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第伍話
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耳鳴りを起こす程の沈黙があった。
朱皇皇子は食い入るように丹思様を見つめ、丹思様はその視線に耐えるように表情を強張らせている。蒼慈さんの瞳もヒタと丹思様に定められているけれど、皇子のような動揺はなく猜疑的なものもなく落ち着いたものであるのが不思議だ。玖涅くんは相変わらず身動ぎ一つしない程に緊張し続けているが、耳が怯えたように伏せて震えている。震えは尻尾にまで及んでいるようで、表情はといえば泣きそうになるのを必死で堪えているようだった。
こうして周囲の様子を窺っている私もまた蒼慈さんのように落ち着いている、ということではなく、不安で堪らなかったからだ。
皇子を異世界へと飛ばした一件に関わりがあると打ち明けた丹思様。異界への扉を出現させるのに必要なのは、相手を憎み恨むこと。この世界には必要がないのだと、殺めるよりも残酷な方法として用いる呪い。だとすると、いつも皇子を気に掛け、好意に溢れた態度で接するあの姿は何だったのか。
……?
あれ? と思った。
それからすぐに、丹思様に抱いた猜疑がサァッと引いていく。
私が気付いたことなどとっくに気付いていたに違いない。だから蒼慈さんの様子におかしな点など何もないのだ。最初に気付いて欲しい皇子は、当事者であるが故に戸惑いが目隠ししてしまっているだけで。話をちゃんと聞いていれば、丹思様の皇子への思いがそこに見えている。
「朱皇殿下へのその企みは、阻止出来ぬものだったのですね」
蒼慈さんが敢えて口にしたのは、皇子の為だったのだろう。
「丹思様が知り得た時には、もう差し迫った状態にあった。そんな中で打てる手段が標の付与であった、と」
「……はい」
「それは、簡単に出来るものなのですか?」
「――」
丹思様の表情に動揺した色が窺えた。
皇子を気にするように視線を送り、自分を見つめたままの真っ直ぐな眼差しとかち合って、弱々しく伏せられる。
「丹思」
皇子からの呼び掛けは、優しい中に僅かな悲しみが感じ取れた。
「俺が青子のいた世界へ放り出される前に、お前は異界への扉の話をしてくれたよな。その時、標に関してはそれがあれば戻れるとだけ伝えた。俺は、扉がそれを定め、何らかの方法で知り得ることが可能であるのだと思っていた。標とは道具であり、常に携帯していた物か、異世界でも入手が可能な物であると。だが、そうではなかった。標とは縁を繋ぐ力であったのだろう? お前の力がなければ、俺は青子と出会うことは出来なかったかもしれん。否、きっとそうだった。俺は、お前に守られていたんだな」
「朱皇様……僕は……」
「その為に、お前は何を犠牲にしたんだ」
「っ」
労るような口調から一転して、厳しい口調になる皇子。
丹思様は言葉を詰まらせたように喉を鳴らす。
その後ろに控えている妖狐族の二人が、痛わしい姿を見るような目で丹思様を見下ろしている。
「何を代償に、俺を助けた?」
「僕の……寿命を」
「!」
ガタリ、と椅子を倒す勢いで皇子が立ち上がる。途端に酷い立ち眩みを起こしたようで、丹思様の肩を掴もうとしたのか、突こうとしたのか、伸ばした手は空振りとなり、倒れそうになる気配に、こちらも咄嗟に立ち上りかけたが、それを制した丹思様が支えた。
その胸倉を強く掴んで引っ張った皇子は、苦しげな眼差しで丹思様を睨む。
「何故そんな馬鹿な真似をした? お前を犠牲にして、俺が喜ぶと思ったのか!」
「僕は、混じり物です」
叫ぶ皇子に対し、丹思様の声は穏やかだった。
「長命である妖狐族の血を半分引いていますから、その僕の命で足りるならば、どれだけ奪われても――今この時までであっても構わないのです。朱皇様さえ、ご無事ならば」
「俺のことなどより、お前自身をもっと大切にしろ。どれだけ寿命が長かろうが、お前は一人しかいないのだ。それに、いくら妖狐族の血を引いていようと、お前が長命かどうか分からんだろう!」
「それでも、朱皇様がいらっしゃらない世界など、僕には何の意味もない……生きる意味などないのです」
「――――」
どうして、そこまで。と思う。自分の命と引き換えに誰かを救おうなんて、容易に出来るものじゃない。
「それに」
脱力したように項垂れた皇子を椅子に座らせ、丹思様が続ける。
「標を付与しただけでは代償は必要ありません。失敗した時に、支払うことになるのです。僕がこうして何事もなく、恙無く生きていられるのは、青子様のお陰なのです」
――え?
