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第一部 再会
33、美しくありませんから
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リーリヤとジェードが宮殿の廊下を並んで歩いていると、どこかからすすり泣きのようなものが聞こえてきた。
ここは作業室が並んでおり、声が聞こえてくるのは裁縫室だった。衣服の制作や、繕いものなどをする時に使う部屋である。裁縫の道具が揃っている。
リーリヤはジェードの方を見て頷くと、その部屋へと静かに近づいて中を覗いてみた。
貴人の侍従らしき青年が一人、目をこすりながら何やら作業をしている。花の子の中でもかなり年若のように見えた。
「痛っ」
針で刺したのか、彼は小さな悲鳴をあげて己の指を悲しそうに見つめている。
先日散った 梔子公ガルデニアの侍従だった。梔子公の侍従達はそれぞれ分かれて、別の貴人の侍従としての仕事を行っている。
リーリヤは部屋の中に入っていった。繕いものをしているらしいが、不得手と見えて進捗は芳しくなさそうである。
「手伝いましょう」
リーリヤが声をかけると、そこでやっと存在に気づいたらしい梔子公の侍従は、弾かれたように顔を上げた。
「こ……これは、白百合公!」
彼は慌てて立ち上がって、意味もなく空中でわたわたと手を動かし始めた。
「ここは一度ほどいた方が良さそうですね。私がやりますよ」
「とんでもありません、白百合公に手伝っていただくなど、そんな……」
一族の長は貴人であり、選ばれし身分の者である。種族は違ってもそれは同じで、貴人以外の花の子は身分が低い。彼が恐縮するのも当然だ。
「あなた、名前は?」
「……オピスです」
「この仕事は初めてなのですね、オピス。教わっていないのですか?」
オピスはもじもじとしてうつむいている。
本当は共に作業をして指導する立場の先輩がいたそうなのだが、仕事が立て込んでいたせいで、先輩は忙しそうにしていたのだという。オピスは気をつかって、一人でこなせると言い切ってしまったのだそうだ。慣れている、と嘘をついた。
しかし裁縫はやったことがなく、悪戦苦闘していた。できると豪語した手前、今更助けも呼べず、情けなくて泣いていたという。
素直な告白が愛らしくて、リーリヤは笑った。
オピスが取り組んでいた服を持ち上げ、鋏で縫いかけの糸を切っていく。
「ああ、白百合公……! 私がやります! いえ、できないけれど……。とにかく、白百合公にそんなことをしていただくわけには!」
「いいから、見ていなさい。私はこういう手仕事が得意なのです。繕いものもしますし、自分で服も仕立てるので慣れています。やり方を、見て覚えてください。いずれやっているうちに、こつは覚えられますから、めげずに頑張って」
ね? とリーリヤが微笑みかけると、オピスは相変わらず困った顔をしていたが、黙って頷いた。リーリヤは入り口辺りに立つジェードに目顔で「ここでしばらく作業をします」と伝えた。
花の貴人の服は、良い生地を使っている。
故郷より貢ぎ物がたくさん届き、そのどれもが高級品。着飾ることを好む美しい花の貴人達は、身につけるものにもこだわりがある者が多い。
リーリヤは――こだわらなかったが。
手にしているのは、精緻な刺繍が施された絹の服だ。花の子は虫を嫌うから、絹は人の国のもののように蚕から作られてはいない。植物から作った絹である。かなりの高級品だ。
生地は光沢があって手触りが良く、美しかった。縫い目の糸がほつれて破れただけなので、縫い直すのはさほど難しくはない。
オピスは針に糸を通すのも難儀している様子だった。リーリヤは慣れた手つきで糸を通して、早速縫っていく。
縫い目の間隔や、糸が絡まないような針の運び方を説明しながら作業をする。オピスは不要な布を持ち、練習を始めた。
侍従達は、なるべくたくさんの種類の仕事をこなせる方がいい。やるべきことはたくさんあるからだ。各種族の侍従は数十人で、大して多くもない。針子は裁縫のみ、などと専門的な仕事はせず、多くのことを分担して行っているのだ。
宮殿に住まう花の貴人の側に仕えるのは、一般の花の子にとって名誉なことだった。希望をすれば誰でもなれるというものでもない。
