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06 初めて
しおりを挟む「……ゲ、シゲ、朝だぞ、起きろー」
「ぅう、ぁさ?っ、げほごほっ!イッテェ?!」
目が覚めたら薄暗い部屋にいた。
いつ寝たのか思い出せなくて、体を起こそうとしたら喉がいがらっぽくて咳が出た。
さらに咳が腰に響いて、動けないほど痛かった。
「あ、あー腰を忘れてたな、ちょっと待ってろよ」
「ぃひゃあっ」
突然、痛む腰にぬるりと冷たさを感じて、冷湿布を貼ったようなひんやりとした触感が広がる。
冷たい!からのイタタタ……と浅く呼吸をする間に腰の痛みが薄くなっていって、違和感は残っているけれど、痛みはほとんど感じなくなっていく。
何が起きているかは理解していないけれど、体は楽になった。
「……っ、ゲホっ」
ありがとう、という言葉が声にならない。
喉風邪をひいてるらしい。
…………いいや、そんな覚えはないぞ?
一年中、いつ仕事が入るか分からないから、いつでも声明が上げられるように、風邪予防はしている。
いくら忙しくても、手洗いうがいは欠かしていない。
「悪かったなシゲ、あんまりいい声だからってやりすぎたな」
ゲホゲホと咳き込むおれの口元に湯呑みを押し当てて、こちらを見下ろしているのは魚顔のおっさん。
「……げほ、え?えー?」
あれ、ええと、このおっさんの個人情報が思い出せない。
たしかバーで出会って、それで……?
「加川 丈太、ジョーだよ、イきすぎて旦那の名前を忘れたのか?」
「……???」
行きすぎって、どこに?
旦那?って、なんだ?
驚いてぽかんと開いたおれの口に、湯呑みの中身が注がれる。
飲み込む直前に見えたのは、白く濁った液体。
ほんのりと甘い味のそれを飲みこむと同時に、スッと喉の痛みが消えていった。
すごいな、これ、喉の薬か?
即効性が高すぎることに驚いていると、おっさんがおれの顔を覗き込んで来た。
「おいおい、ほんの数時間前だぞ、本気で忘れたとか言わねえよな?」
そう言うおっさんが手に持ったスマホから聞こえる「あ"あ"っしゅぎぃ♡ジョーのかっぱまらしゅきぃ"い"♡およめしゃんなるぅっ!ぅ"っぉほお"おぉ"♡♡」ってなんだよこれ、男か?ヒッデー声だな…………ってちょっと待て、まさかこれ、おれか?!!
音だけでなく映像も動いているようだが、恐ろしくて確認できない。
少しだけ見えた坊主頭が、一日おきに剃髪している、鏡越しに見慣れたおれの頭に見えたのは、気のせいだよな。
真っ青になっているだろうおれを見て、顔が半分に裂けそうな笑顔を浮かべたおっさんが、その尖った唇、いいや、くちばしからどす黒くて長い舌を伸ばした。
つるつるとした青緑の肌に黄色い目。
一瞬で変わった姿に驚嘆する。
なんだこいつ、こんな姿、人間じゃない。
「心配すんな、まだ中出しはしてねえ。
先にやっとくことがあるからガキは仕込んでねえよ、手加減してやったんだぞ?」
「……っ」
バケモンだ、目の前にバケモンがいる。
寺の息子に生まれても、人外の存在をこれまで信じてなかったおれの目の前に。
このまま食い殺されるのか、なんでおれがこんな目にあうんだ、やっぱりクリスマスなんて最低だ、大嫌いだ。
逃げることもできずに怯えるおれに向かって、満面の笑みのバケモンが大きな口を開く。
「誕生日おめでとう茂一」
……言葉の意味を理解した時には、バケモン、いや、ジョーに抱きしめられていた。
つるつるとして冷たくて太い腕は力強い。
頬がすうすうするのは、おれが泣いているからだ。
なんで泣いているのか、自分でも分からないのに。
「……っな、んで」
「んー?お祝いしてやるっていっただろ?