「先程、朱皇様は僕が青子様との縁を繋いだと仰有いました。確かにそういうことになるのだと思います。ですが、人の心に影響を及ぼすものではありません。青子様の朱皇様に対する思いは、純粋に青子様ご本人のもの。ですから青子様は朱皇様だけでなく、僕にとっての恩人でもあるのですよ」
私へと慈しむような微笑みを向ける丹思様。
恩人などと持ち上げられるのは畏れ多い気がするから、遠慮したくて頭を振る。
「恩人、というよりも、犠牲者ではないかと、わたしは思いますがね」
蒼慈さんが溜め息をつきながら言うと、丹思様だけでなく皇子も妖狐族の青年たちも表情を曇らせてしまった。
「確かに、それは否めません。重々承知しております。だからこそ、僕らは青子様のお世話をさせて頂くことを決めたのです」
――だから、だったんだ。
これまでずっと不思議だったことが解決したように思えた。
どうして私にここまで親切にしてくれるのだろうかと、気になって仕方なかった。皇子の恩人だからとか、異世界から来て身寄りのない私を哀れんだからだとか、尤もらしい理由は考えられたけど、それにしては待遇が良すぎるような気がして。
その裏にあった理由は、罪悪感だったのだろう。
皇子に掛けられた異世界への追放という呪い。それを解く標となったことで、異世界へ拐われたも同然の私。まるで呪いを肩代わりしたかのようだ。
「その、青子さんのことなのですが」
蒼慈さんのその言葉に、まだ私の話が続くのかと背筋を伸ばす。
「警護の者をつけることになりました」
「――どういうことです? 青子様には僕らがついております。なのに」
「だから、ですよ」
「だから、とは?」
「千茜殿下は丹思様をお疑いになられております」
「なっ……!」
丹思様と皇子の双眸が見開かれる。
愕然とする皇子と、憤りに目元を赤らめる丹思様。
蒼慈さんは涼しげな表情で二人を眺め、片側の口角を上げた意地の悪い笑みを浮かべる。
「丹思様は千茜殿下をお疑いになられていらっしゃるのでしょう?」
「何故兄上が丹思を疑う? 何故丹思が兄上を疑うのだ」
ただ屋敷にいることだけを強いられ、退屈と儘ならない身体と眠気にのみ支配された日々を送らされ続けていた皇子にとって、自分だけが何も知らず、それでも状況が刻一刻と変わっているようであることについていけないことが苦痛だったに違いない。その上で皇子が信頼する者同士が相手に疑念を抱いているというのは辛い衝撃だったろう。
悲しげに瞳を揺らし、自身を責めるように眉間にシワを寄せて目を閉じる。テーブルの上で握られた拳は僅かに震えを帯びていた。そして。
「丹思。もう薬は要らん。俺がこのように怠惰に過ごしているのは、既に体調不良とは別のものであるのだろう? 食事に混ぜるのもなしだ。俺自身が動かねば――第二皇子などという身分を捨てても足りぬ程に甘やかされている状況で、ただ待ってなどいられない。そんな俺では、お前たちに守って貰える価値もない」
毅然とした表情で告げる皇子。
丹思様や妖狐族の青年たちがハッとしたようだったのは、食事にまで薬を混ぜて完全に皇子の動きを封じていたからだろう。食事を抜いては体力は戻らない。薬の副作用がなくても万全ではなくなってしまうから。
「お待ち下さい」
その決意を遮る形を取ったのは、蒼慈さんだった。
「先程、青子さんに警護をつけると申しましたが、本当の狙いは皆様の監視です」
「何っ?」
「丹思様が千茜殿下をお疑いになられているのは、陛下自らが朱皇殿下を継承者にと望んでいらっしゃるにもかかわらず、千茜殿下を皇帝の座に据えることを希望する者たちの存在があるからなのでしょう。勿論、千茜殿下ご自身もそれを望んでおられる。故に朱皇殿下を――最終手段として亡き者とすることも有り得ない話ではないと」
