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第五章 戸惑い
107、良太の苦悩 7
しおりを挟む刺した……はずだったし、地面には血も垂れている、でも、痛くない。
はっ! と思って目の前を見ると、その男の手が俺の腹に被さっていた。つまり、俺はその男の手を刺したんだ。
「ひっ! あっ……あっ」
「大丈夫だから! 落ち着け。血は出ているがそんなに深くない。大丈夫だ。君は俺の保護対象だ。どんなことがあっても怪我ひとつさせられない。おい、この子を保護しろ。止血するから、目を離すな」
他の黒スーツを呼びつけて、あっあって、言って動揺している俺を他の奴に渡して、そいつ何もなかったかのように、ハンカチを出して傷の手当てをしていた。
呼ばれた奴が俺に話しかける。
「君は今、何をしようとしていた。自分のお腹を刺そうとした? どうしたい? 自分を傷つけるほど……不安定な君を今、解放するわけにもいかない、上條氏の元に帰りたくないの? 強姦されたからって君は責められない」
「ねぇ、あんた本当に警察なの? 俺は何度もアルファに騙された。俺の心配をしてくれるなら、今すぐここで何もなかったように解放して……」
「俺たちのことは信用できないなら、直接今、上條氏と電話で話してみよう、そうしたら信用してくれるかな?」
「そうやって、騙すんでしょ。本当は先輩からの依頼じゃない。もし本当だとしてもあいつはアルファだから、話したくもない」
「どうして? 番でしょ?」
「あんた、さっきから俺の話、聞いてる? 言ったでしょ? アルファは嫌いだって、番以前にあいつはアルファ。だから二度と会いたくない。早く番を解消するようにだけ伝えといて、それでいい?」
「……わかった。じゃあ、岩峰医師は? 彼もこの件には関わっている。君は番がいるとはいえ、まだ保護者がいるからそちらにも警察関係者から話は伝わっている」
どういうことだ? 勇吾さんまで持ち出してくる。絢香の番の使いじゃないのか? 本当に先輩が? 俺が一瞬戸惑って何も言えなくなっていると、その男が勇吾さんに電話をして、俺にかわってくれた。
事務的な会話だったが、確かに勇吾さんだった。迎えに行くから彼らに従いなさいとだけ言われた。そして、俺は初めてその目の前の男達を信じた。とりあえず保護は成功して、勇吾さんが迎えにきてくれる話になって、待ち合わせ場所まで車で向かう。
「あの……ごめんなさい。勘違いして、あなた達に酷いこと言ったし、さっきの人の手を傷つけた。治療費とか損害賠償? とか、俺ができることはします」
「我々は要請に従っただけです。仕事中の事故は全て会社から保険が落ちる、そこは心配しなくていい。プライベートまでは干渉できないけど、番から酷い仕打ちを受けているのか? そういう話なら違う機関を紹介するよ、体を差し出すなど平気で口にしてはいけない、オメガだって立派な人間だ、尊厳は守られる」
呆れた。こんな綺麗事をオメガに聞かせるなんて。
「……力で敵わない。逃れられないなら少しでも痛くない方を選ぶ。他の人は知らないけど、オメガの俺は危機を回避するためなら自分から体を開いたりもする。初めの頃は抵抗したよ。だけど、抵抗しても結果は一緒だった。経験から覚えたんだ、体を差し出して最低限の痛みに抑えることを。だからって平気で言ってない。心の中ではいつも悔しくて泣いている。アルファにはわからないですよね。とにかく、ごめんなさい。僕、もう疲れたから、お話はやめてもいいですか?」
「……、っああ、すまなかった、休むといい」
気まずそうな顔をしたけど、それ以上はほっといてくれた。
連行中、俺の体調はどんどん悪くなっていった。熱が出てきている、もう限界だった。
熱い、熱い、熱い。
「どうした! おい! これは酷い熱だ。岩峰医師に診てもらおう、もうすぐ着くから」
朦朧とした中、思う。
絢香もこの副作用を経験したんだ。それでもまたジジイに抱かれたいって言っていた。俺は、どうだろう。こんな思いしてまで抱かれたいとは思えない。ダメだ、頭も痛いし気持ち悪い。勇吾さんはこの状態を見たら、男とやったってわかるだろうし、先輩のところに連れて行かれても地獄だ。どちらにしても自業自得、俺はいつもバカだ。
『なんで、そんな…この子は……』なんか揉めている声が聞こえるけど、どうしたんだろう。
でも俺、力出ないし、声も聞こえなくなってきた。このまま死ねれば幸せだな……そんなことを思っていたら目は開かないのに、笑っていた自分がいた。
◆◆◆
この感じ、いつもそう、この匂いがすると大丈夫って思うし、とっても欲しくなる。触って、もっと近くで匂い嗅がせて、抱きしめて、ねぇ愛しているって言って……俺を安心させて。
