9 / 49
第弐話
4
しおりを挟む
どうして。と、繰り返し思う。
私はただ、朱皇くんが無事に元の世界に戻れるように願っただけ。その世界に私まで渡ることになったり、そこで何か物語のような事態に遭遇することなんて願わなかった。ましてやこんな悪夢のような展開なんて、あまりにも酷い。
「殺人なんて、してません」
悪足掻きでも何でも、訴えることをやめないでいれば、僅かでも希望が見えて来るのではないかと思った。その可能性に縋るしかなかった。
或いは、冗談だったのだと笑ってくれるなら、指一本を失っても構わないと思ってしまう。
「わたしも、そうであって欲しいと思いますが、それでは何故君は真実を話そうとしないのです? 罪に対して何も覚えがないのだとしたら、他の理由を口にしても構わないのでは? 妖しげな術を使ってまでして、民を驚かせ、騒がせたその目的は何なのです?」
「――――」
それは、当然といえば当然の疑問なのだろう。役人でなくても浮かびそうなくらいに素朴な。
けれど、私はその答えを持ち合わせてはいないのだ。出来ることならこちらが説明を願いたい程に。
「お話出来ることがないんです。私だって、どうして突然あんなところにいたのか……。自分の部屋にいたのに、急に視界が真っ暗になって……」
「それで、気が付いたらあの場にいたと?」
蒼慈さんが小馬鹿にしたような声音で言う。けれど、私にとっての真実はそうなのだ。ただ、朱皇くんのことを省いただけで。
――しかし。
「!?」
眼前に拳が迫っていることに気付いて避けた私は、椅子から転げ落ちた際に生じた腰と肘の痛みに悶絶するより早く仰向けにされ。左肩を押さえ付ける力を加えた蒼慈さんが被さるように上にいた。その右手には、持ち手の短い銛のようなもの。
「そのような答えが信じられるものであれば、縛罪府は必要ありませんね。君にはもう少し、自分の立場を理解して貰わなければならないようです。先ずは忘れてしまっていることを思い出せるように、頭に刺激を加えてみましょうか」
「っっ」
コツンと額に銛の先端があてられる。
殺人という罪の重さを考えても、こんな取り調べはおかしい。まるで冤罪でも構わないから犯人を確定させて早々に処分したがっているみたいだ。
コツンと少し移動してまた先端があてられる。こちらの恐怖を煽っているようでもあり、単純に何処を突こうか迷っているようでもあった。
どうせならば、あの時に死んでしまえば良かった。こんなことになるくらいなら、死んでしまいたかった。
じわりと視界が涙に滲む。やがてそれが粒となって滑り落ちた時、銛を床に転がした音がしたと思ったら、腕を引かれ、背中に腕を回されて起き上がらされていた。
「失礼。君はどうやら潔白のようですね」
駆け寄って来た少年が倒れた椅子を戻してくれて、蒼慈さんは服についた砂や埃を払ってくれながら椅子に座らせてくれる。
これは、一体どういうことなのだろう。
涙を拭いながら見上げると、蒼慈さんは申し訳なさそうに耳をしゅんとさせて。
「乱暴な手ではありましたが、君のことを試していました」
「……?」
「同じ狼族であれば、耳や尻尾、瞳を見れば、ある程度は見抜けます。ですが、君は稀なる人族。さすがにその表情などで真偽を判断することが叶いません。しかし、涙の匂いには種族の違いなど関係ないようです。ただ、何か隠し事があることに変わりはないようですが」
まさか、涙の匂いなんてもので疑いが晴れるなんて。
喜んでいいのだろうけど、複雑な気分だ。心理的に匂いを嗅がれるというのは、気恥ずかしいというか何か嫌だけれど。
「玖涅。冷水と貼り薬を。……ああ、これは酷い」
嘆くように言って私の手を取り、ペンチに挟まれたことで出来た痣を見つめる。
中指一体が自分で見ても目を覆いたくなるようなまでに変色していた。けれど、それをやったのは……。
「やったの、蒼慈様ですがね。野郎相手じゃ決定的な証拠がある場合、これの比じゃねえっすけど、女だと取り敢えず泣かせてみるっていうの、やっぱ趣味悪いと思うんすけどねえ」
私の代わりに少年が文句を言った。
「趣味ではない。仕事だ!」
さっきまでの扱いとはまるで変わって、麗しい容貌が今にも泣いてしまいそうなものになっていたが、文句を言われた際の少年へと向けた目は、私に向けていたもの以上に鋭くて、一瞬呼吸が止まり、心臓までも止まってしまったかと錯覚する程に恐ろしい。
少年はそそくさと室内を出て行く。それを見て、蒼慈さんが溜息をついた。
「先程も言いましたが、人族の身体は狼族のものとはまるで違うのですね。見た目は然程変わらぬようであるのに、こんなにも脆い。あれでも加減をしていたのです。これからはもっと丁重に扱わなければなりませんね。本当に申し訳ないことをしました」