「……」
「千茜殿下が何故丹思様をお疑いになられているのか。それは」と妖狐族の青年たちを一瞥して「丹思様が数多の妖狐族を束ね、その能力を使役することが可能だから、なのです」
「僕は――」
「ええ、勿論、丹思様が朱皇殿下を害される筈がありません。下手に動き回られぬように一服盛る程度のものでしょう。ですが、朱皇殿下が異世界へ送られ、無事に戻られたこと。その間に紅世殿下が亡くなられたこと。青子さんが拐かされかけた際に、丹思様を含め、誰もお守り出来なかったこと。それらを併せて、丹思様が裏で糸を引いているか、その者に加担しているのではないかと考えられているようなのです」
「そんなものは言い掛かりではありませんか! まさか、紅世様を殺害するにあたって、朱皇様に嫌疑が掛けられないように、僕が異界への扉を出現させたとでも? その様な理由で出現させられるものではないというのに! それに、青子様のことは本当に、僕の力不足で……申し訳なく思っています……」
「それだけではありません。神殿で捕らえられた者は狼族でしたが、何も知らされていない下っ端なようなのです。千茜殿下の親衛隊の方々は、逃した者たちは妖狐族だったのではないかと口にしています」
「――っ」
「わたしたち狼族でも、全てが等しい考えを持っている訳ではありません。ですから、例え妖狐族であっても、そのことと丹思様を結びつけてしまうのは乱暴過ぎる判断です。ですから、千茜殿下から監視を命じられましたが、取り敢えずそれを取り繕う形として、ここにいる玖涅を青子さんのお傍に控えさせて頂きます」
名を呼ばれて、それぞれから視線を向けられた玖涅くんが、宙に目線を定めたままぎこちなく返事をする。尻尾が内側に折れて綺麗に撫で付けられていた筈の毛並みはバサバサになってしまっていた。
「その者に青子の護衛などつとまるとは思えんが……わざわざ事情を話したからには何か目的があるのか?」
「ええ。朱皇殿下にはもう暫く窮屈な思いをして頂くとして、丹思様には妖狐族を動かして頂きたく」
「どのような働きをさせよと?」
「朋澪という者をお調べ頂きたいのです。千茜殿下の側室候補となっている白狼族の女性を」
それはまるで、その女性が側室候補であるが故に必要な身辺調査の依頼のようだったのだけど、本当にそうだったならば、わざわざ丹思様に依頼しなくても、そういったものを専門にしている――していなくても――役人で十分だった筈だ。
今までの話の流れから、その女性こそが疑うべき対象であると告げられたも同然であると考えたからか、丹思様が承諾の意を示すと、妖狐族の青年たちは一礼して出て行く。
朱皇皇子は……何を考えているのだろう。気怠げに窓の外を眺める姿は、意気込んだ気持ちを無理矢理削がれて、気落ちしているように見えた。
朱皇皇子は食い入るように丹思様を見つめ、丹思様はその視線に耐えるように表情を強張らせている。蒼慈さんの瞳もヒタと丹思様に定められているけれど、皇子のような動揺はなく猜疑的なものもなく落ち着いたものであるのが不思議だ。玖涅くんは相変わらず身動ぎ一つしない程に緊張し続けているが、耳が怯えたように伏せて震えている。震えは尻尾にまで及んでいるようで、表情はといえば泣きそうになるのを必死で堪えているようだった。
こうして周囲の様子を窺っている私もまた蒼慈さんのように落ち着いている、ということではなく、不安で堪らなかったからだ。
皇子を異世界へと飛ばした一件に関わりがあると打ち明けた丹思様。異界への扉を出現させるのに必要なのは、相手を憎み恨むこと。この世界には必要がないのだと、殺めるよりも残酷な方法として用いる呪い。だとすると、いつも皇子を気に掛け、好意に溢れた態度で接するあの姿は何だったのか。
……?
