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第陸話
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しおりを挟む「ふぅ……」
一人になって息をつく。
ここは千茜様のお屋敷の一室であるようだけれど、あまり帰ってくることはないらしい。お城の方の自室にすらあまり立ち寄らないくらい、多忙であるそうだ。
そんな中で意識を手放したとはいえ、丸一日も眠りこけていた私が目覚めた時にいてくれていたのは、私を揶揄って遊ぶ為と(そうご本人が告白)状況説明の為と、そして多分、私の為だろう。
これからここで暫く暮らしていく以上、主不在のまま理杜くんにあれこれ説明して貰ったところで、私が不安を覚えたり、不満に思って逃げ出して捕まってしまうことがないように。
この捕まるというのは、側室になることを拒んだとしてのものだけじゃなく、私を拐おうとしたり丹思様のお屋敷を襲撃して来た者たちからのものも含まれている。
千茜様は、可愛い弟君であられる朱皇皇子に嫌がらせをしようと、敢えてこの混乱した状況の中で私を側室に迎え入れようとしたらしいのだけど、理由は他にもあった。
人族である私の耳がお気に召したようで、自分でも引いてしまうくらいに酷い断り方をしたにもかかわらず、そのことにもどうやら好感を与えてしまったようなのだけど、それは気の迷いだろうから忘れることにして。
一番は、私の保護だった。
丹思様のお屋敷が酷い有り様になっていることから、私の身の置き所を確保しなければならず。それもセキュリティ面が万全でなければならないと考えられたらしい。そして肝心なのは「妖狐の出入りがないこと」で、そうなると千茜様のお屋敷がよい、ということになったのだとか。
だったら普通に、私を匿ってくれる為だと言えば済むのだろうに、側室だなんてややこしいことにしてしまったのは、「千茜様の側室」という身分を与えることで、相手が迂闊に手を出すことが出来ないようにするのが目的だったらしい。
仮に私が皇族以外の誰かを殺めてしまうことがあったとしても、千茜様の威光によって裁かれることはない。といった恐ろしい例えをして下さったけれど、それはそれで駄目だと思う。
逆に、私に対して不敬を働くと、場合によってはとんでもなく惨い刑罰が与えられるのだとか。
けれど、紅世様が暗殺された件がある以上、これは気休めでしかないとも言っていた。
それに、と付け加えられたのは、丹思様の疑いの目が千茜様に向けられているから。ということだった。
朱皇皇子ならば、千茜様の意向を素直に受け入れて従っただろうけれど、丹思様はそうはいかない。正攻法では頑なに私を引き渡そうとはしなかっただろう。そして、同じように厄介なことになることが予測出来てしまうのが、縛罪府将軍の蒼慈さんの存在だという。
「あれも、青子を気に入っているようだからね」
なんて楽しげでもあり、困ってもいるといった表情を浮かべられた。
確かに蒼慈さんも千茜様にあまり良い感情は持っていない。朱皇皇子派であることもそうだけど、何より紅玉のような瞳を嫌悪しているようだからだ。
だから、私を気に入っているとかいないとかの問題じゃないのに、茶化すように言ったのは、表面的に見ると蒼慈さんは中立している意思を示しているからかもしれない。
それとも単純に、黒狼族と白狼族との、埋めきれない溝の所為で、お互いに線を引き合っているのかもしれなかった。
「一時的なものに終わらせるつもりはないのだよ」
「?」
「青子にはわたしとの子を産んで貰うからね」
「えっ!?」
「どちらの耳を持って生まれてくるのか、楽しみだ」
「産みません!」
冗談ともつかない千茜様の言葉に、私は悲鳴のような声をあげるしかなかった。
「不遜な態度を取られても、それなりに好意がある場合には、然程気にならぬものだね」
最後にそう言い置いて出て行かれた千茜様に、やはり私は皇族相手に随分失礼があったのだと反省する。
朱皇皇子や丹思様は、逆に私が他人行儀過ぎると言って気安い感じで接してくれるから、それに相当甘えていたのだろう。特に朱皇皇子に対しては気を付けていた分、あまり喋らなくなっていたこともあって、正直なところ敬語も少々怪しいくらいだ。丹思様や蒼慈さんの元で勉強させて貰った方がいいのかもしれない。
……その前に、二人には会えるのだろうか。
ここにいることを知っていても、会いに来て貰えなければ、話すこともかなわない。
場所が変わっただけで、屋敷から出られないという条件は変わっていない。必要時に誰かが一緒なら構わないというのも同じで。
ずっと引きこもりでいるだけなんて、気が滅入ってしまいそう。
理杜くんはいい子だろうけど、男の子だし。
「……」
駄目だ。泣きそう。
もういないのに、章杏さんの姿を求めている。
ふわふわの尻尾を揺らしながら、私の前を歩く章杏さん。彼女の命を奪ったのは、誰?
