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第4章 ファーストキスは助手席で
74 極甘キスは蜜の味①
しおりを挟む会食は、つつがなく和やかな雰囲気で幕を閉じた。
最初はとても緊張したけど、お客様の年配の女性・谷田部志保子さんはとても優しい気さくなおばさまで、自分の一番上の孫娘も私と同じ年頃で名前も私と同じ『まり』というのだと、楽しそうに話してくれた。
別れ際、志保子さんは「ぜひまた一緒にお食事しましょうね」と笑顔で約束してくれて、私も微力ながら接待の役にたったのかもしれないと、少しだけ嬉しくなった。
そして、今は帰りの車中。
足を挫いて運転できない私のために運転手をなさっているのは、社長さまだ。
助手席から、一見、不機嫌そうに見えるその横顔を見上げれば、その視線に気付いた社長は、視線を前方に固定したまま「なんだよ?」と、不機嫌そうに呟きを落とす。
でも今の私には、その不機嫌さが『ポーズ』だと分かってしまう。連動して、ニンマリと頬の筋肉もゆるんでしまった。
「なんだよ、気持ち悪い笑い方をして。捻挫したのは、足じゃなくて脳みそのほうなのか?」
「違いますよ。実は、薫さんに、いいこと聞いちゃったんです」
「……いいこと?」
「はい。社長は、『ツンデレ』だから、一度自分のテリトリーに入った人間には、めちゃ甘になるって」
「……あんのやろう。よけいなことを」
美しい元妻に対するには乱暴すぎる言葉を吐いて、社長は、口元に苦笑を浮かべる。
『頑張れ~~♪』と私にエールを送りながら、手のひらサイズの白天使茉莉と黒悪魔茉莉が、二人仲良く私の周りでオクラホマ・ミキサーを踊っている。
――うん。がんばるよ。
少し、怖いけど。
ううん、とっても、怖いけど。
私は、がんばる。
私は、食事のとき少しだけ口にしたワインのせいだけじゃなく、ドキドキと高鳴る鼓動と頬の熱を感じながら、大きく一つ深呼吸をした。
後悔だけは、したくない。
この想いが、受け入れてもらえなくても、そのせいで、会社に居ずらくなったとしても。私は、今、この想いを伝えたい。そんな決意を込めて、口を開く。
「あの、社長」
「うん?」
「私、社長の事が、好きみたいです」
瞬間、響いたブレーキ音。
急停車した車の中で、社長の吐き出した大きなため息の音が、静かな社内に吸い込まれるように消える。
今更ながらウインカーを上げた社長は、車を路肩に寄せて、ボソリと言った。
「……脅かすなよ、ばか。事故ったらどうする」
――ばか、って言われてしまった。
でも、私を見つめる社長の瞳はとても優しく見えて、私は胸の奥がギュッと苦しくなる。
「薫に、何か言われたのか?」
「薫さんに? さっきの『社長はツンデレ』以外は、特に言われてませんけど?」
「それはもういい。……で、どういういきさつで、俺が好きだって結論に至ったんだ?」
問われて、改めて考えてみる。
きっかけは、そう。総支配人さんの言った『奥様』というワード。あれを聞いた瞬間に感じたショックと、あのモヤモヤーっとした気持ち。あれはたぶん、薫さんが言ったようにヤキモチだ。
「ホテルに着いたとき、総支配人さんが言った『奥様も、間もなくお見えになるでしょうから』って言葉を聞いたからです」
正直に言葉にすれば、社長は、理解不能のように眉根に深い皺を刻んだ。
「私、もしかしたら社長に奥さんがいるかもって考えて、そうしたらなんだか悲しくなって……」
さすがに説明不足だと感じて、しどろもどろで言葉を紡ぐも、イマイチうまくいかない。でも社長は、納得がいったように、ニッコリと口の端を上げた。
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