつから俺はこうなってしまったんだろう、もう忘れてしまった。
「あれ、小平?」
「おお、堺じゃん。珍しい。」
30分にも満たない短い昼休憩後、職場に戻ろうとエレベーターを待っていれば同期の堺に遭遇した。彼の配属は人事課で、同じビルの中であっても部署がある階が違うから、こうして社内で合うことは珍しい。
「どうよ、元気にやってる?」
「・・・まあ、うん、そこそこ。堺は?」
「あんまり元気じゃなさそうだなおい。俺もまあ、そこそこ。」
俺の歯切れの悪い回答に堺がはは、と笑う。学生の時によくふざけて使っていた社畜なんて言葉がピッタリになっちまったよなあ、と堺は苦笑いするから、俺も大きくな付いてしまった。
「ていうか飲み行こうぜ。今週の金曜日とかどうよ。」
「あー、悪い。俺その日有給とっててさ。」
「お、いいね。小平の部署有給取得率最悪だからな、どんどん取れ取れ。」
「その環境をなんとかするのも人事の仕事だろ。」
「ごもっともです。」
ふざけてそう言えば、堺もおどけて頭を下げる。そんな話をしているうちにエレベーターが到着して、一緒に乗り込む。
「どっか旅行でもいくの?」
「いや、ちょっと遠出するくらいかな。彼女、誕生日でさ。」
「おお!遂にプロポーズか!?」
「いや~・・・それはちょっと、まだ。」
「ええ、付き合ってもう大分長いよな?」
「向こうも待ってんじゃないの?」なんて堺の言葉がしっかりと胸に突き刺さる。それに気づかれたくなくて、お前は最近どうなんだよ、と話題を無理やり振り返す。
「ああ、そうだ言ってなかった、来月入籍すんの。」
「ええ!?まじかよ、おめでとう。じゃあプロポーズしたんだ。」
「うん。去年のクリスマスに。記念日も近かったからさ。」
まだまだ聞きたいことはたくさんあったのに、チーン、と音が鳴ってエレベーターの扉が開く。また飲み行ってゆっくり話そう、と手を振って堺はエレベーターを降りて行った。
1人になったエレベーターで、プロポーズという言葉を反芻する。もちろん、考えていないわけではない。俺も美玲も今年で28歳になる、そろそろだと思っているけれど、でも今じゃないとも心のどこかで思ってしまっている。美玲も特に何か俺に言ってくることは無くて、俺の決意が固まるのをじっと待ってくれているのだろう。こういうところも、俺は最低だとわかりつつ彼女の優しさに甘えてしまっているのだ。
「お先失礼しまーす。」
「お疲れー。」
首を回しながらパソコンに向き合っている先輩に挨拶をして会社を出る。外の空気を吸い込んだ瞬間、はあ、とため息が出てしまった。時刻は21時を回ったくらいで既に辺りは真っ暗だ。それでもこの時間に帰れるのはまだ早い方で、『今から帰る。』と美玲にメッセージを入れて駅へと向かった。
「おかえり。」
「ただいま。」
玄関を開けるとお肉の焼けた良い香りがして、お腹がぐう、と音を立てた。そういえば今日は忙しくて昼飯も食べられていなかったし、その事すら忘れてしまっていた。出迎えてくれた美玲はすでに部屋着にメガネ姿で、俺のスーツの上着を受け取ってくれる。
「ご飯温める?」
「あー、先風呂入っちゃおうかな。」
「分かった。タオル用意しとくから着替えちゃいな。」
「ありがとう。」
いーえ、と微笑んだ拍子に美玲の長めの前髪が揺れる。彼女とは大学生の同級生で、付き合って6年、同棲してからは4年目になる。同棲を始めたのはお互い就職をしたその年で、地獄のようにしんどかった社会人1年目を支えあって乗り越えてきた。気づけばそれからもうプラス3年経っていて、お互い社会人4年目。まだまだ分からないことばかりだけれど業務量は増え、後輩もできて、1年目とはまた違うしんどさを感じている。
お風呂を出てリビングに向かえば机の上には既に温かい夜ごはんが用意されていて、胃袋を直接刺激するような良い香りに生きててよかったあ、なんて大袈裟な感想が漏れそうになる。
「いただきます。」
「はい、召し上がれ。」
既に夕食を食べ終わっている美玲もお茶を啜りながら一緒にテーブルに座ってくれていて、これもいつもの事だった。
夕ご飯を食べすすめつつ、思考は今日の仕事のことに支配されていく。朝の会議、なかなかうまく進められなかったなあ。次の営業、坂中さんと一緒か、俺あの人苦手なんだよなあ。そういれば明日の取引先への訪問、まだ資料読みこめてないなあ・・・。
「ねえねえ、味どう?大丈夫?」
「・・・え、ああ、うん。美味しい。」
「ならよかった。今日鶏肉が安かったんだ~。」
美玲の言葉で思考が中断されて、けれどすぐに俺の頭は仕事のことで一杯になる。そうだ、来週末には職場のゴルフコンペにも参加しないといけなくて、少しだけでも練習をしておかなきゃな、クラブも揃えた方が良いだろうか。
「あ、ねえ聞いてよ。スーパーにね見た事ない味のカップラーメンがあってね。期間限定だったんだよね、買おうか迷ったんだけどさ~。」
ねえ、聞いてる?
