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第四話 野卑

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会計を済ませて、店側に頼んでタクシーを手配してもらう。
程なくしてタクシーが到着したと従業員が顔を出した。
お互いの体格差を考えると姫鷹が三成を抱えるのは無理があって、

「おい、三成。起きろ、おい」

頬を軽く叩いて、起こす。
うつらうつらしながらも、千鳥足の男へと肩をかすようにしながらなんとか運び、タクシーに乗った時には額にはうっすらと汗が滲んでいた。会計はさせるわ送らせるわ手間をかけさせる・・・、と思いながらも眠っている三成の顔を見ると、運んだ疲れなんて吹っ飛ぶようだ。
眠るその男の身体を自分へと凭れかけさせながら、三成の実家の住所を運転手へと告げる。三成の実家は谷家から徒歩五分ほどのところにあり、送り届けた後は散歩がわりに自宅まで歩けばいい。
三成の温かさを感じつつ、車内から過ぎていく街の明かりを見ていると、それがとても美しく見えて、このまま時間が止まればいいのに・・・と姫鷹は思った。
最後に溝内に会ったことを除けば、今夜は姫鷹にとって人生で一番幸せな時間だったことに間違いない。酔っているとは言え、隣の男と口付けを交わせたのは僥倖だ。眠ってさえいなければもう少しできたのに、と心の中でごちりながら、凭れ掛かる三成の頭に頬擦りをする。
その時、ブン、と姫鷹のスマホがデニムパンツのポケットで震えた。
取り出して、画面に指先を走らせる。
そこにはアプリ経由でメッセージが一件届いていた。送り主は溝内のようだ。
先ほどのことを思えば、溜息が出て、気持ちは乗らなかったが無視をして後々何か起こるのも面倒で、姫鷹は通知ボタンを押した。
アプリが立ち上がり、メッセージが表示される。
それはやはり、溝内からだった。
所詮身代わりでしかない男だ。ここいらがやはり潮時だな、と思いながらメッセージに視線を落とした。

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可愛いよね

☆☆画像☆☆

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メッセージは簡潔で、画像が添付されている。
このアプリの仕様で画像はクリックをしないと出ないものだった。
小動物か何かの写真か?面倒臭い・・・そう思いつつ、クリックをする。
しかしそこに現れたのは、小動物なんかではなくーー。

溝内のものを咥えた自分の姿だった。

「・・・っ!」

姫鷹は息を飲み、それを凝視する。
なんだ、これは、なんだ、これは、頭の中がでざわめいた。何秒か置いて、隣に三成がいることを思い出して、電源ボタンを押して画面を消す。
隣の男からは寝息が聞こえるので、見られていることはないだろう。けれど、姫鷹の背中には嫌な汗が次々と流れる。
先ほどの画像の中にいた自分は目を瞑っていた。男と何かをする時、姫鷹には目を瞑る癖がある。その時を盗撮されたのだ。姫鷹は奥歯をぎりっと噛んだ。
と、またスマホが揺れる。通知はやはり溝内からだった。
震える指先で、それを押す。

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可愛かっただろ?

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メッセージはやはり短いものだった。くそ、っと舌打ちをする。
怒りとも恐怖とも判別がつかない感情をそのままに、未だに震えのおさまらない指先で返信ボタンを押してメッセージを打ち込む。

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明日、会いたい。
いつものところで20時に待っているよ。

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普段は早く打てるそれが、やたらと打ち間違えて時間を要した。送り返すまでにはたっぷりと十分はかかっただろう。送信ボタンを押して、画面を消した。スマホは再度揺れたがもうそれは無視をする。どうせ了承の旨を告げるものだ。

「・・・くそっ・・・」

小さくではあるが、姫鷹の口からは自然と声が漏れていた。それに隣の三成が身動ぐ。隣を見ると、整った寝顔に胸が締め付けられた。この巫山戯たメッセージの送り主が隣の男ならば、自分はどうしただろうか?顔を真っ赤にして叩いただろうな、と姫鷹は思った。そして本物はここにいるだろう?とキスをする。

