マジカルカシマ

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内緒の噂

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 シャッターを完全に下ろした店内。オーダーケーキについて話し合うためのテーブルでお客さん側に座る獅堂さんと富士さん、獅堂さんの斜め後ろに立つ波路くん、店員側のりーちゃんの隣に俺が座った。お兄ちゃんは俺の隣に立っている。

 質問を始めたのは獅堂さん。
「おまじないは誰から聞いたんですか?
 詳しいルールは?」

 りーちゃんは諦めているとも反省しているとも取れる様子で、俯いてはいないものの視線は伏せられている。
「病院で聞きました。
 制限内で食べられるスイーツを時々ボランティアで差し入れていて、その時にナースさんから「内緒だよ」って。
 ルールは『マジカルカシマ』と書かれた物を食べて、その言葉を言うとぬいぐるみが現れてどこかに連れていかれる。書いた人と食べる人は同じでも違ってもいい。連れていかれた人は元いた場所の記録からも記憶からも消える。
 マジカルカシマは1人だから、別の人の所へ行っている時は呼んでも来ない。
 1度食べれば来るまで呼べる。それだけです」

 獅堂さんは少し安心したように俺を見た。
「1度来たら、その人はもう1度食べないと呼べない?」
 りーちゃんもホッとしたように俺を見る。
「かもしれません」

 富士さんが止める。
「基本現れたら連れていかれるんでしょう?
 現れたのに連れていかれていない前例が無いなら言わない方が」
 お兄ちゃんも続いた。
「僕もそう思います」

 不便だな。
「それって正確に発音しないとダメなの?」
 獅堂さんとりーちゃんが同時に頷いた。
「たぶん」
「そうですね。契約は名前の正確さが大事です」
 フルネームじゃなければいいんだ。
「じゃあ俺はマジ子ちゃんと呼びますね。不便なので」

 獅堂さんが頷いた。
「知らずに食べてしまう可能性もありますから全員そうした方がいいでしょう。犯人の規模や能力によってはたとえば市販や外食のパンにバターで書くこともできます」
 全員が頷いた。

 お兄ちゃんも不本意そうだけど頷いた。常に丁寧語なお兄ちゃんはちゃん付けに抵抗があるのかな。別にマジ子さんでもいいと思う。

 富士さんが話を戻す。
「教えてくれた子のお名前は?」
 りーちゃんがためらっている。
「りーちゃん、捜査に協力するだけだから」
「うん。えっと……あれ?」

 獅堂さんが「少し失礼します」と言ってから手を伸ばした。りーちゃんの額に、人差し指で目を覆うように手を当てる。
浮草うきくさあおい?」

 獅堂さんが手を離して見えたりーちゃんの表情は曇ってる。
「すみません。一瞬『そうだ!』って思ったのに、今は何も思い出せません」
「お名前だけ分かれば十分です。負担が掛かるので無理に思い出そうとしないで下さい」
 目の前にいるのは本当にあの獅堂さんなんだろうか。

 りーちゃんの言葉から富士さんが察した。
「あおいさんは自分を連れて行ってもらった?」

 うちのナースさんなら俺も浮草さんに会ってるだろうに全然思い出せない。お兄ちゃんが連れ去られたあとのこの町ってこんなだったのかな。
 俺は今年思い出すまで「お兄ちゃんがいない」ということを認識してなかった。お兄ちゃんは20年以上、俺を憶えているのに俺に会えずにいて、お兄ちゃんのことを考えない俺を見てきたんだ。どんな気持ちだったんだろう。
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