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129【計略⑱】
しおりを挟む「……」
断るだろうと思いながらも、なんとなく口には出せない。
「まあ、君が考えているように、当然断られた。世の中、それほど甘くはないからな」
人の思考を読んだみたいに、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる彼は、ますます悪魔めいて見える。
「ここまでは、よくある不幸話だが、この続きはもっと不幸な話でね」
――なんでこの人は、叔父に当たる人の不幸話を、こんなに楽しげにするのだろう?
うすら寒さを覚えつつも、聞かないわけにはいかない。
「唯一、可能性が残されていた金策が失敗に終わった異母弟は、失意のうちに自家用車で家路につき、その途中大きな交通事故を起こして死んだんだ。衝動的な自殺だったのか過失による事故だったのか、いまだに判然とはしないがね」
「えっ……?」
語られた内容のすさまじさに、さすがに、息を飲んだ。
亡くなった人は、さぞ無念だったことだろう。でも残された者は、もっと無念でやり場のない悲しみに暮れる日々が続いていく。交通事故で命を落とした自分の父親と重なって、胸が痛んだ。
「更に不幸なことに、彼の車には妻が同乗していてね。かろうじて命はとりとめたが、頭を強打したため植物状態に陥り、今もそのままだ」
――今も、植物状態のまま……。
よどみなく語られる、まるで不幸の見本市のような出来事に、暗たんたる気持ちで小さく息を吐く。そんな私の様子を楽しげに見やり、彼は、とっておきの話をするように声のトーンを落とした。
「そこで残されたのが、当時、大学卒業を目前に控えた一人息子と、彼の両肩にのしかかる、途方もなく膨れ上がった借金。プラス、生命維持に莫大な金がかかる、植物状態の母親だったわけだ」
――え……?
今、なんて、言ったの?
『大学卒業を目前に控えた一人息子』
その言葉を脳内で反芻して、背筋に、戦慄が走った。
――ま、まさか。
まさか、この話って。
「あの、その息子さんって……」
怖くて、最後まで言葉が続かない。
「叔父の異母弟の名前は、『榊悟朗』、その息子の名は『東悟』という。ちょうど、九年前の出来事だ」
ゆっくりと。
彼の口角が愉悦の形に吊り上がるのを、私は、身動きもできずに、ただ見つめていた。
『もう、終わりにしよう』
九年前。
恋人から突然の別れを告げられた時、私なりに、その理由を考えてみた。
私が、嫌いになったのだろうか?
他に、好きな女性ができたのだろうか?
どんなに一生懸命考えても、浮かぶのは、そんなありきたりなものばかりで、結局、理由を告げられることはなく。あの人は、私の前から消えてしまった。
募るばかりの恋心を、置き去りにしたままで――。
そして、その恋人と、上司と部下として再会した、今。従兄だという、谷田部凌という人物から予期せず知らされた、元恋人榊東悟・谷田部課長の過去。それは、あまりにも衝撃的で、私の想像を遥かに超えた過酷なものだった。
父親の事業の失敗と、その死。追い打ちをかけるように、母親を襲った不幸。残された莫大な借金と、母親を生かすために必要な、高額な医療費。けっして、一介の大学生にまかなえるような金額では、なかったはずだ。
いったいあの人はあの時、その背に、どれほどの重荷を背負っていたのだろう。
――胸が、痛い。
あの時、別れの理由を口にできなかったその心中を思うと、胸の奥が、キリキリと締め付けられるように、痛い。
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