「はは・・・」

馬鹿げた妄想に乾いた笑いが漏れる。姫鷹は苦々しい思いを噛み潰し、吐息に混ぜて落とした。
先ほどまで綺麗だと思った外の景色も、今は色褪せたモノトーンに見えた。




ネゴシエーションでまず大事なことは、相手の話を聞くことだ。そこから互いの折衷点を見つけて合意に導く。相手を観察する力、自分を客観視する力、妥協策を見つけ出す力、どれが欠けても上手くは行かない。
それが果たして自分に上手くできるだろうか?いかんせん場数も何もない自分自身に、姫鷹は不安しかなかった。
過保護で優しい兄達に頼ればこんなくだらない話は秒もかからない。乱暴に言えば握り潰して、終わる。けれど、今の自分をあけすけにして兄達に頼る勇気は姫鷹にはない。故に、まずは溝内の話を聞くことにした。

「あら、いらっしゃい」

店のドアを潜ると、そう、気さくな声が姫鷹に挨拶を寄越した。
姫鷹はそちらに目を向ける。どう見ても男であるのに、女性ものの和服を着こなし、あまつさえそれが美しく見える人物はこのバーのオーナーである佑月ゆづきだ。
軽く頭を下げて、店の中を見回すと、目的の人物はカウンターの端にいた。溝内だ。その姿に口内が苦々しくなるのを感じながら、隣へと行く。

「やあ、今日も綺麗だね」

溝内もまた、気さくそうな声で隣に立った姫鷹に挨拶をする。
忌々しい、と心の中で舌打ちをしながらも、姫鷹は笑顔でそれに応えた。席には座らず、溝内の服を引っ張る。

「ねぇ、二人きりになりたいな・・・?」

顎を少し引いて上目に見ると、溝内の口角があがった。仕方ない、と一つ漏らして溝内は立ち上がった。

「あら、今日は呑んでいってくれないの?」

佑月は姫鷹を見て眉を下げる。姫鷹は困ったように笑みを浮かべて口を開きかけたが、

「また二人でゆっくりと来るよ。ね?」

溝内が姫鷹の腰に手を回しながら、佑月へと答える。
少し前なら大して気にしなかっただろう行動が、今は虫唾が走るばかりだ。
しかしそれを表に出すわけにもいかず、そうするよ、と佑月に笑顔だけを向けた。
店を出て、階段を上がる。
腰に抱かれた手へと自分の手を絡めて、腕を組むようにしながら、姫鷹は歩いた。

「随分と、急ぐんだね?」

言われるまで気付きもしなかったが、自然と足早やになっていたらしい。
ふ、と笑みを浮かべて溝内の耳元に顔を寄せ、早く二人きりになりたいんだよ、と告げてやると、溝内は機嫌良さそうな笑みを浮かべた。
姫鷹はそんな様を見て、馬鹿め、と心の中で蔑む。
ホテルはいつものところだ。どの部屋を選んでも大した違いはない。適当にパネルから一室を選んで鍵をもらい、部屋に向かう。
室内に入り、後ろで施錠の音がするのを耳で確認した後、姫鷹は行動に出た。
組んだままの溝内の片腕を背中の方へと捻り上げながら、足払いをかける。

「うわっ」

溝内の裸を見る限り、身体の線を保つために何かしらの運動はしていそうではあったが動きから武術のそれは感じられなかった。姫鷹が予想した通り、受け身を取ることもできずに、溝内は床へと這いつくばる。
その背中に身を屈めつつ片足をかけて、乗り上げた。

「ちょ、ちょ!何事?!」

姫鷹の下で、慌てたような声を溝内はあげた。
それを冷たい目で見下ろしつつ、

「スマホを寄越せ」

視線と同じく、冷たい声を溝内に落とす。
ああ、と得心が言ったように溝内は声を漏らした。

「写真だろ?それなら、ジャケットのポケットに入ってるから見ていいよ。ロックもかかってないしね」

空いている方の手で溝内のジャケットを探ると、そこにスマホは確かにあった。それを取り出して電源ボタンを押して、まず生唾を飲んだ。ホーム画面の待受が姫鷹自身だったからだ。それは送られてきたような卑猥な画像ではない。日常の、昼間。
昼間に溝内とは会ったことはない。つまり、これはーー盗撮、だ。しかも、送られてきたものとは違う類の。あれは一緒の時間だったので、姫鷹の迂闊さもあった。けれど、ホーム画面のそれはそんな次元の話ではない。ひ、と息が漏れる。

「ホーム画面、よく撮れてるでしょ?君、綺麗だからさ。結構頑張ったんだよね、俺」
「なぜ、こんな・・・」
「は?そりゃ好きだからでしょ。中も見なくていいの?」

押さえつけた男はどこか楽しそうで、姫鷹には理解できず気持ち悪かった。
恐る恐る写真アプリを立ち上げて、姫鷹は後悔した。

「俺・・・・・・」

写真はそのだいたいが、姫鷹のものだった。たまに犬や猫、自然物が混じってはいるが、ずらりと並んだものは、ほぼ自分だ。その中には送られてきたものもあった。

「なぜ、こんな・・・・・・」

姫鷹から、先程と同じ言葉が漏れた。
溝内は姫鷹を振り返る。

「だから、好きだからだってば。俺、君のことをかなーり気に入っててさ。あ、そのスマホ、壊そうと何しようと自由だよ?それくらいで怒るなんてしないしね」

言葉を失い、姫鷹は男を見下ろす。理解が及ばなさすぎて、最早、恐怖でしかない。そもそも男が言うことを汲むならば、このスマホを壊したところで困らない、ということだ。
口の中がやたらと乾く。唾を飲み込みたいのに、それさえも出ない。姫鷹はかわりに息を飲み込んだ。

「・・・・・・要求は?」

絞り出せたのはそれだけだった。
金か身体か、他のものか。まずは、聞かなければ・・・、と思いつつ溝内の傍にスマホを置いて、姫鷹は立ち上がった。

「要求?・・・やだなぁ。それじゃ、俺が脅したみたいじゃない?」

少し不満気に落としながら、溝内は身体を起こす。あいたたた、とわざとらしい声まで立てながら。脅しでなければ何なんだ、と目の前の男を姫鷹は殴り殺してやりたい気分だった。ぐ、と拳を握り何とかそれに耐える。

