花の貴人と宝石王子

muku

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第二部 旅

72、船

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 くすんだ蒼穹に、輝く大輪の花が咲いている。平素より光量は少なく、ぼんやりとした柔らかい光ではあるが、目を向けると眩しいことには変わりなかった。
 天空を進む緑の大船には、幾人かの花の貴人と、一人の人の国の王子が乗船している。

 ひとまず目指すのは、花の国と人の国の境。そこから白百合族の族長白百合公リーリヤと、ユウェル国第十五王子ジェードが船を降りて別行動をとる予定となっていた。
 ジェードは船縁から空を見上げた。ここはまだ花の国の中である。地域にもよるが花の国の気候は概ね温暖で、人の国のようなはっきりと移ろう季節は見られない。風からは常に、春のような暖かさや初夏のような爽やかさを感じていたが、現在普段と比べるとやや涼しさを感じるのは、やはり太陽光が変化したせいなのかもしれない。

 今度は眼下の景色を眺めてみる。地平線まで豊かな緑と、数多の花に彩られていた。遠方には山の稜線も見え、ところどころに森も確認できるが、この辺りはあまり起伏がなかった。貴人以外の花の子達が住む地域は、もっと遠くにあるようだ。
 風が葉群を揺らしている。緑は光沢を帯び、動く度に濃淡が変わって見えた。

 肩掛け鞄をさげた旅装姿のリーリヤが、ジェードの横に並ぶ。リーリヤはしばらく黙って花の太陽を見上げていたが、ジェードに視線を移すと微笑んだ。

「乗り心地はいかがですか、ジェード様」
「悪くない」

 植物によって編まれた大船は、複数の花の貴人の魔術によって生み出されたものだ。短時間で作られたとは思えないほどしっかりとした造りであり、細部に至るまで海に浮かぶ船と変わりはない。
 空には波もないせいか、揺れることはなかった。きっと海に浮かべても難なく動くだろう。

 ゆったりとした速力で進んでいるように感じるが、地上を馬で行くよりは遥かに速く、術は安定しており完璧であった。こうしたものを編みあげるのも動かすのも、並みの魔力ではこなせないとジェードは思う。
 花の貴人が扱う魔術には目を見張るものがある。力の大きさ、その複雑さ。

「人の国には空を飛ぶ乗り物はないからな。新鮮だ」
「私も久しぶりに乗りましたよ。こうして高いところから世界を見下ろすのも良いものですねぇ」

 リーリヤはまるで本当に旅行でもしているかのようなのんきな口調である。
 その時、船の先頭の方で閃光が走った。太い光の柱が天を貫き、それと一緒に赤い薔薇の花弁が盛大に舞う。
 前触れのない強大な力の奔出に、ジェードは眉をひそめた。
 乗船している者達の視線が一斉にそちらに注がれるが、誰も慌てはしなかった。

「うん! しばらくこういうことをしてなかったから、忘れていたらどうしようかと思ったが、大丈夫そうだな!」

 元気に大声を発しているのは赤薔薇公ローザである。花弁があちこちに散っており、隣に立っている白薔薇公ヴァイスは無言で自分の頭や肩に乗った花弁を払っていた。
 菫公イオンが呆れ混じりのため息をついている。

「赤薔薇公。何かするならあらかじめそう言っていただかないと。皆が驚くでしょう」
「光を走らせただけだ! 怖がるな!」
「怖がってはいません」

 今の力は宮殿からも見えているだろうから、早速何事か起きたのではないかと皆が心配していなければいいが、とイオンはぼやいている。
 どうやら赤薔薇のローザは、試しに魔術を使ってみたらしかった。花宮殿では大方の魔術が禁止されており、貴人達はささやかな術以外は使えないのだ。そういう状態になってから何千年も経つ。すなわち彼らは長い年月に渡り派手な魔術を使っていないことになる。

