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第弐話
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どうして。と、繰り返し思う。
私はただ、朱皇くんが無事に元の世界に戻れるように願っただけ。その世界に私まで渡ることになったり、そこで何か物語のような事態に遭遇することなんて願わなかった。ましてやこんな悪夢のような展開なんて、あまりにも酷い。
「殺人なんて、してません」
悪足掻きでも何でも、訴えることをやめないでいれば、僅かでも希望が見えて来るのではないかと思った。その可能性に縋るしかなかった。
或いは、冗談だったのだと笑ってくれるなら、指一本を失っても構わないと思ってしまう。
「わたしも、そうであって欲しいと思いますが、それでは何故君は真実を話そうとしないのです? 罪に対して何も覚えがないのだとしたら、他の理由を口にしても構わないのでは? 妖しげな術を使ってまでして、民を驚かせ、騒がせたその目的は何なのです?」
「――――」
それは、当然といえば当然の疑問なのだろう。役人でなくても浮かびそうなくらいに素朴な。
けれど、私はその答えを持ち合わせてはいないのだ。出来ることならこちらが説明を願いたい程に。
「お話出来ることがないんです。私だって、どうして突然あんなところにいたのか……。自分の部屋にいたのに、急に視界が真っ暗になって……」
「それで、気が付いたらあの場にいたと?」
蒼慈さんが小馬鹿にしたような声音で言う。けれど、私にとっての真実はそうなのだ。ただ、朱皇くんのことを省いただけで。
――しかし。
「!?」
眼前に拳が迫っていることに気付いて避けた私は、椅子から転げ落ちた際に生じた腰と肘の痛みに悶絶するより早く仰向けにされ。左肩を押さえ付ける力を加えた蒼慈さんが被さるように上にいた。その右手には、持ち手の短い銛のようなもの。
「そのような答えが信じられるものであれば、縛罪府は必要ありませんね。君にはもう少し、自分の立場を理解して貰わなければならないようです。先ずは忘れてしまっていることを思い出せるように、頭に刺激を加えてみましょうか」
「っっ」
コツンと額に銛の先端があてられる。
殺人という罪の重さを考えても、こんな取り調べはおかしい。まるで冤罪でも構わないから犯人を確定させて早々に処分したがっているみたいだ。
コツンと少し移動してまた先端があてられる。こちらの恐怖を煽っているようでもあり、単純に何処を突こうか迷っているようでもあった。
どうせならば、あの時に死んでしまえば良かった。こんなことになるくらいなら、死んでしまいたかった。
じわりと視界が涙に滲む。やがてそれが粒となって滑り落ちた時、銛を床に転がした音がしたと思ったら、腕を引かれ、背中に腕を回されて起き上がらされていた。
「失礼。君はどうやら潔白のようですね」
駆け寄って来た少年が倒れた椅子を戻してくれて、蒼慈さんは服についた砂や埃を払ってくれながら椅子に座らせてくれる。
これは、一体どういうことなのだろう。
涙を拭いながら見上げると、蒼慈さんは申し訳なさそうに耳をしゅんとさせて。
「乱暴な手ではありましたが、君のことを試していました」
「……?」
「同じ狼族であれば、耳や尻尾、瞳を見れば、ある程度は見抜けます。ですが、君は稀なる人族。さすがにその表情などで真偽を判断することが叶いません。しかし、涙の匂いには種族の違いなど関係ないようです。ただ、何か隠し事があることに変わりはないようですが」
まさか、涙の匂いなんてもので疑いが晴れるなんて。
喜んでいいのだろうけど、複雑な気分だ。心理的に匂いを嗅がれるというのは、気恥ずかしいというか何か嫌だけれど。
「玖涅。冷水と貼り薬を。……ああ、これは酷い」
嘆くように言って私の手を取り、ペンチに挟まれたことで出来た痣を見つめる。
