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23.リボンの刺繍
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「何故ソフィアはいないんだ?」
「所用があるようで遅れるらしく……」
鋭い眼差しに射竦められたカレンは肩を縮こまらせる。
逃げたくても逃げられず、しかし目を逸らすことも叶わない。
狼に狙われた野うさぎはこんな気持ちなのだろうか、と現実逃避した。
その日のカレンとソフィアは共に昼当番を割り当てられていた。
ソフィアが早番、カレンは通常通りの出勤と決まっていたのだが、早朝にソフィアが部屋を訪れて交代の希望を申し出た。
彼女曰く、今日中に済ませたい用事があり、午後になってからでは都合が悪いので早番に重なる時間帯を充てたい、とのこと。
身支度の時間を早めればいいだけのことでカレンにも不都合はなかったので快く引き受けた。ソフィアもいつか埋め合わせをすると約束してくれたので話はそこで終わった。
はずだった。
なのに、何故。
ただでさえ強面のカッツェに、悪事を働いたかのような尋問を受けなければならないのだろう。
「代わりにカレンが早番に入ったということか」
「はい、そうです」
ソフィア本人から知らされているのだろうか、当番の割り当てを知った口ぶりなので素直に頷いた。交代を咎められることはないとわかっていても、何事も正直に話した方が身のためだ、と思わせられる圧をカッツェから感じる。
背後で働く料理人たちの気配が何故だか頼もしく思えた。
「ソフィアにご用でしたか? あと少しすれば来ると思いますが」
「いや、用と言うほどではない」
すっと視線を外したカッツェが小さく息を吐き出したのをカレンは見逃さなかった。単純にソフィアに会いたいという話であれば、直に叶うと納得したのかもしれない。
「お食事はどうされますか?」
「……そうだな、一人分をもらおうか」
再びカレンに向き直った彼から硬い空気が消え去っていることに内心で胸を撫で下ろす。
まだ早番の仕事をこなしている最中の訪問だったので、すぐに差し出せるトレーがない。どうやら様子を見守っていたらしい料理人が気を利かせて盛り付けを行ってくれたのでありがたく受け取ってトレーに乗せ、カッツェの前に差し出した。しかし、彼はカウンターを離れようとしない。
「カレン、近々王城で夜会が行われるのは知っているか?」
「はい。噂だけですが、耳にしています」
話の風向きが変わったことに戸惑いつつも首肯して答えた。
件の夜会については職員寮の食堂で他の職員が話題に挙げているのを耳にしている。話していた職員は清掃担当らしく、広間の清掃を受け持つことになるかもしれないと楽しそうに盛り上がっていた。
王女と王子の恋物語を読んでいたカレンも噂話と小説を重ね合わせて、どんな夜会になるのかと密やかに想像したものだ。
「給仕は別の者たちに任せることになるが、飲食物の管理は食堂職員に依頼が行くことになっている。カレンも呼ばれるはずだ」
「えっ」
小説の物語と同じく、自分には別世界の話だと考えていたので驚きの声を上げてしまった。その様子をカッツェがにやにやと見下ろしてくるのが不気味で怖い。
突然浮上した大仕事はカレンに驚愕を与えたが、瞬時に不安が押し寄せてきた。
「その夜会はどういった趣旨で行われるものなのでしょうか?」
夜会は貴族の社交場だ。父や母、例の伯爵と顔を合わせるようなことがあるのならば、どれだけ得難い仕事でも辞退する他ない。
「国王陛下が王城に勤める者の労いの場として開いて下さる。尤も、参会するのは貴族籍の者に限るが。その代わり、職員たちにも別日に豪勢な食事が振る舞われることになっているから楽しみにしておくといい」
カッツェの言葉に安堵した。
両親も伯爵も王城とは縁遠いのでうっかり出会うことはなさそうだから。
「新参者の私が大事なお役目をいただいても大丈夫ですか?」
「お前は礼儀作法がなっているから任せられると判断された。そのうちマーリル女史から話があるだろう」
騎士団長の彼が夜会に選出された職員を把握しているのは安全面を考慮してのことだろうか。その一員に名を挙げられているのはカレンが信頼に足る人物だと認められているからだろうか。
だとすれば、この上なく光栄な話だと胸が高鳴る。
「俺たち騎士団員も警備のため、現場に立つ」
カッツェの笑みが一際深まった。
「ドノヴァもだ。当然お前も警護の対象だからな」
どういう意味かと思案する脳裏を数日前に聞いたばかりの似た言葉が掠めていった。けれども明確な答えを捕まえる前に思考は遮られてしまった。
「団長の私語も禁止にしましょうか?」
カッツェの背後からぬるりと姿を現したレグデンバーが冷たい眼差しで上司の口を縫い止めに掛かったからだ。
「何だ、お前も来たのか、ドノヴァ」
「フラフラと彷徨う団長を探していたら辿り着いたのですよ」
