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第九章 運命の二人
188、強制発情 4
しおりを挟む「ここがどこかわかります? あなたに何があったか言えますか?」
目の前には医者らしき白衣を着た年配の男がいた。ここ、病院?
「ここは、えっと病院ですか? 俺は確か発情していた……はず? えっともう一週間たった?」
今、発情期は過ぎたと理解した、頭も体もあの独特の重さがないから。
男が俺の脈を測っている。看護師にそっと何かを告げて、そして俺に向き合う。
「薬による発情のようだったので、数時間過ぎただけでもうヒートは終わっています。あなたは発情中、自分の体を傷つけ、血の流しすぎで意識を失いました」
そういうことか。
「そうでしたか……。えっと俺の番は? 俺は捨てられたんですか?」
「上條さんには、今は面会できないと伝えているので、外にいらっしゃいますよ」
「ここって?」
「ここはマンション内の専用クリニックです。あなたは最後に何をしたか覚えていますか?」
「ああ、なんとなく。俺は……なんで手首ささなかったんだろう」
俺はボソッと言った。
確か最後は自分の足を必死で傷つけていたはず。なんであの時、足を選んだんだろう。あんなに辛いなら、一人きりになったチャンスがあったなら、なぜ俺は命を落とす行為をしなかったのだろう。医者はその小さな声を聞き逃さなかったみたいで、驚いていた。
「手首?」
「あっ、いや、たまたま割れたガラスが刺さったら発情が収まった気がして、それで血を出し続ければ発情の辛さを止められるかなって、そこまで頭回らなかった。次はそうしてみます」
医者は、なんとも言えない顔をしていた。
「残念ですが次はありませんよ。アルファは同じ過ちを二度も犯さない。あなたには、もう一人で過ごす発情期はないはずです」
「どうでしょう。番は俺を相当嫌っていますから、復讐でまた同じことすると思いますよ」
「嫌なら、そんな面倒なことまでして囲いませんよ。上條さんなりに、あなたを繋ぎとめようと必死です。あまりこんな例はないからなんとも言えませんが」
年配のせいか、医者のせいなのか、俺は初めて会うその人の声を心地いいと感じていた。
穏やかで、まるで勇吾さんを思い出す。白衣がそうさせるのかな。そんな俺の何とも言えない表情を読み取ったのか、医者は笑顔を見せて穏やかに話を続けてくれた。
「いろんなことが一度にありすぎて、混乱しているだけです。今は番の庇護下にいる。それだけの事実を受け取って、愛を返して差し上げたらどうですか? もう難しいことは、問題は終わったのでしょう」
「俺たちに愛はないです、ただの執着。それに問題って」
この人はいったい何を知っている? それに何を言いたいのかが、俺にはわからない。
「上條桜さんの番、それが現状です。そしてここは番を外に出さない住居で、オメガが困らない程度には娯楽施設も充実しています」
そのままゆっくりと説明してくれると、さらに付け加える。
「番と二人だけの世界も案外悪くありませんよ? アルファは、日中は大抵働いているので一人の時間もできるし、この状況をうまく使っていけばいいんですよ」
「でも、俺は他の人を選んだオメガだから……」
「そんな罪悪感は捨ててしまいなさい。上條さんはあなたを愛している。現に外で泣きそうな顔してあなたの治療が終わるのを待っていますよ」
「え……そんな、まさか」
医者は、ふ――っとため息をついて話す。
「あの上位種アルファが、わざわざ苦しめるためだけにこんな苦労はしないでしょう。上條さんには内緒ですが、岩峰は私の医学生時代の後輩なんですよ。彼からあなたをくれぐれもと頼まれています。それに事情は聞いていますから」
「勇吾さんのっ! 勇吾さんはどうしてますか? 岬は?」
「大丈夫。今のあなたは番のことだけを考えなさい。気休めになるかはわからないけど岩峰も君の幸せを望んでいると言っていた。それが上條の側であろうとも……と」
「そんな……俺はもう、あそこには帰れないのは理解してるけど、そんなあっさり」
「あっさり、ではないと思うけど。どうしたって前の状況には戻れないのはわかるね? 現状では君は番と過ごすしかない、岩峰だって簡単に受け入れたわけではない」
俺はハッとした。
そうだった、あんなことになってまで俺は勇吾さんの元で過ごせる状況は万に一つもない。勇吾さんなりに俺の幸せを願ってくれているんだろう。俺は浅はかな自分勝手な感情を恥じた。
「君の複雑な心情もあるだろうが、番は君をおかしな程に愛している。もう何にも捉われずこの生活に流されてみてはどうかな、と思うんだけど」
「それが、全ての人にとって最善なんですか?」
この医者は何か答えをくれるのだろうか?
「君の愛情が確認できれば、上條から岩峰や桐生と関わることはないでしょう。あちら側には君を失った辛さはあるとは思うが、上條とは違って行き過ぎた行動はしないだろう、だが君の番だけは違う。君がまた逃げたり受け入れなかったら、君の周りに被害がいくかもしれない」
「そう……ですね」
「君の番はすごい執着だ。でもそれを逆手にとって甘えてみなさい」
「えっ」
ふって笑って、足を組み直したその医者は、どうやら俺の生き方はこれしかないと言いたいみたいだった。
「少なからず、君だって番として受け入れていた時期があったはずだ。また愛情を一からやり直せばいい」
「努力、してみます……」
そんな日はこない。
あんなことをしでかした先輩を許せる日なんてこないよ、でもそれを目の前の医者に言う必要はない。そして看護師が入ってきて、困っているのが目に見えてわかった。
「さてと、目が覚めたことは伝えてあったから、いい加減に君の番の忍耐力が限界みたいだ。君に会わせろとうるさいんだけど、いいかな? 大丈夫? だめならここで入院もできるよ」
「いえ、ご迷惑をおかけしてすいませんでした。戻ります」
立ち上がろうとしたら力が全く入らなかった。
「足を数針縫ったから、まだ歩かない方がいい。番に抱っこしてもらいなさい。それで上條さんも少しは安心するだろう」
俺は頷いた。
そして先生が看護師に何かを言うとすぐに先輩が入ってきた。
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