「――私が言ったこと、犯人じゃないことも、どうしてあんなところにいたのか覚えがないことも、信じて貰えるんですか?」
「はい。わたしの鼻にかけて」
……その言い方には少し不安があるけれど、相手は狼族。耳や尻尾が生えてるだけじゃなくて、人なんかより数倍鼻が利くのだろうから、本人が自信を持って言う以上、信じて、安心してもいいのかもしれない。
「――――」
「ああっ、痛みますか? これは困った。麻痺毒でも用いた方がいいだろうか。否、しかし迂闊に使用して取り返しのつかないことになりでもしたら、わたしは女性を傷物にしたも同じ……はっ、それは既に確定済みか。ならば責任を取るより他は――」
安心した途端に中指が激痛を訴えはじめて、私はまた涙を溢す。
蒼慈さんの慌てた後の独り言がうっすらと聞こえて来たけれど、何を言っているのかはいまいち分からない。
しかし、少年が戻って来たのか、バタンとドアが開かれた後に聞こえた言葉は明確に耳に届いた。
「蒼慈殿、犯人を捕縛したというのは真ですかっ?」
私はただ、朱皇くんが無事に元の世界に戻れるように願っただけ。その世界に私まで渡ることになったり、そこで何か物語のような事態に遭遇することなんて願わなかった。ましてやこんな悪夢のような展開なんて、あまりにも酷い。
「殺人なんて、してません」
悪足掻きでも何でも、訴えることをやめないでいれば、僅かでも希望が見えて来るのではないかと思った。その可能性に縋るしかなかった。
或いは、冗談だったのだと笑ってくれるなら、指一本を失っても構わないと思ってしまう。
「わたしも、そうであって欲しいと思いますが、それでは何故君は真実を話そうとしないのです? 罪に対して何も覚えがないのだとしたら、他の理由を口にしても構わないのでは? 妖しげな術を使ってまでして、民を驚かせ、騒がせたその目的は何なのです?」
「――――」
それは、当然といえば当然の疑問なのだろう。役人でなくても浮かびそうなくらいに素朴な。
けれど、私はその答えを持ち合わせてはいないのだ。出来ることならこちらが説明を願いたい程に。
「お話出来ることがないんです。私だって、どうして突然あんなところにいたのか……。自分の部屋にいたのに、急に視界が真っ暗になって……」
「それで、気が付いたらあの場にいたと?」
蒼慈さんが小馬鹿にしたような声音で言う。けれど、私にとっての真実はそうなのだ。ただ、朱皇くんのことを省いただけで。
――しかし。
「!?」
眼前に拳が迫っていることに気付いて避けた私は、椅子から転げ落ちた際に生じた腰と肘の痛みに悶絶するより早く仰向けにされ。左肩を押さえ付ける力を加えた蒼慈さんが被さるように上にいた。その右手には、持ち手の短い銛のようなもの。
「そのような答えが信じられるものであれば、縛罪府は必要ありませんね。君にはもう少し、自分の立場を理解して貰わなければならないようです。先ずは忘れてしまっていることを思い出せるように、頭に刺激を加えてみましょうか」
「っっ」
コツンと額に銛の先端があてられる。
殺人という罪の重さを考えても、こんな取り調べはおかしい。まるで冤罪でも構わないから犯人を確定させて早々に処分したがっているみたいだ。
コツンと少し移動してまた先端があてられる。こちらの恐怖を煽っているようでもあり、単純に何処を突こうか迷っているようでもあった。
どうせならば、あの時に死んでしまえば良かった。こんなことになるくらいなら、死んでしまいたかった。
じわりと視界が涙に滲む。やがてそれが粒となって滑り落ちた時、銛を床に転がした音がしたと思ったら、腕を引かれ、背中に腕を回されて起き上がらされていた。
「失礼。君はどうやら潔白のようですね」
駆け寄って来た少年が倒れた椅子を戻してくれて、蒼慈さんは服についた砂や埃を払ってくれながら椅子に座らせてくれる。
これは、一体どういうことなのだろう。
涙を拭いながら見上げると、蒼慈さんは申し訳なさそうに耳をしゅんとさせて。
「乱暴な手ではありましたが、君のことを試していました」
「……?」
「同じ狼族であれば、耳や尻尾、瞳を見れば、ある程度は見抜けます。ですが、君は稀なる人族。さすがにその表情などで真偽を判断することが叶いません。しかし、涙の匂いには種族の違いなど関係ないようです。ただ、何か隠し事があることに変わりはないようですが」
まさか、涙の匂いなんてもので疑いが晴れるなんて。
喜んでいいのだろうけど、複雑な気分だ。心理的に匂いを嗅がれるというのは、気恥ずかしいというか何か嫌だけれど。
「玖涅。冷水と貼り薬を。……ああ、これは酷い」
嘆くように言って私の手を取り、ペンチに挟まれたことで出来た痣を見つめる。