かつて花の子達は皆争っていたが、族長達が宮殿に集うことにより戦争は終結し、太陽の光も安定した。世界の平和のための犠牲。花の貴人は尊い存在なのである。
――実際は貴人は穏やかではない者が多く、未だ争い続けてはいたが、外から見れば彼らのおかげで皆が助かっていることになっている。
梔子族のオピスも念願叶ってやっと宮殿で働けるようになった矢先、主人は散ってしまったのだから喪失感もかなりのものだっただろう。
主人の話をする時のオピスは顔を曇らせていた。
「半年くらいで咲き直しますから、そう気を落とさないで。それまでに裁縫の腕をあげて、梔子公ガルデニアに素敵なお召し物を用意できるようになりましょうね」
「はい」
オピスはまた目に滲んだ涙を拭うと、練習を続けた。
廊下を誰かが話をしながら通り過ぎていく。その後、ジェードが部屋に入って声をかけてきた。
「少し向こうを見てくる。お前はここにいるな?」
「ええ。当分は離れないつもりです」
「私が戻って来るまで動くなよ」
過保護な王子はそう言い置いて出て行った。もしかすると、今し方通って行った誰かの話に気になる内容があったのかもしれない。
リーリヤも少しだけ気になって首をのばしたが、ひとまずこちらの仕事に集中することにした。
裁縫室には、作りかけの服や試作品などが壁にかけられている。オピスは梔子公が着ているいくつかの衣装について楽しそうに話をしていたが、ふと言葉を切ってリーリヤの顔を見つめてきた。
リーリヤは首を傾げた。
「あの……大変無礼なことを申し上げるようですが、白百合公。あなたももっと飾りものを身につけてはいかがでしょうか」
オピスの思い詰めたような進言に、リーリヤはきょとんとする。オピスは続けた。
「白百合公は我々侍従よりも、随分あっさりとした服ばかりお召しになっているでしょう?」
「まあねえ」
「お似合いになるものがきっとたくさんあるのに、勿体ないです。レースとか……」
「レースは庭仕事をする時に枝にひっかけちゃいますからね。いいんですよ、私は。綺麗な服は綺麗な方に着ていただいた方が幸せですし」
「あなたはお綺麗です! 美しい方はその美しさをより引き立たせるために、飾るべきですよ」
「いえ、私は大して……」
言いかけて、リーリヤは言葉を飲みこんだ。
――私は大して、美しくありませんから。
これを口にすると、菫のイオンに叱られる。
花は皆美しい。その美しさを誇りにしており、己の美を疑うことは御法度だった。美しくないと思うのは、恥ずべきことなのである。それが花の子の価値観だ。
だがリーリヤは実際、自分をさほど美しいと思っていない。勿論、白百合は美しい花であるし、白百合一族は誰も彼も美しかった。
でも、私は。
私のような、あらゆるものが不足している男が、めかしこむ資格などあるはずがない。したいとも思わない。
私は、誰にも見向きもされない花でいい。
「……ありがとう、オピス。けれど、私は動きやすい方が楽ですから。着飾る必要がある時に、また考えましょう」
彼の思いを無碍にしてまで、自分の劣等感を主張するのは醜いことだ。だからリーリヤは笑顔で若い花の子にそう言っておいた。
きっとオピスはリーリヤが裏で何やら言われているのを知っているのだろう。納得のいきかねる顔をしていたが、それ以上言い募るのは控えたらしかった。
部屋を見回せば、煌びやかなビーズ、高価な宝石の釦、金糸銀糸、房飾り、緻密なレースと、服飾に関わる豪華な部品があちらこちらにしまわれていた。
各種族から貢ぎ物が届き続ける宮殿は、とんでもない高級品も平気でそこらに転がっており、盗まれることもない。
だが、故郷がなくなったリーリヤに届くものはなかった。白百合一族はほとんど滅びた。族長が無能だったせいだろう。
(こう言えばよかっただろうか。オピス、私はお金がないのです。……いや、もっと気をつかわせるか)
もしリーリヤに贅沢趣味があったとしても、やはり故郷がないので土地も財産もなく、資金難で着飾るのは難しい。
菫族がそれとなく援助を申し出てくれているのだが、受け取るわけにはいかなかった。
リーリヤは息を吐くと、オピスの手元をのぞきこんだ。
「上手くなってきていますよ。どうやらあなたは筋がよろしいようだ」
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