「遊び歩いていたような言い方をするな」
「あなたなら遊びで私の名を出しかねませんから」
そこでレグデンバーの視線がカレンに向けられた。
「カレンさん、こんにちは。私にもお食事をいただけますか? パンの追加はなくて結構です」
「こんにちは。ただいまお持ちします」
再度料理人に助けられて一人前のトレーを用意する。カウンターに向き直るとレグデンバーが食堂内をぐるりと検めているところだった。
「ソフィアさんは……」
「用があるとかで遅れて来るそうだ」
「……そうですか」
どこか重たい声の彼もまたソフィアに会えなかったことを嘆いているのだろうか。以前にこんな態度を見せられたら申し訳なさや卑屈な感情を抱いていたかもしれないが、今のカレンが重苦しい気持ちに囚われることはなかった。
あの日のレグデンバーの態度と謝罪が、カレンの考え方を変えてくれたのだと思っている。
「お待たせいたしました、どうぞ」
「ありがとうございます」
いつもより張り気味な礼がカレンだけでなく、背後の料理人たちにも向けられていることに気付いて自然と笑みが溢れる。
「団長も。お礼は伝えましたか?」
「子ども扱いするな。お前が来たから言いそびれていただけだ。皆、早い時間にすまないな」
じろりとレグデンバーを睨み付けたカッツェの礼には料理人たちも笑いを堪えられずにいたようだが、言った本人は気にすることもなく、トレーを持ってテーブルへ向かう。レグデンバーも一礼を残してカウンターを離れていった。
それからのカレンは思いがけない来訪者によって中断していた仕事に大急ぎで戻った。
ホールでの作業は終えていたため、カウンター内で甲斐甲斐しく働けば時間はあっという間に過ぎていく。料理人たちとの連携で調理台での盛り付けが一段落ついた頃。
「交代ありがとう。遅くなってごめんね」
頭部の三角巾を結びながらソフィアが現れた。
「構わないわ。用事は済ませられた?」
「カレンのお陰でバッチリよ」
屈託ない笑顔で答えたソフィアがくいっと首を回す。
彼女の項で淡い金髪がするりと揺れ、それを追うように鮮やかな青リボンがふわりと舞った。
「ソフィア、それ……」
大きな声になりそうなところを慌てて抑える。
「勇気付けに結んでいったの。似合ってるでしょ?」
「とても似合ってる。ソフィアの見立ては正しかったのね」
「まさかカレンの選んでいるものが私のための贈り物だなんて思ってもいなかったのにね」
お互いに声を上げないように肩を竦めるだけで笑い合う。
カレンが調理台からカウンターにトレーを運ぶ作業に取り掛かろうとしたときだった。
「あのお二人、今日は随分と早い昼食なのね」
ソフィアの囁き声に、え?と顔を上げる。
ホールのテーブルではカッツェとレグデンバーが顔を寄せて話し込んでいた。仕事に夢中だったカレンは、いつも早々に食事を終える彼らがまだホールに残っていることに驚く。
(そう言えば食器を戻しに来られていなかったわ)
テーブルにトレーを置いたまま去っていく者も中にはいるが、彼らに限っては必ず返却してくれることを知っていたはずなのに、すっかり職務に没頭していたようで気付かなかった。
そんなことを考えていると騎士二人がほぼ同時にこちらに視線を向けた。盗み見がばれてしまったような心地でどぎまぎしてしまう。
「ごちそうさまでした」
快活な声を発したのはレグデンバーだった。
二人は立ち上がり、空の食器を持ってカウンターに向かってくる。ソフィアが彼らに挨拶をしている間にカレンはいそいそとトレーを運ぶ作業に戻った。
「今日はお早いんですね」
「急な予定変更があってな」
(時間調整のために長居してらしたのかしら)
王城詰めの騎士は任務と訓練に当たる者に分かれる。訓練は騎士団が取り仕切るため時間に融通がきくが、主だった任務は対象が人であるため、いつ時間にズレが生じるかは予測がつかない。護衛任務に当たる騎士は護衛対象の都合ひとつで予定が左右されるとも聞く。
心の中だけで会話に参加して働く手を止めないカレンの横を、彼らから受け取ったトレーを洗い場に運ぶソフィアが横切っていった。
「素敵なリボンですね。鮮やかな青に白い刺繍が相まって美しい」
そんな彼女の背中にレグデンバーの賛辞が飛ぶ。
「これ、カレンが刺してくれたんです。私への贈り物にって」
「そうでしたか。素晴らしい出来栄えだと思います」
後半はカレンに向けた言葉だった。
「ありがとうございます。人へ贈る刺繍は初めてだったので、お褒めいただけて光栄です」
「羨ましい限りです」
レグデンバーの藍色の瞳が優しく細められる。
そのとき、カレンの中に小さな違和感が生まれた。
(今の……初めてじゃないかしら)
レグデンバーがソフィアに賛辞を送る姿はこれまでに見たことがなかった。
ソフィアに直接伝えて欲しい、とカレンが直談判するほどに、レグデンバーの彼女に対する褒め言葉はカレンに向けられていた。
でも、と思う。
(結果的に、私を褒めていただいているのでは?)
