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第漆話
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しおりを挟む「青子様……青子様」
章杏さんが私を呼んでいる。
とうとう幻聴まで聞こえるようになってしまったようだ。
「幻聴などではございませんよ、青子様」
「!」
くい、と手を引かれて目を開ける。
「ちゃんと見えておりますか? わたしがお分かりになりますか?」
「――っ」
何処とも分からない暗いところに、私は立っていた。
その目の前に、会いたかった少女の姿が浮かび上がって見える。
妖狐族の少女たちは、パッと見ただけでは見分けがつきにくいまでに似ている顔立ちをしているけれど、章杏さんのことはすぐに分かった。それくらい一緒にいたから。
「泣かないで下さい。それはとても嬉しいことなのですが、同じくらいに悲しく辛いことです」
言われて、頷きながら涙を拭う。けれど、なかなか止まってくれない。
「困りましたね。わたしにはあまり時間が残されておりませんので、これではお伝えしたいことをどれだけお伝え出来るか不安です」
「時間……?」
「はい。この世界の者には、特殊な能力が備わっております。その力に目覚めるか目覚めないかは本人次第なのですが」
章杏さんの手が私を扇ぐように揺れると、涙が止まり、少し気分がスッキリする。
「まさか自分がこのようなことになってから目覚める能力を持っていたとは、夢にも思っておりませんでした。けれど、そのお陰で青子様とお話出来るのですから、喜ぶべきことですね」
「丹思様のところにも行かれるんですか?」
特殊な能力というのは、千茜様の蠱惑的な声とか、朱皇皇子の語学力とか、丹思様の真実を読み取る力とか、蒼慈さんの涙の匂いで真偽が分かるとかいう能力のことだろう。章杏さんのは夢枕に立つことかな、と考えていたから、もしもそうなら絶対に丹思様の元に向かうに違いないと思った。或いは、私で最後になるのかな?
「丹思様の元には行けません。お会いしたかったですけれど、こうしてお話出来るのはお一人だけですので」
「えっ? どうして私のところに……?」
「これから起こることはご本人が知っておくべきと判断致しましたのと、青子様のお優しさに触れることが出来たからです」
「……」
頭を振る。
全然優しくなんかない。頼って、優しくして貰っていたのは私の方だ。
「青子様たちがお考えの通り、わたしは自害などしておりません。何者かに火を投げつけられ、生きながら焼かれて命を落としました」
「っっ!」
章杏さんの告白に、ボロッとまた涙がこぼれ落ちる。
「もっと助けを求めるものだと思っておりました。まだ生きたい。やりたいことがたくさんあるのだから、と。早く楽にさせて欲しいと、死をも厭わない気持ちにさせられるとは、本当、思いもしませんでした」
語尾が僅かに震えた。
それでも章杏さんは泣き出すことはない。
しゅんと耳と尻尾が垂れ下がる。
今までそうしたことはなかったけれど、彼女の頭に手が伸びそうになったのは、理杜くんの頭を撫でたのと同じ感覚になっていたからだろう。
けれどそれはかなわず、章杏さんがくるりと向きを変えて私を手招きした。
「さあ、こちらに。これから見ていただくものは、今起きていること、或いは起きようとしている僅か先のことです。青子様の元に白狼族の方が乗り込まれた意図が判明するでしょう」
どういうこと? と訊ねるより早く景色が変わった。
急に視界が明るくなったものだから、手で庇を作って目を光から守る。
そうして慣れて来ると、章杏さんの姿を見失ってしまっていた。
「えっ?」
代わりに私の前に現れたのは、後ろ姿ではあったけれど、服装や髪型などから――獣の耳や尻尾がないことが一番の決め手だ――私そっくりな人だった。
そっくりな人、と言っていいか分からない。私自身を見ているのかもしれなかった。だって章杏さんが現れてくれた時点で、既に夢を見ているのだと感じていたから、私の前に私が現れてもそう不思議なことでもない。
「ここは……」
いつだったか、蒼慈さんに連れられて訪れたフェンリル城のようだった。
衛兵と思わしき人が訝るように、前を歩く私を見るけれど、勝手に奥に入ってしまっていってるのに、制止の声は掛からない。そして私はどうやらその視界にも入っていないようで、気付いても貰えなかった。
やっぱり夢だから都合がよく進めるのだ。と納得して、小走りで前を歩く私の先に回ってみる。
「――?」
ざわり、と胸に痺れのような不快感が宿る。
私が、泣いていた。
衛兵の人の視線の意味が分かったけれど、どうして泣いてるのかは私自身にも分からない。
……そうじゃない。私が不快に感じたのは、私が泣いているからじゃなくて、それが嘘泣きだと分かったからだ。
私自身だから分かるというものでもなく、洞察力が優れている人なら、簡単に見破られる程度のものだろう。
どうしてそんな真似を?
