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序幕
第1話 えっ!? そんなに簡単に!?
しおりを挟む「ハクトさんですか?」
俺は返事するのを忘れてその娘に見惚れてた。
「――――」
「あ、あの、イナバハクトさんですよね?」
今度は俺のフルネームが彼女の口から出てきた。
知り合いか?
こんな芸能人もびっくりするような可愛い娘と!?
いや、一度も遭ったことがなぇな。
寧ろ、1度でも逢ってたら忘れるはずがない、と言い切れる。
20代には届いてないであろう雰囲気だが、容姿は眼のやりどころに困るほどボンキュッボンなんだよ。
色白の肌で足も長い。
けど、水色って言って良いのか、腰まで伸びるウェーブ掛かった水色の髪毛と青い瞳は完全に彼女が日本人ではない事を俺に伝えていた。
「あ、ああ。そうだけど、君は?」
目紛るしく思考が自問自答を繰り返す中で、何とか声を絞り出すことが出来た。
変に緊張している所為か、両方の掌にジトリと汗が滲んでる。声も少し掠れてた気がするが、視線だけは彼女へ釘付けになったままだ。
逆にこういう状況で視線を切れる奴がいたら俺に紹介して欲しいぜ。
「良かった。間違ったかと思っちゃいました」
――え?
間違いじゃない?
50のおっさんにこんな可愛い子が何の用だ?
嬉しそうに息を吐き出す仕草とその一言で急に浮ついた気持ちが冷やされ、落ち着いてくる自分を感じることが出来た。
気をつけろ、何だか知らんが関わっちゃダメなやつだ、と。
「え~っと……。お嬢ちゃん。確かに俺は君が口にした名前なんだが、おじさんは君みたいな可愛い子と面識がない。何かの間違いじゃないか? それか新しいホームレス狩りか何かかい?」
――ホームレス狩り。
俺らは家も、金もない。有る物といえば拾い集めてきた身の回りの生活雑貨とその日の食料だ。
そんな俺らを自分たちのストレスの捌け口に襲う奴が居る。時折ホームレス仲間たちが夜中に何度か襲われた事がある。何度か仲裁もした。
俺自身はまだそんな経験はねえが、できれば避けて通りたい、と見てて思ったな。
俺の推察はこうだ。
可愛い子で釣りだして、人気の居ないところに連れ込み、袋叩きにする。
安直か?
昼の日中にそんな回りくどい事するか?
「はい! 初めまして! わたしはスピカと言います! えっと、最後の狩りはよく分かりませんが、間違いじゃありません!」
「――――」
そう言って朗らかに咲う彼女の笑顔にまた見惚れてしまった。
口に爪楊枝なり、タバコを咥えてたらポロッと落としてただろう。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「ハクトさん?」
「おわっ!? お嬢ちゃん、おじさんをからかうもんじゃないよ」
だってそうだろ?
うだつが上がらない50歳のホームレスおやじに、芸能人顔負けの美少女が鼻の先に顔を近づけてくるんだ。驚かないほうが可怪しい。
それに、だ。風呂にも入ってねえ、無精髭も剃ってねえ、服も着の身着のままの俺に驚くどころか嫌がる素振りもなく近づけるってどんな女神だ!?
自分で言うのもなんだが、結構臭ってるはずだぞ?
ウチの娘なら速攻で「近寄るな!」と何か物を投げてくる様子が簡単に浮かんで来る。
はぁ~。こんな境遇を2年も3年も続けれてりゃ、それなりに人からの善意を疑いたくもなるってもんだ。
お嬢ちゃんには悪いがな。
「え~何でですか? 折角ハクトさんに逢いに来たのに!」
「そこだ」
「へ?」
美少女過ぎて冷静に物事を感じれなくなってたが、ずっと引っ掛かってた喉の奥の小骨みたいな疑念を摘み出すことに成功した。
「そもそも、何でお嬢ちゃんがおじさんの名前と居場所を知ってたんだい?」
面識も何もない、初対面の俺のことを知ってたのは偶然とは思えない。
不安と好奇心が綯い交ぜになってる所為で何をどう聞いたら良いのか判らないが、最低限の事は聞けたはず。
自分がどんな顔をしてるのか良く分からない。
ただ、引き攣った笑顔になってるんだろうな、と何処かで感じていた。
「えっと、わたしは女神なので、ハクトさんが亡くなる前にマーキングだけは付けておこと思って来たんです!」
「へ? は? 女神? マーキング?」
スピカと名乗った美少女の言葉に俺の脳みそは一瞬活動を停止した。
この世のものとは思えない美貌の持ち主なのは、女神だからなのか?
そりゃ、名前も居場所も筒抜けって――。
「おいっ!?」
「ひゃっ! な、なんですか、ハクトさん! 急に大きな声を出したらびっくりするじゃないですか!」
「え、あ、す、すまん。というか、そもそも、お嬢ちゃんの言ってる意味がおじさん良く解らないんだが?」
「おほん、あと1分でハクトさんの心臓が止まります。で、天界で逢うためにはマーキングしておかないと見失ってしまうので――」
「――――っ!?」
俺の質問にお嬢ちゃんは右手で拳を作って口の前で咳払いをし、ニコリと微笑みながら応えてくれた。
俺がそれに応える前に、柔らかい唇で塞がれている現実に気付く。吃驚して目だけ大きく見開くけど、声は口が塞がれてるので出ない。
多分、ほんの10数秒の時間だっただろが、その瞬間だけ異様に長く感じた。
「ぷは~! わたしのファーストキスですよ?」
「――」
赤面して俯きながら言う仕草に見惚れ言葉を忘れる。
今日3回目だ。
けど、それはやって来た――。
「あぐっ――」
急に胸が刺すように苦しくなったんだ。
今俺があと1分で死ぬって言ってなかったか?
えっ!? そんなに簡単に!?
胸を抑えてベンチから前のめりに転がり落ちた俺の意識は、そこで闇に包まれた――。
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