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Ⅰ章.始まりの街カミエ

09.三ノ宮へ

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 最初に気付いたのは、甘い香り……

 ゆるゆると揺れる身体が微妙に心地よい。

 徐々にはっきりしていく視界に映るのは、少し赤味を帯びた茶色の髪。そして、きれいな横顔だった。
 急速にハッキリしていく頭のなかで、誰かに背負われている事がわかり、自分は倒れたのだと思い出す。

「あの……」

 声を出したが、我ながらえらくか細く弱弱しい声に笑いそうになるけど、自分を背負った人にはそうでは無かったらしい。悲鳴交じりの声が聞こえた。

「ひぃいっ、耳元でそないにささやかんといて……」

 よほどびっくりしたのか、背負った人の身体がゆれて、ポニーテールに結わえた髪が自分の顔をぺしぺし叩く。

「あぁ、気が付かれた様ですね。戦いは終わりましたし、私たちも怪我ひとつありませんから、安心して背負われていてください」

 穏やかな声が自分の背後から聞こえる。振り返った自分の視界に入ったのは、琥珀色の切れ長の瞳に、黒髪の大人びた女性だ。たしか、桔梗さんと呼ばれていたはず。

「ちょい、桔梗。なんでって、強調するのや」

 慌てるような声が至近距離から聞こえるということは、自分は霞さんに背負われてるのか!
 慌てて背中から降りようとすると、霞さんの身体が大きく揺れる。上体が大きく後ろに崩れて、頭から落ちそうになり、慌ててひしっとしがみついてしまった。

「危ないさかい大人しゅうしとき。まだ歩ける状態ちゃうやろ」

 体勢を整えて、こちらに顔をむけて話す霞さんの声に、自分は動きを止めた。ってか、顔近い! まあ、背負われていれば当然なんだけど。
 前を見ると、長大な薙刀を背負った楓さんと、当人の身長より長い大太刀を背負った白蘭さんがこそこそと顔を近づけて何か話している。

「……今の……わざと?」

「だよね! 霞って意外とあざとい……」

 小声だったのでよく聞こえなかったけど、少し吊り目の元気印、楓さんが生暖かい視線でこちらをみているし、白蘭さんのジト目も霞さんに向けられている気がする。

「ええさかい黙って歩く。もう少しで南街門やさかい、おとなしゅうしとってや」

 何故か耳まで赤くなっている霞さんの声で、みんなは再び歩き出した。鈴の音が無いのは、霞さんが自分を背負っていて、手がふさがっているから鳴らすことができない為だろう。

 霞さんの肩越しに前をみると、巨大な石壁と大きな門が目に入った。石壁の高さは十五メートルほどで、様々な大きさの石を積んでできており、西洋の城壁というよりは日本の城の石垣に近い作りにみえる。
 十メートル程の高さの門扉は閉じられているけど、門の左右に出入り用の通用門らしきものがあり、左側の通用門の前には大勢の人が列をなしていた。

 このまま列に並ぶのかと思っていると、霞さんは列とは反対側の右側の通用門へと近づいていく。左側の通用門の衛士さんが合図したのか、自分たちが通用門に近づくと、内側から門が開かれる。楓さんを先頭に(あぶなく通用門に薙刀が引っかかるところでしたが)、自分たちは特別な手続きを踏むことなく、門の内側へと通された。

 門番の人が、霞さんが子供を背負っているのに驚いたのか、びっくりした様な顔をしているが、自分には門の内側の様子のほうが驚きの光景だった。

 門の外の町は、とくに飾り気のない石造りの家が立ち並ぶ風景だったけど、街壁の内側は別世界の街だった。街壁の外が中世ヨーロッパの田舎のだとすれば、街壁の内側は白壁を多用した北欧風の近世の街だ。

 街の中央を十字に大きな大通りが東西南北にはしり、それと並行するように通りと運河が交互に街を区分けしている。荷物は運河から運び込まれているようで、通りは人々が行き交うだけ。威勢の良い呼び声や、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 背後の街壁は、街を円を描くように囲み、ここからは確認できないけど、東西南北の四方に門があるようだ。所々に外壁に付随した石造りの堅牢な建物は、外壁を守る兵舎なのだろう。
 白い石畳の道は真っ直ぐと北に延び、通りの左右には石組みを柱としながらも白い漆喰で塗られた壁の家々が軒を連ねていて、ほとんどの建物が二階建てだ。窓も大きめで、きちんと雨戸があるけど、普段は使われていないようで、開け放たれた窓からカーテンが揺れているのが見える。そして街の所々には、小高い鐘楼があり、時計らしきものも見られた。