中指一体が自分で見ても目を覆いたくなるようなまでに変色していた。けれど、それをやったのは……。
「やったの、蒼慈様ですがね。野郎相手じゃ決定的な証拠がある場合、これの比じゃねえっすけど、女だと取り敢えず泣かせてみるっていうの、やっぱ趣味悪いと思うんすけどねえ」
私の代わりに少年が文句を言った。
「趣味ではない。仕事だ!」
さっきまでの扱いとはまるで変わって、麗しい容貌が今にも泣いてしまいそうなものになっていたが、文句を言われた際の少年へと向けた目は、私に向けていたもの以上に鋭くて、一瞬呼吸が止まり、心臓までも止まってしまったかと錯覚する程に恐ろしい。
少年はそそくさと室内を出て行く。それを見て、蒼慈さんが溜息をついた。
「先程も言いましたが、人族の身体は狼族のものとはまるで違うのですね。見た目は然程変わらぬようであるのに、こんなにも脆い。あれでも加減をしていたのです。これからはもっと丁重に扱わなければなりませんね。本当に申し訳ないことをしました」
「――私が言ったこと、犯人じゃないことも、どうしてあんなところにいたのか覚えがないことも、信じて貰えるんですか?」
「はい。わたしの鼻にかけて」
……その言い方には少し不安があるけれど、相手は狼族。耳や尻尾が生えてるだけじゃなくて、人なんかより数倍鼻が利くのだろうから、本人が自信を持って言う以上、信じて、安心してもいいのかもしれない。
「――――」
「ああっ、痛みますか? これは困った。麻痺毒でも用いた方がいいだろうか。否、しかし迂闊に使用して取り返しのつかないことになりでもしたら、わたしは女性を傷物にしたも同じ……はっ、それは既に確定済みか。ならば責任を取るより他は――」
安心した途端に中指が激痛を訴えはじめて、私はまた涙を溢す。
蒼慈さんの慌てた後の独り言がうっすらと聞こえて来たけれど、何を言っているのかはいまいち分からない。
しかし、少年が戻って来たのか、バタンとドアが開かれた後に聞こえた言葉は明確に耳に届いた。
「蒼慈殿、犯人を捕縛したというのは真ですかっ?」
私はただ、朱皇くんが無事に元の世界に戻れるように願っただけ。その世界に私まで渡ることになったり、そこで何か物語のような事態に遭遇することなんて願わなかった。ましてやこんな悪夢のような展開なんて、あまりにも酷い。
「殺人なんて、してません」
悪足掻きでも何でも、訴えることをやめないでいれば、僅かでも希望が見えて来るのではないかと思った。その可能性に縋るしかなかった。
或いは、冗談だったのだと笑ってくれるなら、指一本を失っても構わないと思ってしまう。
「わたしも、そうであって欲しいと思いますが、それでは何故君は真実を話そうとしないのです? 罪に対して何も覚えがないのだとしたら、他の理由を口にしても構わないのでは? 妖しげな術を使ってまでして、民を驚かせ、騒がせたその目的は何なのです?」
「――――」
それは、当然といえば当然の疑問なのだろう。役人でなくても浮かびそうなくらいに素朴な。
けれど、私はその答えを持ち合わせてはいないのだ。出来ることならこちらが説明を願いたい程に。
「お話出来ることがないんです。私だって、どうして突然あんなところにいたのか……。自分の部屋にいたのに、急に視界が真っ暗になって……」
「それで、気が付いたらあの場にいたと?」
蒼慈さんが小馬鹿にしたような声音で言う。けれど、私にとっての真実はそうなのだ。ただ、朱皇くんのことを省いただけで。
――しかし。
「!?」
眼前に拳が迫っていることに気付いて避けた私は、椅子から転げ落ちた際に生じた腰と肘の痛みに悶絶するより早く仰向けにされ。左肩を押さえ付ける力を加えた蒼慈さんが被さるように上にいた。その右手には、持ち手の短い銛のようなもの。
「そのような答えが信じられるものであれば、縛罪府は必要ありませんね。君にはもう少し、自分の立場を理解して貰わなければならないようです。先ずは忘れてしまっていることを思い出せるように、頭に刺激を加えてみましょうか」