「衰えてなくてよかったじゃないか、ローザ」
「いいや、わかってた。この僕の力が衰えるなんてことはあり得ない。力も美貌も、日々増している」

 白薔薇と赤薔薇の会話を耳にしたイオンは目を半分閉じてかぶりを振っていた。相変わらず赤薔薇のローザの自惚れは絶好調といったところで、リーリヤは笑っている。
 ジェードはといえば、光が去っていった空を仰ぎ見ていた。

「あれが全力ではあるまいな?」
「そうでしょうね。少し力を出してみただけでしょう。ローザは剣で戦うのが好きですが、魔力量も相当なもので、魔術の方も見事なのですよ。うっかりしたところさえどうにかすれば、あの子は強いのです」

 ジェードも魔術師ではないがさほど難しいものでなければ術は使え、相手の大体の力量も感じ取れるのだ。

「人の子が花の子と全面戦争になるのは避けた方が良さそうだな」

 制約のある宮殿内での貴人達は、石持ちと比べ弱者である。しかしひとたび外に出れば想像以上の魔力を扱えるらしい。束になってかかって来られると、王子が迎え撃つのも難儀しそうである。
 今は宝玉王もおらず、石持ちの数も多くない。人の子に滅ぼされるのを恐れていた花の子達だが、和平を結んで同族意識を強めた彼らが向かってきた場合、どうなるかはわからないだろう。

「戦になったらお国に帰られるのでしょうね」

 そんな未来が現実になるとは露ほども思っていなさそうなリーリヤが戯れに尋ねてくる。

「いいや、帰らない。人の国と花の国が争うのなら、私はお前達の側につく」
「王子が寝返るとは大変なことですよ」

 リーリヤが苦笑する。
 ジェードはもう物事をリーリヤ中心にしか考えられなくなりつつあった。王子としては無責任極まりないだろう。だからジェードは王子という身分を捨てたいと願っているのだ。
 現状、戦は起こり得ない。花の貴人は宮殿から出られず、出られたところで花の太陽はさらに不安定な状態となり、地上に生きる者達の生活に支障が出るのだ。

 人の子と全面衝突になれば花の子側も被害は甚大なので、避けたいところだろう。
 とはいえ。今はどちらの国もごたついており、何がどうひっくり返るかわからない。戦というものは、徐々に状況が悪化して起こるものもあれば、突如として何かがきっかけで引き起こされるものもある。あまり気楽に構えすぎるべきではない。

 実際今、二つの国の仲を取り持っていると言ってもいい花の太陽にいささか問題が起きている。
 そんなジェードの心を見透かしたのか、リーリヤが口元に笑みを浮かべてジェードの腕に手を添える。

「大丈夫ですよ。人と花は大きな争いはしないでしょう。私達だって、戦はこりごりなのです」

 終わりの見えない長い戦いに、花の子達はようやく終止符を打って安寧を手に入れたのだ。それを手放したくはないのだと言う。戦は大地を汚すから、と。

「まあ、花の子も、ちょっとした諍いは絶えませんけどね。だから完全な平和主義とは言い難いですが」

 リーリヤは困ったように眉を下げた。

「仲良くできますよ。私とあなたがそうであるように」

 リーリヤは確信をこめて言う。心の底から信じて疑わないというより、信じ続けることに意味があると言いたげであった。
 倒れても折れてもむしられても、リーリヤはそうして生きてきたのだ。

 たとえばジェードは兄弟と不仲である。関係の修復は無理であり、そう考える根拠が山とあった。しかしこれがリーリヤであれば、「いつか仲良くできるだろう」と信じるのだ。理想が実現する根拠は全くなく、現状が絶望的だというのもしっかりと把握している。
 それでもリーリヤは希望の光を幻視して走り続けるのだ。これが私の生き方だから、と。

 人によっては馬鹿げていると言うかもしれない。現実から目を背けているおめでたい考えだと。だがジェードが思うに、リーリヤは闇を常に意識しながら走っているのだ。彼は力を持たないから、あらゆる絶望を知っているはずだ。
 ジェードには真似ができない生き方ではあるが、好ましく思えた。

 リーリヤは菫のイオンと話すことがあるらしく、ジェードから離れていった。
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