あれ? と思った。
それからすぐに、丹思様に抱いた猜疑がサァッと引いていく。
私が気付いたことなどとっくに気付いていたに違いない。だから蒼慈さんの様子におかしな点など何もないのだ。最初に気付いて欲しい皇子は、当事者であるが故に戸惑いが目隠ししてしまっているだけで。話をちゃんと聞いていれば、丹思様の皇子への思いがそこに見えている。
「朱皇殿下へのその企みは、阻止出来ぬものだったのですね」
蒼慈さんが敢えて口にしたのは、皇子の為だったのだろう。
「丹思様が知り得た時には、もう差し迫った状態にあった。そんな中で打てる手段が標の付与であった、と」
「……はい」
「それは、簡単に出来るものなのですか?」
「――」
丹思様の表情に動揺した色が窺えた。
皇子を気にするように視線を送り、自分を見つめたままの真っ直ぐな眼差しとかち合って、弱々しく伏せられる。
「丹思」
皇子からの呼び掛けは、優しい中に僅かな悲しみが感じ取れた。
「俺が青子のいた世界へ放り出される前に、お前は異界への扉の話をしてくれたよな。その時、標に関してはそれがあれば戻れるとだけ伝えた。俺は、扉がそれを定め、何らかの方法で知り得ることが可能であるのだと思っていた。標とは道具であり、常に携帯していた物か、異世界でも入手が可能な物であると。だが、そうではなかった。標とは縁を繋ぐ力であったのだろう? お前の力がなければ、俺は青子と出会うことは出来なかったかもしれん。否、きっとそうだった。俺は、お前に守られていたんだな」
「朱皇様……僕は……」
「その為に、お前は何を犠牲にしたんだ」
「っ」
労るような口調から一転して、厳しい口調になる皇子。
丹思様は言葉を詰まらせたように喉を鳴らす。
その後ろに控えている妖狐族の二人が、痛わしい姿を見るような目で丹思様を見下ろしている。
「何を代償に、俺を助けた?」
「僕の……寿命を」
「!」
ガタリ、と椅子を倒す勢いで皇子が立ち上がる。途端に酷い立ち眩みを起こしたようで、丹思様の肩を掴もうとしたのか、突こうとしたのか、伸ばした手は空振りとなり、倒れそうになる気配に、こちらも咄嗟に立ち上りかけたが、それを制した丹思様が支えた。
その胸倉を強く掴んで引っ張った皇子は、苦しげな眼差しで丹思様を睨む。
「何故そんな馬鹿な真似をした? お前を犠牲にして、俺が喜ぶと思ったのか!」
「僕は、混じり物です」
叫ぶ皇子に対し、丹思様の声は穏やかだった。
「長命である妖狐族の血を半分引いていますから、その僕の命で足りるならば、どれだけ奪われても――今この時までであっても構わないのです。朱皇様さえ、ご無事ならば」
「俺のことなどより、お前自身をもっと大切にしろ。どれだけ寿命が長かろうが、お前は一人しかいないのだ。それに、いくら妖狐族の血を引いていようと、お前が長命かどうか分からんだろう!」
「それでも、朱皇様がいらっしゃらない世界など、僕には何の意味もない……生きる意味などないのです」
「――――」
どうして、そこまで。と思う。自分の命と引き換えに誰かを救おうなんて、容易に出来るものじゃない。
「それに」
脱力したように項垂れた皇子を椅子に座らせ、丹思様が続ける。
「標を付与しただけでは代償は必要ありません。失敗した時に、支払うことになるのです。僕がこうして何事もなく、恙無く生きていられるのは、青子様のお陰なのです」
――え?
「先程、朱皇様は僕が青子様との縁を繋いだと仰有いました。確かにそういうことになるのだと思います。ですが、人の心に影響を及ぼすものではありません。青子様の朱皇様に対する思いは、純粋に青子様ご本人のもの。ですから青子様は朱皇様だけでなく、僕にとっての恩人でもあるのですよ」
私へと慈しむような微笑みを向ける丹思様。
恩人などと持ち上げられるのは畏れ多い気がするから、遠慮したくて頭を振る。
「恩人、というよりも、犠牲者ではないかと、わたしは思いますがね」
蒼慈さんが溜め息をつきながら言うと、丹思様だけでなく皇子も妖狐族の青年たちも表情を曇らせてしまった。
「確かに、それは否めません。重々承知しております。だからこそ、僕らは青子様のお世話をさせて頂くことを決めたのです」
――だから、だったんだ。
これまでずっと不思議だったことが解決したように思えた。
どうして私にここまで親切にしてくれるのだろうかと、気になって仕方なかった。皇子の恩人だからとか、異世界から来て身寄りのない私を哀れんだからだとか、尤もらしい理由は考えられたけど、それにしては待遇が良すぎるような気がして。
その裏にあった理由は、罪悪感だったのだろう。
皇子に掛けられた異世界への追放という呪い。それを解く標となったことで、異世界へ拐われたも同然の私。まるで呪いを肩代わりしたかのようだ。
「その、青子さんのことなのですが」
蒼慈さんのその言葉に、まだ私の話が続くのかと背筋を伸ばす。
「警護の者をつけることになりました」
「――どういうことです? 青子様には僕らがついております。なのに」
「だから、ですよ」