「絶対自殺じゃない。有り得ない有り得ない有り得ない……っ……」
ソファの上で膝を抱えて蹲る。
堪える必要もないから、流れるままに涙を放置した。
丹思様を裏切るような真似だけはしない。誰かが彼女を唆したのなら、きっとその人が章杏さんを殺したんだ。
耳も尻尾も顔までもを黒く染めた妖狐族の人。そうすることに何の意図があるのだろう。
朋澪という白狼族の女性は、本当に事件と関わりがあるのだろうか。
「……?」
確か朋澪さんは千茜様のお気に入りの側室候補だ。もしも彼女が関与しているなら、私がここにいると知ったら何かしら行動を起こすんじゃ……。
そんな風に彼女のことを思い浮かべたことが虫の報せというものだったのか。
「お待ち下さい! 本当に困ります。青子様はどなたともお会いになりませんっ」
廊下から、理杜くんのものと思われる慌てた声が響いて来たかと思うと。
「ごきげんよう。子猫ちゃん」
「!」
断りもなくドアが開かれ、こちらへと進んで来た女性が私を視界に捉えると、腕を組んで挑発的な笑みを浮かべながら言う。
「も、申し訳ありません、青子様っ。お止めしたのですが力及ばず……」
謝ってくれている理杜くんに、応えることは出来なかった。
秀麗なる白狼族ならば見慣れている筈だった。けれど男女の差で違いがあるからか、息を呑む程の美貌に目が離せない。
私のような貧相な顔立ちの人間が、存在してていいのだろうか。なんて鬱屈した気分にさせられる。
「あら。挨拶も出来ない程、知能が低くていらっしゃるのかしら?」
豊かな胸に掛かる波打つ白銀の髪を指に巻き付けながら、蒼天の色をした瞳を細められ、私はよろめきながら立ち上がって挨拶を返す。それから。
「断りもなく部屋へ侵入なさるという非常識さを認識されていらっしゃらない方がいるとは思いませんでしたので、呆気に取られておりました」
売られたケンカを買うように、そんな風に言い返してしまったのは、先程まで考えていたことから、まるで彼女が章杏さんの仇のような錯覚をしてしまったからだろう。
「ふふっ」
しかし彼女は怒ったりムッとしたりすることもなく、親しげとすら思える微笑みを浮かべて、私を抱き締めた。
「泣いてらしたのね? とても悪いことをしてしまったと反省するわ。わたくし、遠慮というものを知らずに育ったものですから、つい気分のままに踏み込んでしまいますの」
やや掠れたハスキーボイスが艶かしい。
この美貌にスタイルに美声となれば、男の人が夢中になりそうだ。
抱き締められたことで落ち着いてきたらしい。涙の跡を拭われて、さっきの暴言と合わせて恥ずかしくなり、ふいっと顔を背けてしまう。
「嫌われてしまったかしら?」
「……そういう訳では……」
「朋澪様、青子様から離れて下さいっ」
どう言い繕えばいいだろうかと悩んだところで、理杜くんが私と朋澪さんの間に文字通り割って入った。
そして、私の腰に両腕を回してがっしりと抱きつきながら、朋澪さんを見上げて吠えるように続ける。
「青子様が千茜殿下の『一番』なんですから、ここに滞在することすら許されていないあなたは出て行って下さい!」
その理杜くんの言葉を合図としたように、いつの間に来ていたのか、黒い制服姿の黒狼族の人が三人現れ、朋澪さんを引っ張っていく。
チラリと男性の袖口にあるカフスボタンを見れば、千茜様の親衛隊を表す紋章(「亘」という字のような並びで、上下に向きを変えた剣が、真ん中には鋭い爪跡を刻んだ盾が描かれたもの)があった。千茜様のものだから、お屋敷の警護も任されているのだろう。
「触らないでちょうだい。わたくしは殿下の側室になったっていう子猫ちゃんを見に来ただけなのよ? 可愛いからって食べたりしないわよ!」
遠ざかっていく声に脱力して息をついた私は、まだ耳に届いていた言葉にドキリとさせられる。
食べるって何ですか。比喩的なものでも怖いからやめて下さい。
心の中でお願いすると、まだがっしりと抱きついたままの理杜くんの頭を撫でる。
「ありがとう、理杜くん」
「い、いえっ。あの、ふぁあっ、申し訳ありません!!」
状況を理解したらしく、顔を真っ赤にさせて一気に部屋の隅まで距離を取る理杜くんに、彼の頭を撫でていた手が残念がる。
「で、では僕はまた後程っ」
そう言って逃げるように去ってしまって、また一人になった私はといえば。
「二重人格だったりするのかな……」
朋澪さんの突然の訪問より、本日自分の発した、これまでの自分では信じられないような言葉の数々に、かなり本気でそう考えて頭を抱えていた。
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