はぁっ あっ、ひやっ、んんっっ。
なにこれ、後ろをいじられている? しばらくすると俺の後ろから指が外れた。
「良太君、目が覚めた?」
「ゆ……うご、さん? けほっ、はぁはぁ、なん……で」
なんでの後が続けられなかった。もう言葉を発する力も無い。なぜか勇吾さんの指が俺の中に挿入っていた。あぁアタマが痛いし、すごく寒い。そっか、熱出たんだ。あの警察の人、ちゃんと勇吾さんと会わせてくれたんだ。
「君の中の精液を取ろうと思って、色々検査しなければいけないからね、病気もらってないかとかね。君は、番以外の人と性交渉をして副作用で苦しんでいる。……この意味、わかるね?」
勇吾さんはいつもの優しい声じゃなかった。
すごく低くて、怒っている。病人に向ける顔でもない。まるで熱が出て当たり前、そんなに辛くしているのは誰のせい? と責められているようだった。
「あっ……、ごめん……なさっ」
「岩峰先生、もうその辺にしてくれませんか? いつまで良太にくっついているんですか、もうお帰りいただいて結構です。この建物には随時、医師も看護師も滞在しています。もう先生はご自分の仕事へ戻ってください。この度はありがとうございました」
えっ、先輩? なんで、そう思って俺は勇吾さんを見上げた。でも勇吾さんは渋い顔をしたまま、俺を見たくないみたいで視線を無視して、先輩と話を始めた。
「もう診察は終わった。後ろはやりすぎたんだろう、少し腫れている。朝夕の二回、軟膏を塗っておくといい。くれぐれもセックスはしないように、まだ病気をもらったか結果はでてないから、君のためにもやってはだめだよ」
勇吾さんが淡々というそのセリフに、俺は涙が出てきた。泣きながらかすれた声で勇吾さんを呼んだ。
「ゆうご……さんっ」
俺の言葉は無視されて、勇吾さんは先輩に俺の看護方法を伝えている、どうして?
発熱はまだ続く、その間、水分だけはしっかり取らせろとか、薬は何も与えなくていい、頭痛薬や吐き気止めを飲んだところで意味はない、そんなことを淡々と伝えていた。
「要は自然治癒力しかない。中に入ったアルファの体液が、汗や尿などで全て出し切らなければ無理だ。水分をたくさん入れて排出させるんだ。差し当たり君のフェロモンが薬だ。キスはたくさんするといい。まだ君の気持ちがあるなら、だけどね。じゃあ僕にできることはないから、いくね」
俺ではなく先輩に話を終えると、出て行った。
「えっ、ゆう、ごさん ……待って、なんで……」
泣きじゃくる俺を振り返ることなく帰った。ああ、俺はとんでもないことをしてしまったんだ。婚約者を裏切った。怒って当然だし捨てられた。そう思ったら涙が止まらなかった。そして、先輩が近寄ってきた。
「泣くな」
俺はビクっとなった。
今どういう状況だろう、俺、勇吾さんに見捨てられた? 先輩にも番解除される?
あまりの頭の痛さに意識を手放した。
意識が朦朧としている中、何度かキスをされた気もした。そしてふと目を覚ました時に、先輩に抱きしめられて寝ていた、番の匂いに安心している愚かなオメガである自分に涙がでて、ずっと泣いていると、先輩が俺の背中をポンポンとたたいて、何も考えず寝ろと言われたのはなんとなく覚えている。
そして次に目が覚めた時、自分がどこにいるのかが全くわからなかった。最後の記憶は先輩の声。見渡すとそこは大きな部屋のベッドルームだった。キングサイズ? のベッドが一つ。なんとなくホテルではないような気がした。ベッド脇には水があるから、それを飲んだ。
軽く体を動かしてみると、まぁぎこちないがちゃんと動くし、筋肉痛が残るくらいでもう気だるさもない。汗をかいたみたいだったので、シャワーを浴びたかった。
ベッドから起き上がるとふらつくが、歩けないこともない。そして寝室っぽい部屋のドアを開けると、そこはとっても広いダイニングルームだった。大きな窓からは自然光が入ってきていて、家の中なのに、やたらとでかい木もある。なんだ、こりゃ? すげえ、まるでモデルハウスの住人かのような見栄えのある男が、ソファに座っている。
もう匂いで誰なのかは検討がつく。俺の体にその人の香りが染みついているから。ドアを開けて眩しさにボーっとしているとこっちにきた。
「良太、もう大丈夫か? 辛くないか?」
俺の両腕を掴んで顔を覗き込み、俺のおでこに自分のおでこをあてて、熱がないか確認していた。うん、大丈夫そうだねって言った。
目の前には前と変わらない態度の番がいた。
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