「だから、とは?」
「千茜殿下は丹思様をお疑いになられております」
「なっ……!」
丹思様と皇子の双眸が見開かれる。
愕然とする皇子と、憤りに目元を赤らめる丹思様。
蒼慈さんは涼しげな表情で二人を眺め、片側の口角を上げた意地の悪い笑みを浮かべる。
「丹思様は千茜殿下をお疑いになられていらっしゃるのでしょう?」
「何故兄上が丹思を疑う? 何故丹思が兄上を疑うのだ」
ただ屋敷にいることだけを強いられ、退屈と儘ならない身体と眠気にのみ支配された日々を送らされ続けていた皇子にとって、自分だけが何も知らず、それでも状況が刻一刻と変わっているようであることについていけないことが苦痛だったに違いない。その上で皇子が信頼する者同士が相手に疑念を抱いているというのは辛い衝撃だったろう。
悲しげに瞳を揺らし、自身を責めるように眉間にシワを寄せて目を閉じる。テーブルの上で握られた拳は僅かに震えを帯びていた。そして。
「丹思。もう薬は要らん。俺がこのように怠惰に過ごしているのは、既に体調不良とは別のものであるのだろう? 食事に混ぜるのもなしだ。俺自身が動かねば――第二皇子などという身分を捨てても足りぬ程に甘やかされている状況で、ただ待ってなどいられない。そんな俺では、お前たちに守って貰える価値もない」
毅然とした表情で告げる皇子。
丹思様や妖狐族の青年たちがハッとしたようだったのは、食事にまで薬を混ぜて完全に皇子の動きを封じていたからだろう。食事を抜いては体力は戻らない。薬の副作用がなくても万全ではなくなってしまうから。
「お待ち下さい」
その決意を遮る形を取ったのは、蒼慈さんだった。
「先程、青子さんに警護をつけると申しましたが、本当の狙いは皆様の監視です」
「何っ?」
「丹思様が千茜殿下をお疑いになられているのは、陛下自らが朱皇殿下を継承者にと望んでいらっしゃるにもかかわらず、千茜殿下を皇帝の座に据えることを希望する者たちの存在があるからなのでしょう。勿論、千茜殿下ご自身もそれを望んでおられる。故に朱皇殿下を――最終手段として亡き者とすることも有り得ない話ではないと」
「……」
「千茜殿下が何故丹思様をお疑いになられているのか。それは」と妖狐族の青年たちを一瞥して「丹思様が数多の妖狐族を束ね、その能力を使役することが可能だから、なのです」
「僕は――」
「ええ、勿論、丹思様が朱皇殿下を害される筈がありません。下手に動き回られぬように一服盛る程度のものでしょう。ですが、朱皇殿下が異世界へ送られ、無事に戻られたこと。その間に紅世殿下が亡くなられたこと。青子さんが拐かされかけた際に、丹思様を含め、誰もお守り出来なかったこと。それらを併せて、丹思様が裏で糸を引いているか、その者に加担しているのではないかと考えられているようなのです」
「そんなものは言い掛かりではありませんか! まさか、紅世様を殺害するにあたって、朱皇様に嫌疑が掛けられないように、僕が異界への扉を出現させたとでも? その様な理由で出現させられるものではないというのに! それに、青子様のことは本当に、僕の力不足で……申し訳なく思っています……」
「それだけではありません。神殿で捕らえられた者は狼族でしたが、何も知らされていない下っ端なようなのです。千茜殿下の親衛隊の方々は、逃した者たちは妖狐族だったのではないかと口にしています」
「――っ」
「わたしたち狼族でも、全てが等しい考えを持っている訳ではありません。ですから、例え妖狐族であっても、そのことと丹思様を結びつけてしまうのは乱暴過ぎる判断です。ですから、千茜殿下から監視を命じられましたが、取り敢えずそれを取り繕う形として、ここにいる玖涅を青子さんのお傍に控えさせて頂きます」
名を呼ばれて、それぞれから視線を向けられた玖涅くんが、宙に目線を定めたままぎこちなく返事をする。尻尾が内側に折れて綺麗に撫で付けられていた筈の毛並みはバサバサになってしまっていた。
「その者に青子の護衛などつとまるとは思えんが……わざわざ事情を話したからには何か目的があるのか?」
「ええ。朱皇殿下にはもう暫く窮屈な思いをして頂くとして、丹思様には妖狐族を動かして頂きたく」
「どのような働きをさせよと?」
「朋澪という者をお調べ頂きたいのです。千茜殿下の側室候補となっている白狼族の女性を」
それはまるで、その女性が側室候補であるが故に必要な身辺調査の依頼のようだったのだけど、本当にそうだったならば、わざわざ丹思様に依頼しなくても、そういったものを専門にしている――していなくても――役人で十分だった筈だ。
今までの話の流れから、その女性こそが疑うべき対象であると告げられたも同然であると考えたからか、丹思様が承諾の意を示すと、妖狐族の青年たちは一礼して出て行く。
朱皇皇子は……何を考えているのだろう。気怠げに窓の外を眺める姿は、意気込んだ気持ちを無理矢理削がれて、気落ちしているように見えた。
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