 道を行く人々の服装は整っており、なにより街壁の外では見かける事のなかった女性や子供たちが通りを歩いている。髪や瞳の色は様々で、人も建物の様式も和洋折衷な感じだ。

 街道の先には緑の森に囲まれた小高い丘があり、木々の合間にちらほらと黒や白、朱塗りの建物の姿が垣間見える。

「きれいな街やろ?。ここが、三ノ宮のあるカミエの街。ほんで、正面にみえる小高い丘、三ノ宮のある氷晶山やで」

 先ほどまでとは打って変った、誇らしげな霞さんの声に自分は呆然とうなづくしかなかった。

「ずいぶん遅れてしまいましたし、坊やもずいぶん疲労している様子です。まずは、まっすぐ宮社へ向かい、手続きをしましょう。
 霞さまも、それでよろしいですね?」

 桔梗さんの口調が少しきつく感じられたけど、実際疲労しているのは間違いないので、自分は素直にうなづいたが、霞さんと紫陽花さんがむぅっと少しうなり不満そうだ。

「えぇ、折角街に出たのにもったいないで。次はいつ出る事ができるかわからへんのに」

 紫陽花さんが大きな声で騒ぎ、霞さんは押し黙っている。自分には事情はよくわからないが、紫陽花さんの言葉からするに、そんなに頻繁に街に来ることはできないようだ。

「……子供を背負っているんじゃ、楽しむどころじゃない。大人しく帰った方が身のため……」

 白蘭さんの言葉もあり、霞さんも納得したのか、楓さんを先頭に運河の方へと自分たちはすすんだ。そこで、小型の屋形船に乗せられる。普通の櫓で進む船のようで、櫓を操作するのは桔梗さんのようだ。
 とりあえず、座れる程度には体調も回復してきたので、自分はおとなしく指定された場所に座る。船のへさき側には紫陽花さんがつき、左右に楓さんと白蘭さんが配置につくと船は進みだした。

 運河の上を、初春のやわらかい日差しの中、街の喧騒が小さく聞こえる中、櫓を漕ぐ水音だけが妙に響いている。
 外を見てみたかったけど、障子を開けようとしたら霞さんに人目につくからと止められてしまった。障子に囲まれた部屋(?)には、霞さんと自分だけで、奇妙な沈黙につつまれている。

「……体調はいけてはる?」

 やがて霞さんが口を開きましたが、恐らく大丈夫かという問いだろうと思い、とりあえず返事を返した。

「とりあえず、普通にしてる分には問題ないですよ。自分は宮社に行った後はどうなるのです?」

 体調に問題無い事と今後どうなるかを確認してみると……霞さんが自分にも詳細はわからないけどと、知っている範囲でおしえてくれた。それによると……

・自分は宮社の中でも、坤島ひつじさるしまに住むことになる
坤島ひつじさるしまは鍛冶場がある出島の様な場所
・宮社での保護期間は、成人(十五歳)まで
・三ノ宮は外苑以外は男子禁制の島なので、外苑での作業の手伝いをしながら、街の学舎に通うことになるだろう。

 ということらしい。
 いずれにしても、住む場所があり、学舎へも通うことができ、食事もでるだろうから、それなりに労働があるのは当たり前と考えるしかないか。

 考えていると、霞さんが少し眉をひそめて、困った様子で重い口を開いた。

「おそらく坊やはきれいな顔をしてるさかい、面をつけて生活することになる思う。宮社は女子だけの世界やし、坤島ひつじさるしまに居る限りは心配いらんやろけど、女子に手を出すのはご法度や。
 困った事がありゆう場合は、必ず鍛冶場の芹様に相談しなはるんやで」

 ……まあ、女性ばかりのところに男一人というのは、ある意味世の男性の羨望の的かもしれないが、実年齢は七歳なのだから何かが起きる要素は無いと思う。
 それに、霞さんや楓さん達の強さを十分知った今では、そんな無謀なことをするはずもない。
 ただ、鍛冶場の芹様に相談しろということは、霞さん達とは今後会えない、もしくは会うのは相当面倒なのだろうか? 北斗の意識が目覚めてから、初めて会話した人たちだから、それはそれで残念ではある。この先、わからない事があった場合、たずねる事ができる人たちがいれば心強いし…… その辺も合わせて聞いてみよう。

「分かりました。面というのがどういうものかはわからないけど、大丈夫だと思います。
 女の子に手を出す云々うんぬんも、みなさんより素敵な女性ひとはいないでしょうし、お世話になっている方々に失礼無いようにするつもりです。
 ただ、先ほどの話だと霞さん達とはもう会うことはないのでしょうか?」

「そうどすなぁ、うちも含めて皆はんそれなりにせわしない方々どすさかい、なかなか会うことはあらへんやろうな。
 どすが、おりを見て時々誰かに様子をうかがわせてもらいますさかい、(他の女子に)目移りしてはいけまへんえ」
 
 自分の返事が気に入ったのか、少し不安そうな雰囲気だった表情が、花が咲くように明るいものに変わった。

 そこに……

「もう到着するっていうのに、何してるんですか?」

「……釘を刺しておくのは大事。でも、青田刈りはずるい……」

 船の左右の障子が開き、楓さんと白蘭さんが口を挟んできた。霞さんは再び耳まで真っ赤になって二人に反論している。

「青田刈りやらちゃいますで。うちはただ唯一の男性なのやさかい、注意したらええのにちゅう意味で……」

 最初にあった時の凛とした雰囲気は微塵もなく、自分たちを乗せた船は三ノ宮のある氷晶山の南西、坤島ひつじさるしまへと到着するのであった。
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