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第肆話
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「青子様、お逃げ下さいっ」
切羽詰まった声音で丹思様から言われたけれど、私は分厚い木の扉に突き刺さったナイフのようなものに目を奪われたまま、身動き一つ出来なかった。
危なかった。と無事を安堵する思いと、どうしてこんなものが。と恐怖する思いとが交ざって、反応を鈍くさせている。
「丹思様!」
タタッと駆けてくる幾つかの軽い足音。
「青子様をお守りするのが先だ」
珍しく怒りや苛立ちを孕んだような声に驚いてそちらを見る。だが、誰かの手に羽交い締めされるように立ち上がらされ、すぐに「こちらへ」と誘導されてしまった為、その顔を窺い見ることは出来なかった。
それよりも、私が今まで座り込んでいた辺りに、突如として現れた数人の黒い外套を纏った者たちに視界を遮られる。私を庇うようにして前に回り込んだ妖狐族の青年越しに見えた顔は、墨汁で塗りたくったように真っ黒で、銀色の目だけが恐ろしいまでにギラギラしているのが分かる。
「丹思様!」
「大事ない、それよりも早く青子様をっ!!」
悲鳴のような声に続き、丹思様の切れ切れの声が耳に届く。合間に聞こえた金属音は、もしかしなくても刃物が打ち合う音だ。
まさか、戦っているの?
そう思った瞬間、こちらを向いている外套姿の者たちが一斉に剣を抜いた。歯こぼれして使い込まれた様子の銀の煌めき。冷たく光を反射させるそれが模造品とは思えない。否、そう思おうとしても、周囲の緊迫した空気がそうさせてくれないのだ。
神殿の扉が開かれ、私はその中へと引っ張り込まれる。――が。
「えっ?」
私の手を引いたのは妖狐族の青年ではなく、外套姿の者だった。
「きゃっ」
勢いに任せて床に転がされる。
その先にあった円柱に背中を打ち、痛みに顔をしかめながらも素早く身を起こしたのは、相手が剣を持ち直し、私目掛けて垂直に振り降ろしたからだ。
ガンッと円柱に刃先が食い込む。それでも再び振り上げられ、私は神殿内に並ぶ外側の太い円柱と内側の細い円柱との間をジグザグに駆け回って逃げることしか出来ない。
しかしそれも有効な手段ではなかった。相手が同じようにして後から追って来るのではなく、跳躍して距離を詰められ、前に回り込まれてしまっては、意味がなかった。
どうしよう。と周りを見渡した際に気付いたもう一つの点が厄介で絶望的だった。
いつの間にか、十を数える程の人数に囲まれていたからだ。
「安心しろ。貴様は生捕りにするよう依頼されている」
あまり唇を動かすことなく相手が言葉を発した。
「だが、少々痛い思いはして貰うがな」
「!」
ザッと突き出された剣の切っ先。
反応なんて出来なかった。
胸の前に真っ直ぐ突かれたように見えたそれはややズレていたようで、左側の二の腕にザクリと異物が差し込まれる衝撃があった。
「あぅ……っ……!!」
軽く抉るようにして刃が引き抜かれる様を見てしまった。銀色のそれにベッタリと塗られ、滴った赤い液体。
私の血を纏ったそれを、露でも払うように振った後、懐紙で拭うのを眺めながら、膝をつく。
座ろうとした訳ではなかった。先程のように腰を抜かしたのとも違う。ショックによる貧血だろう。
「うぅっ……」
どろりどろりと流れていく熱。
傷口に何故か瓶の口を寄せられていた。どういう理由からか、私の血を採取しているのだ。
「貴重な人族の血だ。本来ならば臓器を取り出して調べたいところだが、死なれては困る。だから、仕方なく血だけを貰うことにしたのだよ」
クックッと喉の奥で笑いながら瓶を手にした者が言う。
「もう逃げる気も起きんだろう。連れて行け」
「はい」
止血の為に強く布を巻かれ、担がれる。
私が狙われていたのか。丹思様は無事だろうか。妖狐族の人たちは無事だろうか。
私はこれからどうなるのだろう。人族というだけでこの扱いなら、異世界から来たと知られた時、生きていられるだろうか。
ぐらりぐらりと視界が揺れる。
頭を下に向けられているから、血が上って気持ち悪い。痛みは腕の方が強いけれど、胸が圧迫される苦しさと相俟って、意識を手放したいと願う程に辛い。
何だかこんなことばかりのような気がする。
もう、帰りたい。全部、夢にしてしまいたい。
――と、そんなことを考えていた途中、不意に。
バタンッ!