例えば、リボンが似合っている、という言い回しであればソフィア自身が褒められているとわかるのだが、先程の言い方ではリボンが称賛の対象になっているような気がする。
それでいいのだろうかと改めてレグデンバーに視線を戻すと、彼はまだ緩めた目元でこちらを見ていた。
「カレンさんなら何色が似合うでしょうね?」
「はい?」
「リボンです。ソフィアさんはどう思いますか?」
「えっ、カレンに合う色ですか? そうですね……」
思わぬ方向へ話が展開しかけたときだった。
「こいつらの仕事の邪魔をしてどうする。そろそろ行くぞ」
カッツェが騎士団長らしく部下を諌めてくれた。
作業中にソフィアの所在を確認してきたカッツェがそれを言うのか、と思わないでもないが、到底口には出せないので黙っておく。
「そうでしたね、失礼しました。ではソフィアさん、お互いに考えておきましょうか」
「いいですね! 今度答え合わせをしましょう」
にこりと微笑み合う二人の様子に、心の片隅がもやりとした。
話題の元が自分であるにも関わらず、疎外感を覚えたからだろうか。
「世話になったな」
「ありがとうございました」
銘々の挨拶を残して騎士二人は食堂を後にする。
「カレンに似合う色ね。何色がいいかしら」
背後でソフィアの弾む声が聞こえるが、昼の仕事はこれからが本番だ。
気持ちを切り替えて仕事に戻ることにした。
「所用があるようで遅れるらしく……」
鋭い眼差しに射竦められたカレンは肩を縮こまらせる。
逃げたくても逃げられず、しかし目を逸らすことも叶わない。
狼に狙われた野うさぎはこんな気持ちなのだろうか、と現実逃避した。
その日のカレンとソフィアは共に昼当番を割り当てられていた。
ソフィアが早番、カレンは通常通りの出勤と決まっていたのだが、早朝にソフィアが部屋を訪れて交代の希望を申し出た。
彼女曰く、今日中に済ませたい用事があり、午後になってからでは都合が悪いので早番に重なる時間帯を充てたい、とのこと。
身支度の時間を早めればいいだけのことでカレンにも不都合はなかったので快く引き受けた。ソフィアもいつか埋め合わせをすると約束してくれたので話はそこで終わった。
はずだった。
なのに、何故。
ただでさえ強面のカッツェに、悪事を働いたかのような尋問を受けなければならないのだろう。
「代わりにカレンが早番に入ったということか」
「はい、そうです」
ソフィア本人から知らされているのだろうか、当番の割り当てを知った口ぶりなので素直に頷いた。交代を咎められることはないとわかっていても、何事も正直に話した方が身のためだ、と思わせられる圧をカッツェから感じる。
背後で働く料理人たちの気配が何故だか頼もしく思えた。
「ソフィアにご用でしたか? あと少しすれば来ると思いますが」
「いや、用と言うほどではない」
すっと視線を外したカッツェが小さく息を吐き出したのをカレンは見逃さなかった。単純にソフィアに会いたいという話であれば、直に叶うと納得したのかもしれない。
「お食事はどうされますか?」
「……そうだな、一人分をもらおうか」
再びカレンに向き直った彼から硬い空気が消え去っていることに内心で胸を撫で下ろす。
まだ早番の仕事をこなしている最中の訪問だったので、すぐに差し出せるトレーがない。どうやら様子を見守っていたらしい料理人が気を利かせて盛り付けを行ってくれたのでありがたく受け取ってトレーに乗せ、カッツェの前に差し出した。しかし、彼はカウンターを離れようとしない。
「カレン、近々王城で夜会が行われるのは知っているか?」
「はい。噂だけですが、耳にしています」
話の風向きが変わったことに戸惑いつつも首肯して答えた。
件の夜会については職員寮の食堂で他の職員が話題に挙げているのを耳にしている。話していた職員は清掃担当らしく、広間の清掃を受け持つことになるかもしれないと楽しそうに盛り上がっていた。
王女と王子の恋物語を読んでいたカレンも噂話と小説を重ね合わせて、どんな夜会になるのかと密やかに想像したものだ。
「給仕は別の者たちに任せることになるが、飲食物の管理は食堂職員に依頼が行くことになっている。カレンも呼ばれるはずだ」