「っっ」
コツンと額に銛の先端があてられる。
殺人という罪の重さを考えても、こんな取り調べはおかしい。まるで冤罪でも構わないから犯人を確定させて早々に処分したがっているみたいだ。
コツンと少し移動してまた先端があてられる。こちらの恐怖を煽っているようでもあり、単純に何処を突こうか迷っているようでもあった。
どうせならば、あの時に死んでしまえば良かった。こんなことになるくらいなら、死んでしまいたかった。
じわりと視界が涙に滲む。やがてそれが粒となって滑り落ちた時、銛を床に転がした音がしたと思ったら、腕を引かれ、背中に腕を回されて起き上がらされていた。
「失礼。君はどうやら潔白のようですね」
駆け寄って来た少年が倒れた椅子を戻してくれて、蒼慈さんは服についた砂や埃を払ってくれながら椅子に座らせてくれる。
これは、一体どういうことなのだろう。
涙を拭いながら見上げると、蒼慈さんは申し訳なさそうに耳をしゅんとさせて。
「乱暴な手ではありましたが、君のことを試していました」
「……?」
「同じ狼族であれば、耳や尻尾、瞳を見れば、ある程度は見抜けます。ですが、君は稀なる人族。さすがにその表情などで真偽を判断することが叶いません。しかし、涙の匂いには種族の違いなど関係ないようです。ただ、何か隠し事があることに変わりはないようですが」
まさか、涙の匂いなんてもので疑いが晴れるなんて。
喜んでいいのだろうけど、複雑な気分だ。心理的に匂いを嗅がれるというのは、気恥ずかしいというか何か嫌だけれど。
「玖涅。冷水と貼り薬を。……ああ、これは酷い」
嘆くように言って私の手を取り、ペンチに挟まれたことで出来た痣を見つめる。
中指一体が自分で見ても目を覆いたくなるようなまでに変色していた。けれど、それをやったのは……。
「やったの、蒼慈様ですがね。野郎相手じゃ決定的な証拠がある場合、これの比じゃねえっすけど、女だと取り敢えず泣かせてみるっていうの、やっぱ趣味悪いと思うんすけどねえ」
私の代わりに少年が文句を言った。
「趣味ではない。仕事だ!」
さっきまでの扱いとはまるで変わって、麗しい容貌が今にも泣いてしまいそうなものになっていたが、文句を言われた際の少年へと向けた目は、私に向けていたもの以上に鋭くて、一瞬呼吸が止まり、心臓までも止まってしまったかと錯覚する程に恐ろしい。
少年はそそくさと室内を出て行く。それを見て、蒼慈さんが溜息をついた。
「先程も言いましたが、人族の身体は狼族のものとはまるで違うのですね。見た目は然程変わらぬようであるのに、こんなにも脆い。あれでも加減をしていたのです。これからはもっと丁重に扱わなければなりませんね。本当に申し訳ないことをしました」
「――私が言ったこと、犯人じゃないことも、どうしてあんなところにいたのか覚えがないことも、信じて貰えるんですか?」
「はい。わたしの鼻にかけて」
……その言い方には少し不安があるけれど、相手は狼族。耳や尻尾が生えてるだけじゃなくて、人なんかより数倍鼻が利くのだろうから、本人が自信を持って言う以上、信じて、安心してもいいのかもしれない。
「――――」
「ああっ、痛みますか? これは困った。麻痺毒でも用いた方がいいだろうか。否、しかし迂闊に使用して取り返しのつかないことになりでもしたら、わたしは女性を傷物にしたも同じ……はっ、それは既に確定済みか。ならば責任を取るより他は――」
安心した途端に中指が激痛を訴えはじめて、私はまた涙を溢す。
蒼慈さんの慌てた後の独り言がうっすらと聞こえて来たけれど、何を言っているのかはいまいち分からない。
しかし、少年が戻って来たのか、バタンとドアが開かれた後に聞こえた言葉は明確に耳に届いた。
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