扉が乱暴に開かれたような音がした。私の視界には床と誰かの足くらいしかなかったから定かではないのだけど、扉とは違う方向に向かっていたらしく、音がした方から離れている。
「貴様らは、この場を何だと思っているのだね?」
「――!」
声が響いた瞬間――或いはその姿を目にした瞬間かもしれない――外套姿の者たちが息を飲んだようだった。
ザザッと大勢の足音がする。
緊張した空気の中、私を担いでいる人が身を震わせたのが分かった。
「皇族を襲撃したかと思えば人拐いか。神聖なる場で罪を犯すなど、愚かと哀れむ気にもなれん」
出血の為と担がれていることとで、冷たくなり始めていた身体に熱が灯る。
甘く四肢を痺れさせるような感覚を抱かせているのは、声の力によるものか。
女性を虜にするという魔性の声。確かそんな風に蒼慈さんは言っていた。その不思議な力が別の作用を起こしたかどうか分からないけれど、魅了されるその声によって火照った身体は、苦痛にのみ支配されようとしていた意識を他に向ける余裕をもたらせた。
「その娘を放せ。彼女はわたしの客人。何人たりとも害をなすことは許さぬ」
千茜様の声が近付いて来ている。
私を担いでいる人は明らかに狼狽し、誰かの指示を待っているのか逃げ道を探しているのか、キョロキョロと辺りに目を向けているようだった。私の腕を傷付けた人と違って、この人は或いは気の弱い人なのかもしれない。
「何をしているっ、早くこっちへ来い!」
急かす声が後方から投げられる。ビクリと肩を揺らせて、私を担ぎ直そうとしたその瞬間、その人の腕を誰かが掴んだ。
「チッ」
遠くで聞こえる舌打ち。
間近では息を呑む気配。
「放せ、という言葉を、理解してはいないのかね?」
「グァッ……!!」
千茜様の囁き声が耳朶を打つのと同時に悲鳴が上がった。
ガクリと下降しかけた身体は、けれどふわりと抱き上げられ、そっと円柱に凭れ掛けさせられる。
「取り押さえよ!」
「ハッ」
千茜様の号令に従い駆け出す靴音。揉み合い、刃を打ち合わせるような音、怒号。
視界が薄暗いのは、神殿の中がそもそもそうであったからだろうか。息苦しさから解放され、左腕の激痛が独唱を始める。
甲冑ではなく制服を纏っているだけだから、彼らが千茜様の親衛隊――個別の警護部隊をそう呼ぶらしい――なのか蒼慈さんのような縛罪府の人たちなのか判断出来ないけれど、逃げ遅れた外套姿の者たちを組伏せ、捕縛したのは、あっという間だった。
ここを離れて行く足音もあったから、逃げて行った者たちを追って行った人もいるのだろう。
私の腕を突き刺し、血の入った瓶を手にした者は、まだ捕まってはいないようだった。
「脆いな。命を落とすような怪我ではない。気を確り持つのだ」
千茜様の手が止血の為の布に伸ばされ、そっと撫でる。
死なない程度だと言われても、血が失われていく感覚と痛み、そして激痛を訴える部分から下が、止血の所為で痺れている中で、平気な顔をしていられる程、私は強くない。
「将軍殿の拷問は生温いものではないと聞いていたが――セイコには甘かった、ということかい?」
私の顔を……目を覗き込むようにして訊ねられ、ドキリとする。ただでさえ千茜様の声だけで動揺してしまうのに、朱皇様と面差しの似た美しい顔を近付けられたら、それだけで軽く意識が飛んでしまいそう。
「もう暫く辛抱したまえ。丹思の元に癒術の得意な者がいる。その者へ預けよう」
「! 丹思様は……」
名前を耳にして「ご無事ですか?」と今更に心配になりながら訊ねると、千茜様は紅玉のような瞳を丸くさせた後に頷く。
「日中の城内に侵入したにしては少し大きな規模で来たようでね、さしもの狐どもも手を焼いたようだ」
答えた千茜様は何故か楽しそうで。
私を制服姿の人に任せると、颯爽と神殿内から出て行こうとする。
しかしその扉の手前で、丹思様がいることに気付き、足を止めた。
「何故、千茜様がこちらに?」
「城に不審者が現れれば警戒するものではないか? 内々に済ませるには役人など使えまい。故にわたし自らが動いたのだが、何か不興を買ったか?」
「迅速過ぎる手際の良さは、時に疑いを持たれるもの。青子様をこちらにお連れした僕らが警戒を怠ったと仰有りたいのですか」
「狐の鼻より狼の鼻が利いただけのこと。そのように無闇に突っ掛かるものではないよ。まるで己の罪を被せようと躍起になっているように思われる」
「なっ……!」
言葉を詰まらせた丹思様。それを合図に、今度こそ千茜様が神殿から出ていく。
お二人は仲が悪いのだろうか。千茜様は丹思様のことを話された時、そんな風には思えなかったのだけれど。
「青子様……ああ、お怪我をなされているではありませんか!」
様子を窺っていた私の元へ、足早に寄って来た丹思様が、千茜様に任されていた人を下がらせて私の腕に触れる。
「お守り出来ず、申し訳ありません。この罰は如何様にもお受け致します」
「いえ、そんな……。丹思様がご無事で良かったです」
深々と頭を下げる丹思様に慌てて告げると、顔を上げた丹思様は辛そうに目を伏せて。
「考えが、足りておりませんでした。青子様をこちらへお連れすれば、必ず接触する者がいるだろうと予測を立てていたのです。朱皇様の帰還を隠しても、何処からともなく現れた人族の噂が流れれば、確かめに来るかもしれないと」
「……?」
「神殿の前で朱皇様が倒れられていた件について、少しだけ情報が漏れていたようなのです。予め帰還なさる日程が定められていた訳ではありませんから、その姿を目にした者が僕たち以外にもいたようで。それからすぐに、あれは朱皇様ではなく別の黒狼族の青年だったという噂を流したのですが、後ろ暗い者にはそれで目眩ましとなる筈がありません。ですから、青子様の件を耳に入れれば、自分の目で確かめようとするだろうと考えたのです。それがまさか、このようなことになるとは……」
しゅんと耳が垂れて、尻尾もすっかり下がってしまっている。
私は囮として使われたような気がするけれど、そんなことはどうでも良かった。犯人探しをする為なら仕方ないと思うから。
「私の血を持って行ったんです。貴重だとかって。それは何かの手掛かりになりませんか?」
少女のような愛らしい顔を悲しげに曇らされるのは見ていて辛い。
生捕りのことも合わせて話してみると、丹思様は暫く考える様子を見せてから一つ頷き。
「ああ、それどころではありませんでした!」
ハッと私の左腕に目を向けると、慌てて私を癒術が得意だという妖狐族の人の元へ連れて行ってくれたのだった。
切羽詰まった声音で丹思様から言われたけれど、私は分厚い木の扉に突き刺さったナイフのようなものに目を奪われたまま、身動き一つ出来なかった。
危なかった。と無事を安堵する思いと、どうしてこんなものが。と恐怖する思いとが交ざって、反応を鈍くさせている。
「丹思様!」
タタッと駆けてくる幾つかの軽い足音。
「青子様をお守りするのが先だ」
珍しく怒りや苛立ちを孕んだような声に驚いてそちらを見る。だが、誰かの手に羽交い締めされるように立ち上がらされ、すぐに「こちらへ」と誘導されてしまった為、その顔を窺い見ることは出来なかった。
それよりも、私が今まで座り込んでいた辺りに、突如として現れた数人の黒い外套を纏った者たちに視界を遮られる。私を庇うようにして前に回り込んだ妖狐族の青年越しに見えた顔は、墨汁で塗りたくったように真っ黒で、銀色の目だけが恐ろしいまでにギラギラしているのが分かる。
「丹思様!」
「大事ない、それよりも早く青子様をっ!!」
悲鳴のような声に続き、丹思様の切れ切れの声が耳に届く。合間に聞こえた金属音は、もしかしなくても刃物が打ち合う音だ。
まさか、戦っているの?
そう思った瞬間、こちらを向いている外套姿の者たちが一斉に剣を抜いた。歯こぼれして使い込まれた様子の銀の煌めき。冷たく光を反射させるそれが模造品とは思えない。否、そう思おうとしても、周囲の緊迫した空気がそうさせてくれないのだ。
神殿の扉が開かれ、私はその中へと引っ張り込まれる。――が。
「えっ?」
私の手を引いたのは妖狐族の青年ではなく、外套姿の者だった。
「きゃっ」
勢いに任せて床に転がされる。
その先にあった円柱に背中を打ち、痛みに顔をしかめながらも素早く身を起こしたのは、相手が剣を持ち直し、私目掛けて垂直に振り降ろしたからだ。
ガンッと円柱に刃先が食い込む。それでも再び振り上げられ、私は神殿内に並ぶ外側の太い円柱と内側の細い円柱との間をジグザグに駆け回って逃げることしか出来ない。
しかしそれも有効な手段ではなかった。相手が同じようにして後から追って来るのではなく、跳躍して距離を詰められ、前に回り込まれてしまっては、意味がなかった。
どうしよう。と周りを見渡した際に気付いたもう一つの点が厄介で絶望的だった。
いつの間にか、十を数える程の人数に囲まれていたからだ。
「安心しろ。貴様は生捕りにするよう依頼されている」
あまり唇を動かすことなく相手が言葉を発した。
「だが、少々痛い思いはして貰うがな」
「!」
ザッと突き出された剣の切っ先。
反応なんて出来なかった。
胸の前に真っ直ぐ突かれたように見えたそれはややズレていたようで、左側の二の腕にザクリと異物が差し込まれる衝撃があった。
「あぅ……っ……!!」
軽く抉るようにして刃が引き抜かれる様を見てしまった。銀色のそれにベッタリと塗られ、滴った赤い液体。
私の血を纏ったそれを、露でも払うように振った後、懐紙で拭うのを眺めながら、膝をつく。
座ろうとした訳ではなかった。先程のように腰を抜かしたのとも違う。ショックによる貧血だろう。
「うぅっ……」
どろりどろりと流れていく熱。
傷口に何故か瓶の口を寄せられていた。どういう理由からか、私の血を採取しているのだ。
「貴重な人族の血だ。本来ならば臓器を取り出して調べたいところだが、死なれては困る。だから、仕方なく血だけを貰うことにしたのだよ」
クックッと喉の奥で笑いながら瓶を手にした者が言う。
「もう逃げる気も起きんだろう。連れて行け」
「はい」
止血の為に強く布を巻かれ、担がれる。
私が狙われていたのか。丹思様は無事だろうか。妖狐族の人たちは無事だろうか。
私はこれからどうなるのだろう。人族というだけでこの扱いなら、異世界から来たと知られた時、生きていられるだろうか。
ぐらりぐらりと視界が揺れる。
頭を下に向けられているから、血が上って気持ち悪い。痛みは腕の方が強いけれど、胸が圧迫される苦しさと相俟って、意識を手放したいと願う程に辛い。
何だかこんなことばかりのような気がする。
もう、帰りたい。全部、夢にしてしまいたい。
――と、そんなことを考えていた途中、不意に。
バタンッ!
扉が乱暴に開かれたような音がした。私の視界には床と誰かの足くらいしかなかったから定かではないのだけど、扉とは違う方向に向かっていたらしく、音がした方から離れている。
「貴様らは、この場を何だと思っているのだね?」
「――!」
声が響いた瞬間――或いはその姿を目にした瞬間かもしれない――外套姿の者たちが息を飲んだようだった。
ザザッと大勢の足音がする。
緊張した空気の中、私を担いでいる人が身を震わせたのが分かった。
「皇族を襲撃したかと思えば人拐いか。神聖なる場で罪を犯すなど、愚かと哀れむ気にもなれん」
出血の為と担がれていることとで、冷たくなり始めていた身体に熱が灯る。
甘く四肢を痺れさせるような感覚を抱かせているのは、声の力によるものか。
女性を虜にするという魔性の声。確かそんな風に蒼慈さんは言っていた。その不思議な力が別の作用を起こしたかどうか分からないけれど、魅了されるその声によって火照った身体は、苦痛にのみ支配されようとしていた意識を他に向ける余裕をもたらせた。
「その娘を放せ。彼女はわたしの客人。何人たりとも害をなすことは許さぬ」
千茜様の声が近付いて来ている。
私を担いでいる人は明らかに狼狽し、誰かの指示を待っているのか逃げ道を探しているのか、キョロキョロと辺りに目を向けているようだった。私の腕を傷付けた人と違って、この人は或いは気の弱い人なのかもしれない。
「何をしているっ、早くこっちへ来い!」
急かす声が後方から投げられる。ビクリと肩を揺らせて、私を担ぎ直そうとしたその瞬間、その人の腕を誰かが掴んだ。
「チッ」
遠くで聞こえる舌打ち。
間近では息を呑む気配。
「放せ、という言葉を、理解してはいないのかね?」
「グァッ……!!」
千茜様の囁き声が耳朶を打つのと同時に悲鳴が上がった。
ガクリと下降しかけた身体は、けれどふわりと抱き上げられ、そっと円柱に凭れ掛けさせられる。
「取り押さえよ!」
「ハッ」
千茜様の号令に従い駆け出す靴音。揉み合い、刃を打ち合わせるような音、怒号。
視界が薄暗いのは、神殿の中がそもそもそうであったからだろうか。息苦しさから解放され、左腕の激痛が独唱を始める。
甲冑ではなく制服を纏っているだけだから、彼らが千茜様の親衛隊――個別の警護部隊をそう呼ぶらしい――なのか蒼慈さんのような縛罪府の人たちなのか判断出来ないけれど、逃げ遅れた外套姿の者たちを組伏せ、捕縛したのは、あっという間だった。
ここを離れて行く足音もあったから、逃げて行った者たちを追って行った人もいるのだろう。
私の腕を突き刺し、血の入った瓶を手にした者は、まだ捕まってはいないようだった。
「脆いな。命を落とすような怪我ではない。気を確り持つのだ」
千茜様の手が止血の為の布に伸ばされ、そっと撫でる。
死なない程度だと言われても、血が失われていく感覚と痛み、そして激痛を訴える部分から下が、止血の所為で痺れている中で、平気な顔をしていられる程、私は強くない。
「将軍殿の拷問は生温いものではないと聞いていたが――セイコには甘かった、ということかい?」
私の顔を……目を覗き込むようにして訊ねられ、ドキリとする。ただでさえ千茜様の声だけで動揺してしまうのに、朱皇様と面差しの似た美しい顔を近付けられたら、それだけで軽く意識が飛んでしまいそう。
「もう暫く辛抱したまえ。丹思の元に癒術の得意な者がいる。その者へ預けよう」
「! 丹思様は……」
名前を耳にして「ご無事ですか?」と今更に心配になりながら訊ねると、千茜様は紅玉のような瞳を丸くさせた後に頷く。
「日中の城内に侵入したにしては少し大きな規模で来たようでね、さしもの狐どもも手を焼いたようだ」
答えた千茜様は何故か楽しそうで。
私を制服姿の人に任せると、颯爽と神殿内から出て行こうとする。
しかしその扉の手前で、丹思様がいることに気付き、足を止めた。
「何故、千茜様がこちらに?」
「城に不審者が現れれば警戒するものではないか? 内々に済ませるには役人など使えまい。故にわたし自らが動いたのだが、何か不興を買ったか?」
「迅速過ぎる手際の良さは、時に疑いを持たれるもの。青子様をこちらにお連れした僕らが警戒を怠ったと仰有りたいのですか」
「狐の鼻より狼の鼻が利いただけのこと。そのように無闇に突っ掛かるものではないよ。まるで己の罪を被せようと躍起になっているように思われる」
「なっ……!」
言葉を詰まらせた丹思様。それを合図に、今度こそ千茜様が神殿から出ていく。
お二人は仲が悪いのだろうか。千茜様は丹思様のことを話された時、そんな風には思えなかったのだけれど。
「青子様……ああ、お怪我をなされているではありませんか!」
様子を窺っていた私の元へ、足早に寄って来た丹思様が、千茜様に任されていた人を下がらせて私の腕に触れる。
「お守り出来ず、申し訳ありません。この罰は如何様にもお受け致します」
「いえ、そんな……。丹思様がご無事で良かったです」
深々と頭を下げる丹思様に慌てて告げると、顔を上げた丹思様は辛そうに目を伏せて。
「考えが、足りておりませんでした。青子様をこちらへお連れすれば、必ず接触する者がいるだろうと予測を立てていたのです。朱皇様の帰還を隠しても、何処からともなく現れた人族の噂が流れれば、確かめに来るかもしれないと」
「……?」
「神殿の前で朱皇様が倒れられていた件について、少しだけ情報が漏れていたようなのです。予め帰還なさる日程が定められていた訳ではありませんから、その姿を目にした者が僕たち以外にもいたようで。それからすぐに、あれは朱皇様ではなく別の黒狼族の青年だったという噂を流したのですが、後ろ暗い者にはそれで目眩ましとなる筈がありません。ですから、青子様の件を耳に入れれば、自分の目で確かめようとするだろうと考えたのです。それがまさか、このようなことになるとは……」
しゅんと耳が垂れて、尻尾もすっかり下がってしまっている。
私は囮として使われたような気がするけれど、そんなことはどうでも良かった。犯人探しをする為なら仕方ないと思うから。
「私の血を持って行ったんです。貴重だとかって。それは何かの手掛かりになりませんか?」
少女のような愛らしい顔を悲しげに曇らされるのは見ていて辛い。
生捕りのことも合わせて話してみると、丹思様は暫く考える様子を見せてから一つ頷き。
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