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 デガード卿は、髪をかきむしった。
「ええい、何とかならんのか?」
「近隣の市町村は、どこも閉鎖状態。これは恐らく、奇病のためでしょう。病気に襲われた他の市町村がどうなっているのか、治療法が見つかっているのかどうか、全くつかめません」
 卿に仕えるリイクは、沈着冷静な声で応じる。
「ただ……一つ、興味深い話が」
「何だ?」
「我が市の話なのですが、役場の前に旅の者が現れ、『奇病を治してみせる』と申し出たそうです」
「本当か?」
 身を乗り出すようにし、立ち上がるデガード卿。
「誰か、その者に助けられた病人はいるのかね?」
「いえ、そういう話は耳にしておりません。その旅の者――エイカーと名乗っている男性だそうです――は、役場を通じて市長に、その申し出を伝えたそうですが、市長は断った模様です」
「何故だ。こんなときだ、どんなものでも試すのが、当然ではないか!」
 拳で机を叩く卿。
「理由といたしましては、エイカーの風体が異様であることと」
「どのように異様なのだ?」
「私自身の目で確かめた訳ではございませんが……」
 リイクは前置きをして、差し挟まれた質問に答える。
「銀色に濡れたような服をまとい、棺桶を引きずってきたと聞いております」
「棺桶……?」
「はい。その中身は、誰にも見せないそうです」
「むむ……。それでは、拒否されてもやむを得ない面があるな」
「続けます。エイカーの申し出を受け入れぬもう一つの理由として、ある噂が立っているのです。ただし、この噂と市長が申し出を断ったのと、どちらが先なのかは不明なのですが」
「それはよいから、早く話してみせよ」
「エイカーこそ、奇病を持ち込んだ張本人ではないか。かような噂です」
 リイクの言葉に、デガード卿は顔をしかめた。
「……その噂に、根拠はあるのかね? あるならば聞きたい」
「まず、奇病の正式な名称というのが、確認は取れていませんがどうやらエイカ病と名付けられているのだそうです。エイカとエイカー。無論、人名にあっておかしくない名ですが、偶然にしては出来過ぎとも思えます」
「なるほどのう。だが、偶然はたまたま一致するからこそ偶然だと言える訳だしな」
「市のとある学校に通う子供が、ある日、エイカーと思われる怪人物を森で目撃しております。その翌日、我が市で最初の奇病の犠牲者として、アンベルト=カナ老が亡くなっています。エイカーが来たために、カナ老がまず発病したのではないか。そういう論法でございましょう」
「……」
 どう判断すべきか迷う表情のデガード卿。
「娘を助けるためには、どうすればよいと思う、リイク?」
 デガード卿の娘、アミスもまた、奇病に冒されていた。奇病患者は一所に集めて治療するとの市長の布告が出されていたが、卿は無視して、娘を屋敷に置いている。
「私見でよろしければ……」
「かまわぬ」
「市のどの医者に診させようとも、結果は同じでしょう。一方、エイカーの申し出を拒絶する明白な根拠は存在いたしません。エイカーが役場前に現れたのは、かなりの発病者が出たあとなのです。最初に少年に目撃されてから、相当の日数が経っています。この間、市の誰にも見られず、病の原因をばらまいていたとは考えにくく、このことからも、エイカーを奇病の原因と考えるのは根拠薄弱な論理でしょう」
「つ、つまり、エイカーとやらに賭けてみろと、おまえは言うのだな」
「……私に娘がおりましたら、そしてその娘が今度のような病に冒されたのであれば、私はあらゆる手段を尽くします」
 リイクは、静かに言った。
「……分かった。私は私の判断で、エイカーに賭けるとしよう」
 デガード卿もまた、静かに、そして力強く決意を表明した。

 リイクは、手で指し示しながら言った。
「こちらが、デガード卿のお屋敷だよ」
「あ……ああ」
 背を丸めた男――エイカーは、不明瞭な声で反応した。屋敷を前に、見上げるでもなく、黙々と棺桶を引きずっている。
 様々な人間と接する機会を持つリイクも、エイカーのような種類は知らない。どのような言葉遣いで、どのように接していいのやら、戸惑っているのが事実である。
「さあ、散った散った」
 リイクが言った。見物人がいくらか、屋敷の周囲に集まっているのだ。怪しげな旅の者の言葉を真に受けた、酔狂な貴族。デガードの名は、そういう意味で知られるようになっていた。
「大丈夫かね?」
 辛そうなエイカーを見かねて、声をかけるリイク。何が入っているのかは依然として不明だが、とにかく重そうな棺桶だ。
「大丈夫……です」
 それだけ答えるエイカー。この国の言葉を話すのは、あまり得意でないらしい……。さっきから彼の言葉を聞き続けたリイクは、そう感じていた。
「……あ、案内しよう」
 と、相手の肩に手をかけたリイク。瞬間、ぞっとするほどに、冷たい感覚が伝わる。しかし、それは本当に一瞬であった。手を引っ込めるまでもなく、極普通の感覚に戻った。
 リイクとエイカー、二人は口をつぐんだまま、屋敷の中に入っていった。
 空は呆れるほど晴れ渡っていた。
――大丈夫なんだろうな。
――おまえを信用して、呼んだのだぞ。
 聞きようによっては矛盾をはらむ二つの言葉を、しつこいぐらいに繰り返したデガード。卿にできるのは、もはや、娘の部屋に入るエイカーの後ろ姿を見送ることのみとなった。
「デガード様、お座りください」
 うろうろと歩き回る主人を落ち着かせようと、リイク。
「ああ……。言われんでも、分かっておる」
 ごくりと喉を鳴らしたデガード卿。言葉とは裏腹に、落ち着かないでいるに違いない。
「今は、信じるしかありません」
「失敗だったら、いい笑い者だ」
 デガード卿が吐き捨てた。
「愛しいアミスが治らないのは、同じかもしれん。だが、デガードの名に傷が付く。周りを取り巻いておる者共に、嘲笑されるなんて、考えたくもない」
「考えないでおきましょう」
 そっと言い添えるリイク。
「何?」
「失敗なんてありえません。成功したときのことを考えましょう、今は」
 と、リイクは目を閉じ、軽く頭を下げた。
 目を開けると、いくらか和んだデガード卿の表情が見えた。
「……そうだな。おまえの言う通りだ」
 やっと出た主人の安堵に、リイクも一息つけた。
 それからしばらく、静かに考えてみる。――エイカーは、誰も見ていないところで治療させてくれとの旨を伝えてきた。そして彼は、アミスの部屋に棺桶と共に消えた。
(誰にも見られたくないとは、どういうことなのだ? 私やデガード様が見ていては、何かまずい治療行為なのだろうか?)
 リイクは、エイカーがどんな治療をしようと、アミス嬢の容態が悪くなることはないと踏んでいた。それには自信を持っている。だが、どのような治療がなされるかについてだけは、若干の不安を拭い切れないでいた。
(やめよう)
 首を強く振るリイク。デガード卿への言葉と矛盾した動揺を抱く自分を、リイクは叱咤する。そして立ち上がった。
「お茶を用意しましょうか」
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