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第4章 ファーストキスは助手席で

73 走り出す気持ち④

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「っ、げほげほげほげほっ!」

 涙目になりながら薫さんの顔を見つめれば、彼女はうふふふと、少し人の悪い悪戯っ子めいた笑顔を浮かべている。

「ち、違います! ぜんぜん違います、別の人のことですよっ」
「別に隠さなくてもいいわよ?」
「で、でもっ」

 いくら薫さんが優しくて寛大な女性ひとでも、自分の恋人に思いを寄せていると知ったら良い気持ちはしないはず。そう思って、おずおずと視線を合わせれば、薫さんはやっぱりニコニコと微笑んでいる。

「あのね、エレベーターでのキスは、いわば『お別れのキス』だったの」
「……え?」
「めでたくが成立したんで、じゃ、最後に別れのキスでも、って感じね」
「……は……はい!?」

 ものすごいワードを聞いた気がして、私は全身見事に固まった。

「あ、別にどちらかが浮気したとか、そういうんじゃないのよ。まあ強いて原因を上げれば、二人ともお互いよりも仕事を取った、っていうところかしら」

『恋人』をすっとばし、『奥さん』すらすっとばし、分かれた『元妻』という座に座るその人は、私の反応をみやり愉快気に口の端を上げる。

「だからあなたは、その気持ちに罪悪感なんて持たなくていいのよ」

『それに』と、薫さんは笑みを深めて言う。

「不動祐一郎という人間は、一見とっつきにくく感じるかもしれないけど、ああ見えてけっこう情が深い所があるから。一度自分のテリトリーに入れてしまうと、めちゃ甘になるわよ。ああいうのを『ツンデレ』って言うのかしらね?」

 クスクスと笑う薫さんの表情は、さっぱりとしていてかげりがない。そのことに、ホッと安堵する。

――そっかぁ。社長は、ツンデレさんかぁ。
 じゃあ、今はデレる前のツンツン期なのかぁ。

 社長がデレる姿を想像して笑いのツボを刺激された私も、つられて笑顔になった。

 コンコン。
 ノック音の後に、医務室に入ってきたのは、総支配人さん。

「お食事の方はどうされますか? 無理はしないようにとの、祐一郎さまからの伝言ですが……」
「あ、はい。大丈夫です。すぐに行きます」

 シップの効果か、それとも心が軽くなったせいか。そっと床に付いた右足首は、さほど痛みを感じない。

「ありがとうございました」

 足の治療だけでなく心の治療までしてくれた美しい名医さんに笑顔で心からのお礼を言えば、笑顔で答えが返ってくる。

「どういたしまして。また、マフィンでも、いつしょに食べにいきましょ?」
「はい、ぜひ!」


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