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第1章 人生最悪の一日の終わりに、おいしいマフィンを
05 逃れられない現実④
しおりを挟む――プルルル。
「ひゃっ!?」
突然鳴り響く着信音に驚いて、危うく、スマートフォンを落としそうになる。一瞬、『高崎さん』から掛かってきたのかと、どきりとしたけれど、着信窓には友人の美由紀の名前が表示されていた。
谷田部美由紀。高校で仲良くなった友達で、同じ大学に進学した美由紀は気の置けない、まあ言うなれば『親友』だ。
「ちょっと、茉莉、あんた大丈夫なの!?」
電話を耳に当てたとたんに響いてきた大音量のハスキーボイスに、思わず苦笑いする。
「何が?」
「何がじゃないわよ、水くさい。お父さんの会社が大変なことになってるなんて、あんた、一言も言ってなかったじゃない!」
って、私も昨日まで知らなかったのよ、美由紀ちゃん。
「今から、出てこられる茉莉? ノアールでお茶しようよ。話したいこともあるしさ」
喫茶店『ノアール』は、私たちが良く行く、コーヒーが絶品のお店。私は、壁掛けの時計にチラリと視線を走らせた。
―AM 9:30―
――高崎さんとの待ち合わせまでは、まだ時間がある。
アルバイト経験豊富な美由紀なら、なにか良い『お仕事情報』を知っているかも。
「うん、いくいく! 今から出るから10時までには行けるけど?」
「オッケー。私もそのころ向かうよ。じゃ、ノアールでね」
「うん」
こう言うとき友達の存在ほどありがたいものはないと、しみじみ思う。
一人でクサっていても始まらない。美味しいお茶をして、気の置けない友達とワイワイおしゃべりしている方が、精神衛生上良いに決まってる。
自室に戻った私は、いそいそと着替えをはじめた。
お気に入りの淡いアイボリーのブラウスと、はき慣れたジーンズ。肩甲骨までのストーレートの髪は、ポニーテールに。ほんのり、ピンクのリップを塗って。鏡の中の自分に、笑いかけてみる。
母譲りの片えくぼ。
父譲りの、ちょっと垂れ加減のドングリまなこ。
決して美人じゃないけれど、私は、自分のこの顔が好きだ。
――うん、大丈夫。
自分を好きでいられるうちは、まだ大丈夫だと、そう思う。
「亀子さん、行ってくるねー」
居間のサイドボードの上、九十センチ水槽の中で、ほにょーんと、朝の甲羅干しをしている亀子さんに声を掛け、私は元気に歩き出した。
「茉莉っぺ、ここ、ここ!」
ノアールのアンティークなドアを開けると、BGMの静かなジャズの音をかき消すような、美由紀のハスキー・ボイスが飛んできた。
カウンターと三つのボックス席。あまり広くない店内に視線を巡らせれば、三つあるボックス席の一番奥に陣取っている、美由紀が手を振っているのが見えた。
地味過ぎる、黒い上下のジャージ姿。腰まである、緩くウエーブがかかった栗色の長い髪を無造作に束ねて、黒縁メガネを掛けた美由紀は、お化粧してドレスアップすれば、かなりのエキゾチック美人になる。でも、勿体ないことに、嫌な虫が寄ってくるからと、普段はこういうオタッキーな格好をしていた。 見目の麗しさもさることながら、面倒見の良い姉御肌の飾らない性格が、同性にも異性にも好かれる要因だと思う。
私は、カウンターの中でグラスを磨いていた髭のマスターにぺこりと頭を下げてアメリカン・コーヒーを注文し、美由紀の元へ向かった。
美味しいコーヒーが飲めるのに、昼間はあまり流行っていないようだった。でも、夜にはショット・バーに変身して、仕事帰りのサラリーマンやOLで賑わうらしい。とは、ここを最初に見付けた美由紀からの受け売りだ。
「おはよ。私は講義さぼりだけど、美由紀はなんで今の時間暇してるのかな?」
からかい半分のセリフを言いつつ、私は、美由紀の向かい側に腰を落ち着ける。美由紀は頬杖をついて『フフン』という顔をすると、「私は病欠です」と豊かな胸を反らした。
『胸はあるだけマシ』な私には、羨ましい限りのプロポーションだけれど、本人は『たかが脂肪よ』と、特に気にしているふうでもない。
「病欠って、どこか悪いの?」
まじまじと、顔色を伺いつつ尋ねると、「うん。悪いの、気分が最悪」と、唇をほころばせる。
言っている台詞の割には、美由紀の表情は明るい。
『バイトに疲れてサボったくちだなこれは』と、私は思わず苦笑いするしかない。
「まあ、あたしのことは良いから、あんたのことだよ。お父さんの会社、大変なんでしょ?」
「うん……」
心配そうに見つめる美由紀に、私は小さく頷いた。
どうせ隠していてもすぐにばれるのだから、正直に言うことにする。
「今すぐじゃないけど、家、出なきゃいけないみたいなんだ。それに大学も後期の学費が払えるか、かなり怪しい感じで……」
やっぱり、言葉にすると深刻味が増してしまう気がする。思わず、ごにょごにょと、語尾が口の中に消えていく。
「げ……、ホントに?」
美由紀は、形のいい弓形の眉根をギュッと寄せた。
「うん」
「そっかー……難儀だね、茉莉っぺも」
――うん、我ながらそう思うよ。
って、暗くなってる場合じゃないんだっけ。
私は気持ちを切り替えると、肝心な『相談ごと』を切り出した。
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