異世界スロースターター

宇野 肇

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四章 清算

前夜(3)

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 オーガとは鬼の一種だ。出現するのは密林やダンジョン内で、稀に平原でも遭遇することがある。見た目は巨人だが知能は低く、怯ませるのは容易だが肉体は頑丈にできており、痛みに強い。体躯を活かした物理攻撃が得意で、金砕棒などメイス系の武器を持っていることが多い。今回は大剣だが、いかにも禍々しそうな、漆黒の刃に紫ともピンクともつかない気を纏っている。何らかの呪い効果を強制的に付加される魔剣や妖刀と称される武具の持つエフェクトに似ている。元々オーガが出現するような場所の適正レベルは低くはないが、特に魔剣の類は低レベルでは扱えないはずだからこの個体は俺が知る中でも強い部類に分けられると思った方がいい。
「ギル!」
 支援魔法バフをかけ、ギルの攻撃力を上げる。続いて妨害魔法デバフによる足止め。麻痺は効きにくいから避けて、目暗ましだ。ウィズワルドから譲り受けたペンダントのおかげもあって、魔法の効きは中々のものだと自負している。本職とは比べるべくもないが、ギルの補助をするのには十分だ。
 アドルフの大きさを本来のものの二分の一程度に戻し、力負けしないように状況を見る。幸いオーガは一体だけだ。俺とシズは不用意に近づいたり、近づかれたりしない限り慌てることはないし、近づけさせないためのギルとアドルフだ。
 一人と一匹はオーガの大振りな攻撃をひらりとかわし、空振りに終わった隙を狙って確実にオーガに攻撃を通し、体力と耐久力を奪っていく。怯むことがあまりないから、油断していると重い一撃を食らって死にかねない。まあ、アドルフとギルに限ってそれはないだろうが。
 ただ、こちらにもスタミナというものがある。このオーガを仕留めて事態が沈静化するなら構わないが、この後もまだまだモンスターを相手にしなければならないと思うと、出来るだけ早く倒し、前衛を助けるのがベターというものだ。怪我のリスクも低いうちに抑えられる。
 指を手繰り、攻撃魔法を放つのに必要な魔力を掻き集める。ミュリエルのところで行った修行により、魔法を放った際に魔力が抜けていく感覚にもずいぶん慣れた。
 ギルとアドルフの動きを見ながら、オーガが吼えて大剣を振りかぶったタイミングで手元から凝縮した魔力を解き放つ。
「……落ちろッ!」
 声を張り上げて腕をオーガに向けて振り降ろすと、オーガに雷が突き刺さった。断末魔めいた叫び声は落雷の際のけたたましい音で幾らか掻き消される。よろめくオーガに出来た大きな隙を見逃さず、ギルのジャマダハルとアドルフの牙が巨体へ向かい、食いちぎった。
 大剣を持つこともできなくなり、立ち上がる足も失ったオーガはそれでもまだ呻き暴れていたが、ギルが心臓を突くとそれもなくなった。
 絶命したのを確認して、肉体を燃やす。後に残った魔晶石を回収して、ようやく一息つけた。
「……ふう。お疲れ。ちょっと派手だったかな」
 一応『攻撃魔法・中級』の魔法なのだが、ステータスの割には威力があった。ウィズワルドに貰ったペンダントで知力を底上げしてる所為だろう。
「先ほど別の場所でも火柱が上がりましたし、大丈夫でしょう……。凄い速さと威力の魔法ですね」
「でも、俺たちの場所を知らせたようなものだし。逃げられてないといいんだけど」
「今更だろ。どうせ相手も元々一ヶ所で固まってなんかいねえだろうしな」
 それもそうか。
 ギルの言葉に頷き、オーガの残した大剣を回収する。鎧はぼろぼろだったし『鑑定』してみたが大したものではなかったからその場に放置だ。
「よし、じゃあ先にすす――」
 声を掛けようとした矢先、ぞわりと身が竦むほどの何かを感じ、頭で何か考えるよりも先に緊張で身体が強張った。右半身だけ鳥肌が立ったように肌が刺激され、気味悪いものが蠢くように身体の右側を、下から上へ駆け巡る。耐えきれなかったのか、シズが小さな悲鳴を上げた。アドルフが唸り、ギルが静かに武器を抜く。
 逃げるように勝手に動いた身体とは裏腹に、意識はその原因へと向かう。視線の先に、黒い靄と青い炎のようなオーラを纏った騎士の姿が見えた。……首は無い。