「えっ」
小説の物語と同じく、自分には別世界の話だと考えていたので驚きの声を上げてしまった。その様子をカッツェがにやにやと見下ろしてくるのが不気味で怖い。
突然浮上した大仕事はカレンに驚愕を与えたが、瞬時に不安が押し寄せてきた。
「その夜会はどういった趣旨で行われるものなのでしょうか?」
夜会は貴族の社交場だ。父や母、例の伯爵と顔を合わせるようなことがあるのならば、どれだけ得難い仕事でも辞退する他ない。
「国王陛下が王城に勤める者の労いの場として開いて下さる。尤も、参会するのは貴族籍の者に限るが。その代わり、職員たちにも別日に豪勢な食事が振る舞われることになっているから楽しみにしておくといい」
カッツェの言葉に安堵した。
両親も伯爵も王城とは縁遠いのでうっかり出会うことはなさそうだから。
「新参者の私が大事なお役目をいただいても大丈夫ですか?」
「お前は礼儀作法がなっているから任せられると判断された。そのうちマーリル女史から話があるだろう」
騎士団長の彼が夜会に選出された職員を把握しているのは安全面を考慮してのことだろうか。その一員に名を挙げられているのはカレンが信頼に足る人物だと認められているからだろうか。
だとすれば、この上なく光栄な話だと胸が高鳴る。
「俺たち騎士団員も警備のため、現場に立つ」
カッツェの笑みが一際深まった。
「ドノヴァもだ。当然お前も警護の対象だからな」
どういう意味かと思案する脳裏を数日前に聞いたばかりの似た言葉が掠めていった。けれども明確な答えを捕まえる前に思考は遮られてしまった。
「団長の私語も禁止にしましょうか?」
カッツェの背後からぬるりと姿を現したレグデンバーが冷たい眼差しで上司の口を縫い止めに掛かったからだ。
「何だ、お前も来たのか、ドノヴァ」
「フラフラと彷徨う団長を探していたら辿り着いたのですよ」
「遊び歩いていたような言い方をするな」
「あなたなら遊びで私の名を出しかねませんから」
そこでレグデンバーの視線がカレンに向けられた。
「カレンさん、こんにちは。私にもお食事をいただけますか? パンの追加はなくて結構です」
「こんにちは。ただいまお持ちします」
再度料理人に助けられて一人前のトレーを用意する。カウンターに向き直るとレグデンバーが食堂内をぐるりと検めているところだった。
「ソフィアさんは……」
「用があるとかで遅れて来るそうだ」
「……そうですか」
どこか重たい声の彼もまたソフィアに会えなかったことを嘆いているのだろうか。以前にこんな態度を見せられたら申し訳なさや卑屈な感情を抱いていたかもしれないが、今のカレンが重苦しい気持ちに囚われることはなかった。
あの日のレグデンバーの態度と謝罪が、カレンの考え方を変えてくれたのだと思っている。
「お待たせいたしました、どうぞ」
「ありがとうございます」
いつもより張り気味な礼がカレンだけでなく、背後の料理人たちにも向けられていることに気付いて自然と笑みが溢れる。
「団長も。お礼は伝えましたか?」
「子ども扱いするな。お前が来たから言いそびれていただけだ。皆、早い時間にすまないな」
じろりとレグデンバーを睨み付けたカッツェの礼には料理人たちも笑いを堪えられずにいたようだが、言った本人は気にすることもなく、トレーを持ってテーブルへ向かう。レグデンバーも一礼を残してカウンターを離れていった。
それからのカレンは思いがけない来訪者によって中断していた仕事に大急ぎで戻った。
ホールでの作業は終えていたため、カウンター内で甲斐甲斐しく働けば時間はあっという間に過ぎていく。料理人たちとの連携で調理台での盛り付けが一段落ついた頃。
「交代ありがとう。遅くなってごめんね」
頭部の三角巾を結びながらソフィアが現れた。
「構わないわ。用事は済ませられた?」
「カレンのお陰でバッチリよ」
屈託ない笑顔で答えたソフィアがくいっと首を回す。
彼女の項で淡い金髪がするりと揺れ、それを追うように鮮やかな青リボンがふわりと舞った。
「ソフィア、それ……」
大きな声になりそうなところを慌てて抑える。
「勇気付けに結んでいったの。似合ってるでしょ?」
「とても似合ってる。ソフィアの見立ては正しかったのね」