不思議に思いながらも、問い質す訳にもいかず。ただその行方を追うだけ。
「千茜殿下はこちらにおいででしょうか?」
私ではない「私」が、目的の部屋に到着したらしく、ドアの前で涙を乱暴に拭うと、掠れた声で中へと訊ねる。
「入りたまえ」
声が漏れて聞こえたのは、ドアが少し開いていたからだった。
千茜様と初めてお会いした時に来た、執務室だ。忙しいようだから、ここにいるかどうかも悩むところなのに、あらかじめ誰かに聞いていたのだろうか。
それより、一度来ただけでここまで、それこそ誰かに訊ねなければ迷いそうなのに、そんな様子もなく来れたなんて、私ってもしかしてスゴい?
とか考えている場合ではなかった。「私」が室内に入ってしまうと、今度はきっちりとドアが閉められてしまう。
あわあわしながらそっと開けてみようかと、ドアノブを掴もうとした手が……。
「!」
なんてこと。何度やっても掴めず、すり抜けてしまう。
さすが夢。ということは、迷わずここまで来れたのも夢だからですね。そうですよね。
先程の自画自賛に恥ずかしくなりながら、思いきってドアに体当たりしてみると、室内に侵入成功した。
……だったらどうして床の上を歩けているんだろう。沈んだりしないのかな。
またどうでもいいことを考えていると。
「あら、子猫ちゃん。どうなさったの? こんなところまで来るなんて」
室内に、千茜様だけでなく朋澪さんもいたようで、二人の視線を真っ向から受けた「私」が怯えたように身を震わせた。
「殿下に、どうしてもお訊ねしたいことがあって参りました」
声までも震わせながら「私」が言う。
自分の声を聞く機会がなかったから、自身が聞いているものとの違いに違和感があるけれど、そういうものらしいから気にしないでおく。
そっちよりも更に違和感があるのは、千茜様に対する呼掛け方だった。さっきから「殿下」なんて言ってるのは、理杜くんに影響されているのだろうか。
「何かね?」
怒ったように聞こえる「私」の態度が気に障ったのか、朋澪さんの前だからなのか、千茜様の「私」を見る目が冷たく感じる。
「そちらの方が、私の部屋にまで押し掛けて来ました。聞けば、殿下の側室候補であられるとか。私を側室にして下さると言いながら、既に他方に手を伸ばしていらっしゃるなんて、酷い仕打ちではありませんか。正室でなくとも、迎え入れられた一定の期間だけは、一人に愛を傾けるものではないのですか?」
……はい?
自分の言葉(?)に自分で首を傾げる。
これはどういう状況ですか。私はいつから千茜様の側室になることを受け入れちゃったのですか。いやいや「私」の口振りからすると、さっきのことを言ってますよね? さっき。私が章杏さんに会えたこの夢に入り込む前なら……。
「落ち着いて下さい、青子様」
「っ、章杏さん」
何が何やら理解が追い付かなくて、脳に刺激を与えようと壁に頭を打ち付けようとして、通り抜けてしまうことを思い出したところで、いつの間にか隣に来てくれていた章杏さんに背中を擦られた。
「あれは青子様ではありません」
「えっ?」
どう見ても私なんだけど?
更に分からなくなった。と、考えを放棄しそうになる私の前で「私」が朋澪さんを押し退けて千茜様の腕に抱きついた。
「私は千茜殿下のものです。殿下が私のような者を選んで下さったこと、心より感謝しております。ですが、私を差し置いて他の女性と二人きりでいらっしゃるような真似は、どうかなさらないで下さい!」
……えー……。
あの人、自分で何言ってるのか分かってるのかな。なんて、ここにきてあの人を自分だと認めたくなくなった。
「ご安心を。先程も申しましたように、あの方は青子様ではありませんから」
「どういうことですか?」
何もかも知った上で焦らしているような章杏さんに目を向けたその時。
「キャッ!」
悲鳴と共に「私」が床に倒れ込む音がした。
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