「っ、デュラハン……!」
 首無し騎士デュラハン。死にゆく者の前に現れる妖精とも、謂れなき罪により無念のうちに斬首された騎士の怨念とも言われている。死をもたらす、あるいは死を振りまく厄介な性質の通り、体力をごっそりと持っていかれるドレイン攻撃を持っている。実体はなく、甲冑が依り代となっているため、聖魔法か精霊の力を借りる精霊魔法以外では装備を壊してしまわない限り動き続ける。
 かしゃん、と甲冑が音を立てたかと思うと、実体を持たないが故に軽やかな動きでデュラハンが距離を詰めてくる。
「シズっ」
 デュラハンは決して弱いモンスターではない。最も弱い相手を狙う性質を持っており、甲冑の耐久度も高く、聖魔法がなければ苦戦しやすい。
 しかし、それらを把握していれば怖がることはない。
 制御が荒くなったが魔術で防御結界を編み、デュラハンの一振りを防ぐ。直ぐに壊されて切っ先が肩をかすめ貫通ダメージを貰ったが、まともに食らわなければそれでいい。
 アドルフがデュラハンに襲いかかり、体当たりで吹っ飛ばして吠え猛る。
「ヒューイさま!」
「大丈夫。ギル! 甲冑を壊せば倒せる!」
「分かった」
 興奮しているのか、傷が深くないのか、思ったより痛みはない。それも、シズの回復魔法で直ぐに癒えた。
「くっ……他にも何体か近づいてくるな」
 『気配感知』で拾った敵対する存在。耳鳴りに似た音が複数重なり、凡その方角を伝えてくる。どうやらアドルフが吼えたことで引きつけてしまったらしい。
「シズ、攻撃はしなくていいから回復に集中。あと、離れないで」
「はい!」
 シズを背に庇うように立つが、後方からも二つ気配を感じる。うまい具合に四方八方から集めてしまっている。……味方を驚かせるかもしれないけど、限界まで引きつけて一網打尽にするしかない。
 ギルとアドルフは二対一ということもあってか切羽詰まってはいないが、デュラハンのドレイン攻撃が通ったらリズムが崩れてしまう。
 ちりちりと鬱陶しささえ感じる気配に焦燥感を掻き立てられつつ、援護射撃に風の刃を叩きつける。そこそこ傷ついてはいるようだが、デュラハンの嫌なところは状態異常デバフが効きにくく、どれだけダメージを与えても動きが鈍ったりしないところだ。剣や甲冑を砕かない限り油断はできない。
 物は試しと魔術も使って足元を埋めてみたが、わずかな足止めにしかならなかった。
「くそ、」
 他のモンスターの気配が強くなってくる。……そろそろ仕掛けた方がいいか。
「……」
 スキルには、全体攻撃や範囲攻撃など、特定のエリアにいる者を攻撃できるものが存在する。無差別なものもあれば、パーティメンバーであればダメージを食らわないものも存在する。魔法であればその殆どが上級以上で、発動エフェクトも派手だ。
 今まではあまり大規模な範囲魔法を使う機会がなかったが、近づいてきているモンスターたちがデュラハンくらいの強さや厄介さを持っている可能性を考えて、より消耗しない方を選ぶことにした。
 俺が覚えた攻撃魔法は上級まで。本職であったウィズワルド時代にはもっと上位のスキルまで開放できていたが、俺は使い勝手が良いものや使う頻度の高い魔法に関しては全て同じ動作でショートカット登録をしている。新たに覚える手間が省けるからだが、改めて身体に馴染んだものにしておいて良かったと思う。魔法はスキル発動にかかる時間が決められており、上位になればなるほど時間がかかってしまうからだ。ショートカットの場合も同じで、初級レベルなら一振りで済むが、上位はいくつかの動きを組み合わせなければならない。
 覚えやすさを優先し、大きく腕を振って五芒星を描く。これで五つ扱い。そこから属性ごとに別のアクションを登録することで魔法が完成する。――今回は火だ。
「行けえ!」
 魔力で描かれた五芒星の前で真一文字に腕を振る。瞬間、俺を中心に炎の海が広がり、辺り一帯を飲み込んだ。
 ごう、と音がして、揺らめく炎が肌をくすぐる。飛沫を上げるマグマよろしく、炎は勢いよく天へ向かって大きくなる。夏場、アスファルトで熱せられた空気を纏った風ほどの暖かさがあるが、それだけだ。発動直後俺の背中にしがみついたシズも、それが分かってか少し力を緩めた。
 炎が呼んだ風が思いの外きつく、腕で顔を庇う。方々であがるモンスターの咆哮。苦しむような怨嗟のこもった音が大気を震わせる。
