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第1章 人生最悪の一日の終わりに、おいしいマフィンを
12 美しい女(ひと)②
しおりを挟む気持ちは前向きに頑張っているつもりでも、身体は、正直でごまかしがきかないということだろうか。自分で思っているよりも、私は、ダメージを受けているみたいだ。
追い打ちをかけてくれたあの二人のことを思い出し、思わず深いため息がもれる。あれも、夢だと思いたいけど、間違いなく逃げようがない、現実だ。
「大丈夫? 歩けるかしら?」
ため息の理由を体調不良と誤解したのか、薫さんが心配げに肩に手を添えてくれる。
「大丈夫です」
薄く笑って頷けば、ホッとしたように、あでやかな笑みが返される。
――優しくて、素敵な人。
私も、いつか、こういう女性になりたいなぁ。
って、そもそも土台が、違いすぎるか。
「ゆっくりでいいから、慌てないでね」
「はい、ありがとうございます」
薫さんに連れて行かれたのは、レストランではなくて、広い喫茶室のような所だった。
『職員用の食堂』だと説明されたけど、明るい木目調の4人掛けの丸テーブルもお揃いの椅子もテーブルウェアもおしゃれで、食堂と言うよりは『喫茶ルーム』の方がしっくりくる。さすが、地元でも有数の大きいホテルだ。
こう言う所で働けたら、やりがいあるだろうなぁ……。
そんなことを考えながらしみじみと観察をしていたら、部屋の入り口のカウンターから戻ってきた薫さんが、持っきたトレーをテーブルに置いた。
「これ、おすすめなのよ。ここのシェフのお手製マフィン。良かったら、味見してみて? それと、これも絶品、コーンポタージュ」
ニッコリ笑顔で置かれたトレーの上には、ほかほか温かそうなマフィンと、コーンポタージュが乗っている。湯気とともに立ちのぼる、マフィンとコーンポタージュの甘い臭いが、食欲中枢を刺激した。
――うわ、本当に、美味しそう。
急に息を吹き返したように、お腹の虫が『ぐぅ』と不平をならす。
「ほら、お腹の虫が文句を言ってるわよ。遠慮しないでどうぞ」
「あ、あははは……」
私は、遠慮無く、いただくことにした。
――ごくん。
『いただきます』をして、コーンポタージュを、一口、口に含んだ。そして広がる、優しい風味。マフィンは、ほんのりした甘さで、口に入れるとすぐに舌の上でとろけた。
――うわ、なにこれっ!?
「美味しいっ」
お世辞じゃなく、心からの賛辞が口を突いて出た。
本当に、美味しい。
特に、このマフィンは、癖になりそうなくらい美味しい!
「そうでしょ茉莉ちゃん? 私も、病み付きなのよ。特にマフィンがね」
「はい」
って、あれ?
そう言えば、私、名前、名乗ったっけ?
不思議に思っていると、薫さんは、それに気がついたようだ。
「あ、一応、身元を確かめるのに持ち物を調べさせて貰ったの。免許証に名前があったから……。勝手にごめんなさいね」
――あ、なるほど。それなら納得。
一瞬、読心術もするのかと、驚いちゃった。
私がそう言うと、薫さんは、「できれば、色々と便利でしょうね」と、コロコロ楽しそうに笑った。
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