中指一体が自分で見ても目を覆いたくなるようなまでに変色していた。けれど、それをやったのは……。
「やったの、蒼慈様ですがね。野郎相手じゃ決定的な証拠がある場合、これの比じゃねえっすけど、女だと取り敢えず泣かせてみるっていうの、やっぱ趣味悪いと思うんすけどねえ」
私の代わりに少年が文句を言った。
「趣味ではない。仕事だ!」
さっきまでの扱いとはまるで変わって、麗しい容貌が今にも泣いてしまいそうなものになっていたが、文句を言われた際の少年へと向けた目は、私に向けていたもの以上に鋭くて、一瞬呼吸が止まり、心臓までも止まってしまったかと錯覚する程に恐ろしい。
少年はそそくさと室内を出て行く。それを見て、蒼慈さんが溜息をついた。
「先程も言いましたが、人族の身体は狼族のものとはまるで違うのですね。見た目は然程変わらぬようであるのに、こんなにも脆い。あれでも加減をしていたのです。これからはもっと丁重に扱わなければなりませんね。本当に申し訳ないことをしました」
「――私が言ったこと、犯人じゃないことも、どうしてあんなところにいたのか覚えがないことも、信じて貰えるんですか?」
「はい。わたしの鼻にかけて」
……その言い方には少し不安があるけれど、相手は狼族。耳や尻尾が生えてるだけじゃなくて、人なんかより数倍鼻が利くのだろうから、本人が自信を持って言う以上、信じて、安心してもいいのかもしれない。
「――――」
「ああっ、痛みますか? これは困った。麻痺毒でも用いた方がいいだろうか。否、しかし迂闊に使用して取り返しのつかないことになりでもしたら、わたしは女性を傷物にしたも同じ……はっ、それは既に確定済みか。ならば責任を取るより他は――」
安心した途端に中指が激痛を訴えはじめて、私はまた涙を溢す。
蒼慈さんの慌てた後の独り言がうっすらと聞こえて来たけれど、何を言っているのかはいまいち分からない。
しかし、少年が戻って来たのか、バタンとドアが開かれた後に聞こえた言葉は明確に耳に届いた。
「蒼慈殿、犯人を捕縛したというのは真ですかっ?」
0
あなたにおすすめの小説
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
修学旅行に行くはずが異世界に着いた。〜三種のお買い物スキルで仲間と共に〜
長船凪
ファンタジー
修学旅行へ行く為に荷物を持って、バスの来る学校のグラウンドへ向かう途中、三人の高校生はコンビニに寄った。
コンビニから出た先は、見知らぬ場所、森の中だった。
ここから生き残る為、サバイバルと旅が始まる。
実際の所、そこは異世界だった。
勇者召喚の余波を受けて、異世界へ転移してしまった彼等は、お買い物スキルを得た。
奏が食品。コウタが金物。紗耶香が化粧品。という、三人種類の違うショップスキルを得た。
特殊なお買い物スキルを使い商品を仕入れ、料理を作り、現地の人達と交流し、商人や狩りなどをしながら、少しずつ、異世界に順応しつつ生きていく、三人の物語。
実は時間差クラス転移で、他のクラスメイトも勇者召喚により、異世界に転移していた。
主人公 高校2年 高遠 奏 呼び名 カナデっち。奏。
クラスメイトのギャル 水木 紗耶香 呼び名 サヤ。 紗耶香ちゃん。水木さん。
主人公の幼馴染 片桐 浩太 呼び名 コウタ コータ君
(なろうでも別名義で公開)
タイトル微妙に変更しました。
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件
表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。
病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。
この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。
しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。
ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。
強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。
これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。
甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。
本編完結しました。
続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる