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その1

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二頭立ての馬車がガラガラと音を立てて走っていく。
ブリトー王国の王女、ルシーは馬車の中から外の景色を食い入るように見ていた。
もう戻ることは許されないであろう生まれ育った国、ブリトー王国。
その美しい景色をルシーは心に焼き付けようと目に力を入れて見ていた。
青い空に映える小さく選定された緑と紫の葡萄畑に緑に生い茂った広い牧草地。
真っ白な小さな花を一面に咲かせる蕎麦畑に、風にそよぐ黄金色の麦畑。
みんなルシーのお気に入りだ。
なによりそこで働く気の良い領民達が大好きだった。
だからルシーはブリトーの者と結婚して、この国でずっと暮らしていきたかった。
国王である父にも王妃の母にもルシーは小さな頃から言い続けてきた。
でも父も母も笑っているだけで何も言ってくれなかったが、ルシーが15歳を過ぎた1年前からルシーの結婚相手はブリトーの中から探そうと言ってくれていた。
これでルシーは死ぬまでブリトーで暮らしていけるものだと嬉しく思っていた。
でもそれは叶わない夢となってしまった。
ついふた月前。
世界最大にして最強のフラン大帝国よりブリトー王国の王女ルシーを、フラン宮廷へ献上しろと書簡が届いたのだ。
ブリトーは世界の外れにある辺境国。
今まではフラン大帝国が見向きもしない国だった。
だからフラン大帝国の支配を受ける事もなく平穏だった。
それが突然の命令勧告。
もし拒めばフラン大帝国は軍を上げてブリトーへ攻め込んでくるという。
小国のブリトーに選択の余地などなかった。
ルシーは献上品という名の奴婢としてフラン宮廷へ差し出される事になった。
侍女も何も持てずに、たった一人で。
フラン宮廷で蔑まされて生きていく事を考えると、ルシーは込み上げてくる涙で視界が滲んでくる。
でも泣いたところで何も変わらない。
ルシーは王女だが掃除、洗濯、料理に裁縫は一通り教えられてきている。
フラン宮廷で使用人や下働きをさせられたって、どうにか生きていける。
ルシーは唇を噛み締めて泣くのを堪えた。
でもルシーの隣から啜り泣く声がしてきて、ルシーは顔を馬車の窓から車内へと向けた。
するとルシーの隣に座っている中年女性の侍女、マリ、がハンカチを手に持ち鼻を押さえていた。

「泣かないで、マリ」
「これが泣かずにいられますか?、私は、私は、ルシー様を奴婢にするために、今まで心を込めてお世話してきたのでは、ありません」

マリの訴えにルシーは体もマリに向けた。
ルシーだってブリトー王国王女としての誇りは持っている。

「分かっているわ。マリ。でもどうしようもないの」
「フランがいくら大帝国だからといって、こんな横暴許されて良いはずございません」
「今までブリトーは運が良かったのね。フランに目を付けられるほどの国ではなかったから」
「ブリトーは歴史ある立派な王国。そのブリトー王国の正当な王位継承権をお持ちの王女ルシー様をフランの宮廷へ献上しろだなんて。ルシー様は物のように扱って良い方ではございません」
「ありがとう、マリ。でももう引渡しの地に着いてしまったみたいよ」

馬車はブリトー王国国境とフラン大帝国の支配を受ける国との国境の地に差し掛かっていた。
そして馬車の向かう前方にフラン大帝国の馬車が2台あり、馬車を取り囲むように何十人もの騎馬兵達が並んでいる。
ルシーが乗る馬車が停まると、フランの使者が馬車から降りてきた。
そしてルシーが乗る馬車の扉が開かれる。
ルシーはグッとお腹に力を入れて顔を引き締めてから馬車を降りようと腰を上げた。
だがマリがルシーの衣装の袖を掴んで引き止めてくる。

「ルシー様。私をお供としてお連れ下さい」
「ダメよ。マリ。フランより、わたくし1人で来いと言われているの。マリが昔、わたくしに言ってくれた言葉を覚えているかしら。わたくしが顔を上げて微笑めば国に幸運が訪れるって。わたくし下は向かずに笑って生きていくわ。だから心配しないで」

ルシーはマリに向かって微笑みを浮かべてみせた。
するとマリが口に手をあて咽び泣き始めた。
ルシーはマリの肩に優しく手を置く。

「今までありがとう。マリ。元気でいてね。ではいってきます」

ルシーは馬車から降りて、フランの使者の誘導によって、フランが用意した馬車に乗り込んだ。
馬車の中には誰もおらずルシー1人だけが座っている。
そして使者も別の馬車に乗り込むと、まず2騎の騎馬兵が走りだし、続いて使者が乗る馬車が動き出す。
そしてルシーが乗る馬車も動き出した。
その回りを騎馬兵達が取り囲んで並走していく。
ルシーはそっと窓からブリトーの地を振り向き見てから顔を前に向けてフラン大帝国の地を睨むように前だけを見ていた。


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