「まさかカレンの選んでいるものが私のための贈り物だなんて思ってもいなかったのにね」
お互いに声を上げないように肩を竦めるだけで笑い合う。
カレンが調理台からカウンターにトレーを運ぶ作業に取り掛かろうとしたときだった。
「あのお二人、今日は随分と早い昼食なのね」
ソフィアの囁き声に、え?と顔を上げる。
ホールのテーブルではカッツェとレグデンバーが顔を寄せて話し込んでいた。仕事に夢中だったカレンは、いつも早々に食事を終える彼らがまだホールに残っていることに驚く。
(そう言えば食器を戻しに来られていなかったわ)
テーブルにトレーを置いたまま去っていく者も中にはいるが、彼らに限っては必ず返却してくれることを知っていたはずなのに、すっかり職務に没頭していたようで気付かなかった。
そんなことを考えていると騎士二人がほぼ同時にこちらに視線を向けた。盗み見がばれてしまったような心地でどぎまぎしてしまう。
「ごちそうさまでした」
快活な声を発したのはレグデンバーだった。
二人は立ち上がり、空の食器を持ってカウンターに向かってくる。ソフィアが彼らに挨拶をしている間にカレンはいそいそとトレーを運ぶ作業に戻った。
「今日はお早いんですね」
「急な予定変更があってな」
(時間調整のために長居してらしたのかしら)
王城詰めの騎士は任務と訓練に当たる者に分かれる。訓練は騎士団が取り仕切るため時間に融通がきくが、主だった任務は対象が人であるため、いつ時間にズレが生じるかは予測がつかない。護衛任務に当たる騎士は護衛対象の都合ひとつで予定が左右されるとも聞く。
心の中だけで会話に参加して働く手を止めないカレンの横を、彼らから受け取ったトレーを洗い場に運ぶソフィアが横切っていった。
「素敵なリボンですね。鮮やかな青に白い刺繍が相まって美しい」
そんな彼女の背中にレグデンバーの賛辞が飛ぶ。
「これ、カレンが刺してくれたんです。私への贈り物にって」
「そうでしたか。素晴らしい出来栄えだと思います」
後半はカレンに向けた言葉だった。
「ありがとうございます。人へ贈る刺繍は初めてだったので、お褒めいただけて光栄です」
「羨ましい限りです」
レグデンバーの藍色の瞳が優しく細められる。
そのとき、カレンの中に小さな違和感が生まれた。
(今の……初めてじゃないかしら)
レグデンバーがソフィアに賛辞を送る姿はこれまでに見たことがなかった。
ソフィアに直接伝えて欲しい、とカレンが直談判するほどに、レグデンバーの彼女に対する褒め言葉はカレンに向けられていた。
でも、と思う。
(結果的に、私を褒めていただいているのでは?)
例えば、リボンが似合っている、という言い回しであればソフィア自身が褒められているとわかるのだが、先程の言い方ではリボンが称賛の対象になっているような気がする。
それでいいのだろうかと改めてレグデンバーに視線を戻すと、彼はまだ緩めた目元でこちらを見ていた。
「カレンさんなら何色が似合うでしょうね?」
「はい?」
「リボンです。ソフィアさんはどう思いますか?」
「えっ、カレンに合う色ですか? そうですね……」
思わぬ方向へ話が展開しかけたときだった。
「こいつらの仕事の邪魔をしてどうする。そろそろ行くぞ」
カッツェが騎士団長らしく部下を諌めてくれた。
作業中にソフィアの所在を確認してきたカッツェがそれを言うのか、と思わないでもないが、到底口には出せないので黙っておく。
「そうでしたね、失礼しました。ではソフィアさん、お互いに考えておきましょうか」
「いいですね! 今度答え合わせをしましょう」
にこりと微笑み合う二人の様子に、心の片隅がもやりとした。
話題の元が自分であるにも関わらず、疎外感を覚えたからだろうか。
「世話になったな」
「ありがとうございました」
銘々の挨拶を残して騎士二人は食堂を後にする。
「カレンに似合う色ね。何色がいいかしら」
背後でソフィアの弾む声が聞こえるが、昼の仕事はこれからが本番だ。
気持ちを切り替えて仕事に戻ることにした。
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