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第4章 ファーストキスは助手席で
62 シンデレラ・ナイト③
しおりを挟む「一般常識的に考えれば分かるだろうが、どこの世界に、社員の運転手をする社長がいるんだ?」
そうですよね。わかります。よーくわかります。だけど。
「あのぉ、大変申し上げにくいんですが、私、まだピカピカの若葉マーク……」
――なんです。
ごにょごにょごにょと、語尾が情けなく口の中に消える。
「別に問題ない」
問題あります。ありありです。
今乗っている軽自動車以外運転したことがないのに、いきなり、こんなビックサイズな車、それも、こんな高級車、恐くて、運転できないよーーーっ!
抗議の視線もなんのその、意に介した様子もない社長はさっさと『助手席』に乗り込み、シートベルトを締めてしまった。
「……そこに、乗るんですか?」
「どこに乗るかは、俺の自由だろう?」
それは、そうでしょうけど。
普通、偉い人は、後部座席に乗りませんか?
「助手席って、事故った時の死亡率が高いって、聞いたことありますけど……」
だから、後ろへ行って!
行けったらっ、行けっ!
そんな念波を飛ばしてみるけど、不動明王様は顔の面が厚くていらっしゃるようで、まったく通じない。
「いいから、早く自分の車から初心者マークを持ってこい」
ご主人様にピシャリと言い渡された哀れな下僕は、すごすごと自分の車からマグネット式の初心者マークを取ってきて、車のボンネットにペタリと貼り付けた。
カッコイイ国産高級車に張り付いたグリーンの初心者マークはひどく不釣り合いで、これからこのどでかい車を運転する自分の姿を象徴している気がして、思わず乾いた笑いが浮かんだ。
「ほら、時間がないから早くしろ」
「あ、はい!」
慌てて運転席におさまれば、一難去ってまた一難。
――うっ、広い。そして、足が届かない。
社長サイズに合わせてあるのだろう、私には広すぎる運転席の空間をあたふたと調整していたら、隣からクスリと笑い声が降ってきた。
笑わば、笑え。
私はちゃんと、事前報告しましたからね。
後で文句、言わないでくださいよね。
鍵を回せば、いつもより遠くで低いエンジン音が上がった。伝わってくる微弱な振動に否が応でも緊張が高まり、ハンドルを握る両手のひらに、じっとりと汗がにじんでいく。
カーオディオから響いてくるBGMは、やたらと高音質の女性ボーカルが歌う、なんとなく聞き覚えがある軽快な洋楽ポップス。
「まずは国道を左に出て、市街地に」
「は、はいっ」
国道を左に、市街地へ。
指示された道順を脳内反芻し、ゴクリと緊張を飲み下す。
――軽自動車も高級国産車も、車は車。
ちょこっとばかり横幅が広くて、縦に長いだけ。
ハンドルは一つ、アクセルとブレーキも一つずつ。
運転できないはずはない。
たいていの乗り物は運転できそうな最強の論理を自分に言い聞かせ、前方をまっすぐ見据える。
――女は度胸だ。よし、行け、茉莉っ!
右足をブレーキからそっと外して、隣のアクセルを踏み込む。が、少しばかり強く踏みすぎた。
軽自動車では考えられない加速性能に身体が後ろに傾き、思わずアクセルを踏む足を放してブレーキを踏み込んでしまった。ブレーキを踏めは減速するのが道理で、前に振られた体は反動で後ろに勢いよく引き戻される。
結果、駐車場を出る前に車は止まってしまった。
「……」
――何これ、怖い。
加速、良すぎるよーー。
「あ、あははは……」
恐怖にひきつる笑顔で恐る恐る助手席に顔を向ければ、腕組みした不動明王様の鋭い眼光に睨み下ろされた。
もしかしたら、危機感から『運転を代わってくれるかもしれない』。なんて、甘っちょろい考えは、宇宙の彼方へ飛んでいく。
「……すみません、気を付けます」
気を取り直して、再スタート。
今度は、慎重にアクセルを踏み込んだ。
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