そう言って美玲は俺の顔を覗き込む。「うん、聞いてる聞いてる。」そう答えるとふうん、少し不満そうにスマホに目を映す。あーあ、始まった。と、正直、思ってしまった。いつからか俺は、美玲の話が長いと感じるようになってしまった。帰ってきてすぐにご飯が食べられる幸せも、誰かが家にいてくれる安心感も、尊いものだと十分わかっている。わかっているのに。
「ほら~、絶対聞いてない。」
「・・・ごめん、ちょっと疲れてて。」
「そうだよね。今日も遅かったもんね。」
美玲はそう言って、こんな最低な俺をお疲れ様、と労ってくれる。彼女はは本当に素敵な子で、仕事が忙しくてまともなデートもしばらく出来ていないのに文句も言わないでいてくれる。たくさん我慢させていることは分かっていて、だから話くらい聞いてあげないといけない、頭では十分わかっているのに俺の頭の中はいつだって仕事のことが大半を占めていて、休みも疲労感で寝て潰してしまうことも多かった。彼女への罪悪感を抱えつつ、でもどうしても仕事の事が頭から離れてくれなかった。いつから俺はこうなってしまったんだろう、もう忘れてしまった。
「あれ、小平?」
「おお、堺じゃん。珍しい。」
30分にも満たない短い昼休憩後、職場に戻ろうとエレベーターを待っていれば同期の堺に遭遇した。彼の配属は人事課で、同じビルの中であっても部署がある階が違うから、こうして社内で合うことは珍しい。
「どうよ、元気にやってる?」
「・・・まあ、うん、そこそこ。堺は?」
「あんまり元気じゃなさそうだなおい。俺もまあ、そこそこ。」
俺の歯切れの悪い回答に堺がはは、と笑う。学生の時によくふざけて使っていた社畜なんて言葉がピッタリになっちまったよなあ、と堺は苦笑いするから、俺も大きくな付いてしまった。
「ていうか飲み行こうぜ。今週の金曜日とかどうよ。」
「あー、悪い。俺その日有給とっててさ。」
「お、いいね。小平の部署有給取得率最悪だからな、どんどん取れ取れ。」
「その環境をなんとかするのも人事の仕事だろ。」
「ごもっともです。」
ふざけてそう言えば、堺もおどけて頭を下げる。そんな話をしているうちにエレベーターが到着して、一緒に乗り込む。
「どっか旅行でもいくの?」
「いや、ちょっと遠出するくらいかな。彼女、誕生日でさ。」
「おお!遂にプロポーズか!?」
「いや~・・・それはちょっと、まだ。」
「ええ、付き合ってもう大分長いよな?」
「向こうも待ってんじゃないの?」なんて堺の言葉がしっかりと胸に突き刺さる。それに気づかれたくなくて、お前は最近どうなんだよ、と話題を無理やり振り返す。
「ああ、そうだ言ってなかった、来月入籍すんの。」
「ええ!?まじかよ、おめでとう。じゃあプロポーズしたんだ。」
「うん。去年のクリスマスに。記念日も近かったからさ。」
まだまだ聞きたいことはたくさんあったのに、チーン、と音が鳴ってエレベーターの扉が開く。また飲み行ってゆっくり話そう、と手を振って堺はエレベーターを降りて行った。
1人になったエレベーターで、プロポーズという言葉を反芻する。もちろん、考えていないわけではない。俺も美玲も今年で28歳になる、そろそろだと思っているけれど、でも今じゃないとも心のどこかで思ってしまっている。美玲も特に何か俺に言ってくることは無くて、俺の決意が固まるのをじっと待ってくれているのだろう。こういうところも、俺は最低だとわかりつつ彼女の優しさに甘えてしまっているのだ。
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