 視界一面赤く染まる中、アドルフの一吠えに意識が引きずられた。その先に、炎に巻かれながらデュラハンの鎧を突き、砕くギルが見えた。



「やれやれだな」
 炎が引いた時、立っているのは俺たちだけだった。燃えるものは全て燃え、視界を遮るものがぐっと減っている有様を前にして、今更ながら人のいない貧民街とはいえぶっ放してしまった魔法の規模に汗が噴き出した。モンスターは焼け焦げ、消し炭になっているものもある。魔晶石を回収しながら、拾遺物はないかと辺りを窺う。最も形を止めていたのはデュラハンの装備品だったが、焼け焦げ、ぼろぼろになっており、使い物にならないことは明白だ。
「凄い威力でしたね」
「ごめん、説明する暇がなくて」
「いや。手間が省けた」
 味方を巻き込んで攻撃を通す方法を取れるほど割り切れていないことはギルもシズも分かってくれていたのか、それとも結果的に無事戦闘を終えることができたからなのか、突然の範囲魔法を咎められることはなかった。少しホッとする。シズは俺の側に居たから兎も角、ギルは戦闘経験からくる理解に助けられた。
 もう一度侘びの言葉を口にすれば、励ますように肩を叩かれる。
「気を落とすなよ。……どうやら、いい発見もできたようだしな」
「え?」
 ギルは俺を見てはいなかった。つられて、俺も彼が見ている方向へ顔を向ける。
 今回の範囲魔法は大体半径30m程までカバーできるものだ。よって、現在周囲は直径60mほどの円状に焼け焦げてすっきりと開かれている。深夜だが月明かりに助けられ、『暗視』がなくともそれなりにどこに何があるかは分かる状態だった。
 とはいえやはり夜は夜。薄暗い中、仄かに光るものを見つけるなど容易く、ギルの言わんとするところは直ぐに分かった。恐る恐る近寄ると、元は土壁だっただろう、黒焦げになった土を被った何かが確認できた。
「……これは……?」
 綺麗にカットされた大きな宝石のようなもの。『鑑定』してみると、非常に質の高い魔晶石であることが分かる。光は恐らく可視化された魔力だろう。魔法を放つまでは感じなかった存在感、気配をひしひしと感じる。人の手が既に入っている形状的に倒したモンスターから出てきたものではないようだが……。
 目を凝らしていると、魔晶石の中に魔法陣が見えた。どうやら既にこれでなんらかの魔法を発動しているらしい。
「怪しいですね……」
「うん」
 貧民街にこんな高価なものがあるのはおかしい。取り敢えず魔力を奪ってみようと魔術を組み立ててみる。魔晶石に直接触れるのは避けて、石を包むようにして魔力で魔法陣を編む。と、
「いてっ」
 魔力吸収ドレインの術式を描いたところで陣が弾け、指先に痛みが走った。静電気のような強さだから外傷はないが、なかなか痛い。
「だめか……」
 出来れば原型を留めた状態でクレメンテ卿に手渡したかったが……。
 その時、魔晶石が放つ光が強くなった。中に描かれた陣が輝いているのだ。
 魔力の濃度が増し、警戒から距離を取る。だが、そんなものに意味などないと言わんばかりに一瞬で魔晶石の陣からモンスターが飛び出した。
「ひっ」
「っ、ヒューイ!」
 真っ直ぐ俺目掛けて飛びかかってきた三頭犬ケルベロスに身をすくませた俺を、ギルが引き寄せて庇ってくれた。幸いにも上半身を食いちぎられるのは免れたが、一瞬で高まった緊張と混乱の中強かに身体を打ち付けたことで思考が飛ぶ。数度喘ぐように呼吸をしたところでケルベロスの怯んだ声が遠く聞こえた。
 まだ戻らない思考と揺れるような視界で物を捉えることは難しく、かろうじてきゃん、と犬らしい声と、シズがアドルフを応援する声、それから直ぐ後に
「いいぞ犬っころ」
 ……と、そんな聴きなれない男の声を耳で拾うのみ。
 そこでようやく最後のは誰だ、と思考が回り始め、ギルに支えられながら立ち上がった頃には、ケルベロスの身体は綺麗に真っ二つに引き裂かれていた。
「……う……」
「大丈夫か?」
「なんとか」
 目を伏せて深く息を吸い込み、吐く。ドッドッと跳ねる胸元を抑えつつ改めて目を開けると、暗い色の外套に身を包んだ第三者のシルエットを捉えた。鼻先がつんと飛び出した黒の狐の面を被り、頭も外套に覆われているため身体的な特徴をあげるのが難しい。狐の面は金と赤で化粧のように目や口元の輪郭を彩られており、愛嬌さえ感じる優しい表情をしている。
「……あなたは?」
「マレビトのシキビだ。あんたもそうなんだって? 