「・・・・・・あるんだろう?何か、お望みが・・・」

もう一度、同様に内容を問いかけた。溝内は肩を竦めた後に立ち上がり、姫鷹の前に行く。姫鷹の頬へと手を伸ばして、指先で撫でた。

「そうだなぁ。じゃあ、さ。付き合おうよ、俺たち。一緒に仲良くしたりデートしたりしようよ?」
「付き合う?」

思っていたのとは違う答えに不可解さを隠せず、姫鷹は眉を顰めた。溝内は、にこ、と笑う。

「そう。言っただろう?君のことが気に入ってて好きだって。こんな綺麗な顔、なかなかお目にかかれないし・・・」

溝内は、姫鷹の頬から耳へと指を滑らせて、そこから首筋へと落とす。そのまま自分の顔を姫鷹の耳へと近づけて、耳朶に口付ける。姫鷹の身体が、ひくり、と揺れた。

「敏感な子も、好きなんだよね」

口付けた場所を溝内の舌がねろりと舐め上げた。不快感と快感を混ぜ合わせたものがそこから生じて、思わず姫鷹は一歩下がる。
付き合いたい、と溝内は言った。しかも自分と。
溝内は容姿が悪いわけでもない。一般的な感覚から判断すれば良い方で、体格だって悪くはない。幾度か触れ合う程度の接触をしたが、それにも不満はなかった。しかし、その告白は不思議なほどに一つも嬉しさなんかなく、歯痒さとも苛立ちとも取れる感情しか湧かなかった。姫鷹が求めるのは、大濠三成という男ただ一人だ。
けれど、さまざまな写真を持っているのは、間違いなく目の前の男だ。
昼間のものだけならば、気持ち悪さはあるにしろ、こちらが気にするものでもない。逆に訴えれば、勝てそうだ。
しかし、溝内との関係を写した写真は姫鷹の分を悪くする。兄に正直に話せれば良いのだが、家族に見放されるぐらいならば、彼氏ごっこに付き合ったほうが幾分かマシな気がした。貞操は捨てたも同然にはなるだろうが、幸いなことに自分は女性ではない。傷つくのは己のプライドのみだ。
そう思えば、姫鷹はゆっくりと目を伏せた。このごっこ遊びの間に、写真を全て削除できる可能性も生まれるだろう。その工程には目眩を覚えたが、息を吐き出して、目を開ける。

「・・・・・・いいよ」
「マジで?」

そういえば男の口調が随分と砕けていることに、今更ながら姫鷹は気付く。こちらが本性なのだろう。つくづく自分の目は節穴だ。姫鷹には後悔しかない。
でも、と姫鷹は続ける。

「俺は貴方に恋愛的な何かを抱いているわけではないのだけど・・・貴方はそれでもいいのかな?」

皮肉を込めてそう言うと、溝内は一瞬だけ目を見張ったが、次の瞬間には笑顔を見せた。肩を竦めながら、首を傾げる。

「別に問題ないよ。でも付き合うんだったら、わかってるよね?ちゃーんと、セックスには応じてもらうよ?まあ、それは・・・・・・」

言葉の途中で、溝内は一歩進んで姫鷹の手首を掴んで、自分へと引き寄せた。身体を引かせようとする姫鷹の腰をもう一方の手で取る。
姫鷹が本気になれば、こんな手から逃れるのは簡単だ。しかし、溝内がどれだけの情報を掴んでいるかは未知数だ。写真には姫鷹が大学から出てくるものもあった。激昂されて大学にでもばら撒かれては、余計に立場は危ない。

「おいおい、近い内にね。今日はそうだなぁ・・・番号の交換と・・・」
「・・・名前は?」

姫鷹が聞くと、溝内は姫鷹の耳へともう一度顔を寄せた。

「知ってるよ?人文社会学科二年の谷姫鷹君」

弾むような声で、姫鷹の名を溝内は刻む。アプリ上で交わした名前は「たか」のみだ。本名は伝えていない。年齢も大雑把に20歳はすぎている、とだけしか姫鷹は言わなかった。しかし相手は学年のみならず、学部まで把握していた。
ちゅ、と耳朶に溝内は口付けた。

「ああ、そうだ。俺の名前は溝内央亮みぞうちおうすけ。苗字は本物だったんだよねぇ。好きなように呼んでよ。あ、そうだそうだ。ねえ、キスしてよ。姫鷹から俺に」
「キス・・・どこに・・・」
「そりゃあ、キスと言えば口だよね?」

同じような会話を愛しく思う男と交わしたのが、遠い昔のようだった。溝内に気付かれないよう、姫鷹は奥歯を噛む。名だって呼ばれたくはない。それでも全てを、無理矢理に飲み込む。

「いいよ・・・」

それだけ言って、姫鷹は自分から溝内の唇に、自分のそれを重ねた。溝内の目がいやらしく細められる。姫鷹の背中や腰を撫でまわしながら、溝内は自分が思うままに姫鷹の唇を穢していく。
昨日と同じ行為なのに、まるで違うそれに、姫鷹の目尻に涙が滲んだ。
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