クリスマスの残りしかなかったけど、ケーキ買ってきてもらったんだ、食うか?」
誕生日を教えた記憶はないけれど、初対面のバケモンがおれの誕生日を知っているはずがない。
覚えてないけれど教えたとしか考えられない。
……それでも、おれのためにケーキを?
今日が誕生日だって言ったから、わざわざ、誰かに買ってきてって頼んだ?
そんな無駄なことして、どうす……嘘だろ、本当にケーキが出てきた。
布団の上で体を起こした全裸のおれの前に、小さな折れ脚の座卓が出されて、砂糖菓子のサンタが乗った丸いケーキが、魔法のように現れた。
鋭い鉤爪の生えた指を器用に使うジョーが、サンタを隠すようにケーキの上にチョコレートのプレートを乗せると、そこには〝しげくんおたんじょうびおめでとう〟と書いてあった。
数字の形のろうそくの2と4が、イチゴとイチゴの隙間に並んで刺される。
「火ぃつけるから願い事しろよ?あれ、今時は願い事なんてしねえのか?」
傷だらけのジッポーを手に持って、おれの顔を覗き込んでくるジョー。
どう見てもバケモンなのに真剣な表情で、これがからかう為とかドッキリじゃないと感じた。
これが本当に、おれの誕生日を祝うために用意されたケーキだと、信じるしかなかった。
「う、うれし、いっ」
「そーかそーか、暇人どもに連絡しまくった甲斐があったな」
ニイッと左右に吊りあげられた平べったいくちばしは大きく裂けて、笑顔の形に変わった目は黄色いこともあって、綺麗な半月に見えた。
干し草みたいなぼさぼさ髪の頭の上にはツルリとしたお皿、背中には亀みたいな大きな甲羅がある。
濃淡はあるけれど全体的に緑色。
かっぱ……って河童か。
まさか、こんな生き物が本当にいるなんて思ったこともなかった。
ジョーがちょっと音程を外しながら定番の歌を歌ってくれて、ろうそくに灯された火を言われるままに吹き消した。
人と河童が、お互いに全裸のままで布団の上に座り、小さな座卓を前にプラスチックのフォーク一本でケーキを囲んでいる。
いや、河童が服を着るかは知らないけれど。
おかしな光景のはずなのに、誕生日を祝われていることが嬉しくて、祝ってくれている相手が河童だってことも、どうでもよくなりつつある。
「悪いな、部屋でもの食わねえから、皿もフォークもねえんだ」
プラフォークで突き刺したいちごに、盛られた生クリームをたっぷりと絡めて口元に差し出してくる河童。
「ほら、二十四歳のお食い初めだぞ、あーん」
「あ、あ……ーん」
おれの目の前にいるのは、河童だ。
それなのに、なんで、おれは恥ずかしいとか思うんだ!?
少しずつ思い出してきた細切れになっている記憶が正しいなら、何時間もおれの尻の穴に指と……まら?を突っ込んでいた、昨夜初めて出会ったばかりのおっさん、というか河童。
もう相手が河童でもいい。
理解不可能な嫁扱いでもいい。
これから先を、クリスマスも新年も関係なく、おれを見てくれるなら、河童のジョーの嫁になってもいい。
と、思ってしまった。
懐柔されるのが早すぎる。
自分の単純さに呆れるしかない。
プラフォーク一本しかねぇ、と〝あーん〟でケーキを半分くらい食べさせあった後、誕生日プレゼントだ、と手のひらくらいの大きさの瓶を渡された。
これは河童の万能薬で、おれが日々の声明で喉を痛めるんじゃないか、と用意した特級品だという。
少しだけ困ったように「こんなもんしか用意できなくて悪いな」とか言われて、思い切り首を振ってしまう。
河童の万能薬は、本当に万能に使える薬だという。
外傷や打ち身に塗るのはもちろん、腹が痛い時は白湯で薄めて飲んで良し、うがいに使っても効くそうだ。
なんだそのデタラメな薬、原材料は?……と思ったが「読経しすぎて喉を痛めた時に使えよ」と半月の笑顔で言われて、受け取ってしまった。
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