 ジンから話を聞いてきた。下手人は召喚士一人で、高純度の魔晶石で複数箇所からモンスターを放っているらしい。早急に破壊するよう言付かったから見て回ってる。見つけたか?」
「まあ、はい」
 どんな顔をしているのかは分からないが、声は普通の男の声だ。同じマレビトであるせいか、どこか気安ささえ感じる。年齢は……分からない。
 言われるまま先ほど見つけた魔晶石を指さすと、突如現れたシキビと名乗る狐面の男はあっさりと肩にくくりつけていた大振りのナイフで魔晶石を綺麗に真っ二つにした。
 魔法陣が壊れ、魔力が散っていく。
「ほらよ」
「あっ」
 ぽいぽいと投げて寄越された魔晶石をどうにか受け取る。手の中にあるものとシキビとを見比べると、あんたが見つけたんだろうと首を傾げられた。……これは俺がクレメンテ卿に渡せばいいのかな。
「これでここは終わりか」
「あの、今どういう状況に? というか……どこまでどういう状況か分かってるんですか?」
 魔晶石をインベントリに仕舞い、少し離れて控えていたシズとアドルフを呼び寄せる。
「明日の裁判で引っ立てられる予定だった例の女が逃げた。その手引きをしたのが今回の下手人だ。警備兵の中に紛れていたようだ」
「! ……ギフトが効かないよう、厳重に監視されていたんじゃ?」
「ギフト関係なく女に惚れ込んでたらしい。その辺の詳しいところは兎も角、女を逃がすために今回の騒ぎを起こして、場が混乱している隙に潜り込んだってわけだ」
 シキビは監視兵とは別口で、アデルベルタ嬢の監視をしていたようだ。
「まだ捕まってないんですか?」
「いや、そろそろ捕まえるんじゃないか。別の奴が追いかけてるが……性格悪い奴だからな。疲れさせてへたったところを甚振るつもりかも」
 ……。どういう人かは聞かないほうがよさそうだ。
「あんたのを合わせて三つ魔晶石の破壊を確認している。流石にこの規模の魔晶石をごろごろ用意するのは難しいだろうから、魔晶石の捜索は探すのが得意な奴に任せる。俺は既に街中に入っちまった奴の掃除だな」
「……俺たちも手伝います」
「助かる。けど、回復魔法が使えるなら神殿へ行ったほうがいいかもな。怪我人が出てる。死んだ奴もいる。……それに、大体のモンスターは神殿には近寄れないけど、強い奴が出てきたらそれも微妙だ」
 言われ、はっとする。城郭都市が安全なのは、神殿と聖職者たちの有無もあるが、一番には物理的に隔たるものがあるからだ。その城郭の中でモンスターが放たれた以上、絶対的な安全地帯はない。それでなくとも今まで高く保たれていた安全性が一気に低くなっているのだ。神殿にこそいざという時の戦力は必要だろう。
「ジンは神殿で指示を出してる」
「分かりました。俺たちは報告を兼ねて神殿へ向かいます」
 シキビが頷く。アドルフで神殿へ避難した人たちを怯えさせるかもしれないが、背に腹は変えられない。完全に本来のサイズにするのは大きすぎるが、それでも三人が乗れる程度に大きさを調整し、アドルフの背に乗った。シズを先頭に、騎乗スキルのある俺がシズの後ろに、シズが落ちないよう半分覆いかぶさるようにして支えながら乗る。ギルは俺の後ろで同じように。
 シキビに手を振ろうとして、彼が俺たちを見上げているのを確認し、口を開く。
「シキビ! さっきはありがとう! 助かった!」
 手を挙げると、シキビは返事のように軽く手を挙げた。それを確認し、アドルフを走らせる。ぐん、と力強く視界が動き、アドルフが風を切る。大通りに飛び出すと、神殿への最短ルートを駆けた。
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