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第一部 再会
32、何もしてない
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やっと赤薔薇公ローザが部屋から出てきたと聞いて、リーリヤは安堵した。
テクタイトとの一件があってから酷く傷ついたらしいローザはこもりっきりだったのである。だが、菫公イオンによると「なんかおかしいですよ、あの人」とのことだ。
「おかしいって?」
「おとなしいんです」
それはまあ、テクタイトに負けた上に乱暴されかけて、意気消沈しているからだろう。だが落ち込んでいるという感じではないのだ、とイオンは言う。
聞いているだけではわからないので、会いに行ってみようかとリーリヤはローザをさがし始めた。
するとローザは廊下の片隅で、窓枠によりかかりながらぼうっと外の景色を眺めていた。
なるほど、おかしい。
ローザがああやって静かに外を見ているなんて、今まで滅多になかったことだ。
普段であれば「どけどけ、赤薔薇公様のお通りだぞ」とでも言わんばかりに勢いよく廊下を歩いている。特に意味がなくても動いている。
架空の敵を想定して、やたらと剣を振り回していることもあった。要するに彼はよく言えばいつも元気いっぱい、悪く言えば落ち着きがないのである。
「ご機嫌よう、赤薔薇公ローザ」
リーリヤはローザに近寄った。ローザはちらりとリーリヤの方を見やる。
「ああ、庭師の白百合か……」
感嘆符を付けず、静かに呼ぶというのも彼らしくない。
「どうですか、ご体調の方は」
「悪くない。先日は助けてくれてありがとう。ジェード殿下にも改めて礼を言っておいてくれ。考えなしに動いた僕が悪かったんだ。結果的に巻き込んでしまって、お前までテクタイト殿下に目をつけられることになったな。すまない。これからは気をつけるよ」
リーリヤは黙りこんだ。
これはローザだろうか?
見かけは確かに赤薔薇公だが、彼はこんな殊勝な発言をする子ではなかったはずだ。まるで別人である。
病気かもしれない、と顔をのぞきこんだが、顔色は普通というか、むしろ良いくらいである。肌もつやつやしている。
「……何だよ」
「あなた、本当にローザですか?」
「他に誰に見えるって言うんだ」
赤い髪、大きなつり上がり気味の目、その美しさにも変わりはない。
けれど、何というか……。
「急に前より綺麗になりましたね。色気が出たと言いますか。何かしましたか?」
ローザは前からとても美しい花の子だった。しかし何かが足りなかったように思われる。それはある種の 艶っぽさだったのだと、今初めて気づかされた。
雰囲気に 艶やかなものが加わって、彼の美しさが格段に引き立てられていたのだ。
「なっ」
途端にローザの顔が真っ赤になった。
「何を言い出すんだよ! 僕は何もしてないぞ!」
怒り混じりの狼狽に、リーリヤは首を傾げた。
「いえ、私は別に……」
「何もしてないったらしてない! わけのわからないことばっかり言うな! 山育ちの庭師め! 僕は僕じゃないか!」
ローザは地団駄を踏んで怒っている。リーリヤは何が彼の逆鱗に触れたのかわからないものの、とりあえずローザはローザだな、と安心した。
「心配しているだけです、ローザ」
「うるさい、馬鹿っ! 何もしてないんだ! 僕はお前に礼を言ったからな! だからもう行くぞ!」
自分の髪のように顔を真っ赤にして、ローザはのしのしと歩き出してしまった。遠くで見守っていた侍従達が、いそいそとついていく。
リーリヤはそんな赤薔薇の後ろ姿を眺めていた。あれほど繰り返しては、何かあったと打ち明けてるようなものである。
「はあ……。何があったんでしょうか……」
するとその疑問に答える声があった。
「俺がローザの処女を貰ったんだよ」
振り向くと、白薔薇公ヴァイスが立っている。明け透けな告白に、リーリヤは目をぱちくりさせた。
「それは……なるほど」
男であっても花の子は、通じていない者を処女と呼ぶ。おそらく人の国から入ってきた言葉を使っているのだろう。
それにしても、ヴァイスがローザに手を出すとは。
赤薔薇公と白薔薇公が仲が良いのは周知のことだ。けれどローザがあんな具合なので、恋人関係に発展はしないだろうとリーリヤも考えていた。
「ローザがよく応じましたね」
「半ば脅したんだよ。でも後悔はしていない。他の奴に奪われるくらいなら、嫌われてでも俺は襲うつもりだった」
そういうものだろうか。リーリヤにはぴんとこなかった。嫌われてしまったら体を奪っても、元も子もないのではないだろうか。
それが昨晩の出来事だそうだから、もし上手くいかなかったら、赤薔薇公と白薔薇公は大変なことになっていたかもしれないのだ。どちらか、もしくはどちらも散っていたかもしれない。
そこまで白薔薇公を駆り立てたのは、やはりテクタイトの暴挙だったのだろう。
白薔薇公はかなり理性的な人物であると思っていたから、リーリヤにとって彼の告白は驚きのものだった。
「綺麗になったよね、ローザ」
「本当にねぇ。あの子は実に美しい薔薇ですけど、まだ美しくなれるなんて知りませんでしたよ」
「花を咲かせるとそうなるんだよ」
花を咲かせる、というのは隠語である。白薔薇のヴァイスは続けた。
「あなたも、ジェード殿下が来てからとても綺麗になったね。大事にされているから」
リーリヤはまじまじとヴァイスの顔を見つめた。揶揄しているわけではないようだ。だとしても、どう返していいか悩む。
実はここ何日かは、私も殿下とご無沙汰なんですよ、などと余計な報告はしなくてもいいだろう。
「でも、あなたは殿下と喧嘩でもしたの?」
「何故です?」
「同棲を解消したみたいだから」
「同棲……」
ひょっとして、白百合公と翡翠の殿下は別居を始めたらしい、との噂でも広まっているのだろうか。
「仲は悪くありませんよ。少なくとも私はそう思っています」
「そうだろうね。いつも話をしているし、殿下のあなたを見る目は前と変わらないもの」
他人から見てそうであるなら、別に嫌われたというのでもないのだろう。
しかしだとすれば、どうして彼は部屋を出て行き、私を抱かなくなったのか。不可解である。
テクタイトはどうしているかとヴァイスが尋ねてきた。ローザの件以降、目立った動きは見せていない。月下美人公が見張っていると伝えておいた。
ヴァイスは「ふうん」と返事をすると、上辺だけの笑みを浮かべて目を細くする。
「俺は、ローザに手を出そうとしたあの王子を、一生許さない」
声は朗らかだったが、瞳の奥にはぎらつく憎悪のようなものが一瞬だけ閃いていた。
彼の内部にこれほど激しい感情が生まれることがあるとは、考えもしなかった。白薔薇公は常に冷静な花の子である。
そんな彼の心をここまで乱すのは、ローザに対する執着なのだろう。突然垣間見た愛の深さは、リーリヤが己の洞察力がまだまだであることを知るきっかけとなった。
「あの王子を殺す時が来たら、加勢するから教えてくれる?」
「気が早いですよ、白薔薇公。そんな物騒なことを明るく仰らないでください」
お止めなさいとは言わず、早いですよとたしなめたのが面白かったのかヴァイスはくすりと笑い、「冗談だよ」と言って去って行った。
――それで。
それで、ジェード様はどうして私を抱かなくなったと思います?
ヴァイスに相談できなかった話を、胸の内で繰り返した。
やはり誰にも尋ねられない。もちろん、本人にもだ。けれど気になって仕方がなかった。何故そこまで自分が気にするのかというのが、一番の謎だったのだが。
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