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第漆話
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しおりを挟む「青子様、青子様」
「う……ん?」
身体を揺すられ、理杜くんの不安に満ちた表情を目にすると、私はハッと飛び起きた。
「おはようございます、青子様。急ぎで大変申し訳ありませんが、すぐに応接室においで下さい。千茜殿下と将軍様がお待ちです」
「わ、分かりました!」
忙しいからとあまり屋敷に戻らないと言っていた千茜様が、昨日の今日で戻られたばかりか、蒼慈さんと一緒であるということで、理杜くんの表情に納得した。
慌てて支度を(ここにいる間はずっとこうなのだろうか)済ませた為、途中であちこちにぶつかってしまい、額だの肩だの肘だの膝だのが痛い。
ゴンッとぶつける音がする度に、部屋で控えている理杜くんが悲鳴のような声をあげて安否を問う。肘の時には暫く痺れがスゴくて悶絶していたから、随分と心配をかけてしまった。
私が呼ばれたのは、朋澪さんの件だろう。
章杏さんの、結局どういうものだったのか不鮮明である能力で、夢として見ていたことが現実に起きていたことなのだとしたら、私があの現場に居合わせていた……というか覗いていたとか、野次馬的なものであったことを千茜様は知っている訳だし。
連れて行かれたことだとはいえ、申し訳ないやら恥ずかしいやら、といった気分を抱えながらも、急いで理杜くんに案内された応接室に向かう。
「よく眠る姫君だね。何か身体に不調でも与える真似をしたのかね?」
私を見て開口一番に千茜様がそう揶揄したのは、覗き見ていたことに対しての、軽い仕返しのつもりだろうか。
「い、いえ、何も……。お待たせしてすみません」
奥の席に長い脚をゆったりと組んで腰かけている千茜様と、手前の席でこちらに背を向けていて腰掛けていたところを、わざわざ立ち上がって振り向き、会釈してくれた蒼慈さんに頭を下げる。
「おや? 額をどうされました?」
「あ、これは……」
何処にいればいいのだろう、と迷ったところで、蒼慈さんがそのことに気付いてくれたのか、こちらまで来てくれたかと思うと目敏くぶつけたことを知られてしまった。
「どうしたというのだね? こちらへおいで、青子」
「あ、はい。……ぶつけただけです。目測を誤ってしまって」
その時のことを思い出して恥ずかしくなりながら、へらりと蒼慈さんに向けて笑う。
呼ばれるままに千茜様の元に行くと、腕を引いて顔を近づけさせられ、私の額の様子を確認した千茜様はククッと楽しげに喉を鳴らすように笑いながら、そっと赤くなっているのだろうところを撫でて下さった。
「急かしてすまなかったね。君がまだ慣れていないことを承知であったのに」
「い、いえ……」
昨日、身仕度の為に千茜様の前で、部屋の中を行ったり来たりしたことを言われているのだろう。
目線を逸らしながら、引かれていた腕を離されたこともあって身を引くと、二人と向かい合う形の横の席を示されて座った。
すると途端に空気が変わり「さて」と申し合わせていたように、蒼慈さんが口を開く。
「先ずは青子さんに確認したいことがあります」
「は、はい」
「昨日、城内にある千茜殿下の執務室に向かわれましたか?」
「あ……」
それは、どういう形であれ訊かれることだとは思っていた。
けれど、いざ説明しようとしても、思うように言葉が浮かばない。
「こちらが質問しますから、短いもので構いませんよ」
蒼慈さんに柔らかく促され、私は頷いてそれに甘えさせて貰うことにした。
「夢の中で、章杏さんと会って、目の前に『私』がいたのでついていきました」
「章杏というのは、先日焼死体で発見された妖狐ですね。彼女は何故、あなたの夢の中に?」
「えっと……私に降りかかる災いを払う為、だったでしょうか……」
チラリと千茜様を見ると、澄ました表情をされているが、耳がペタンと後方に倒れた上で、落ち着きなく動いている。
「それが、執務室に向かうことだったと?」
「あの、朋澪さんが私に化けていたことにびっくりしてしまって、正直あまり覚えていないんですけど、章杏さんは回避出来て満足したようなことを、言っていた気がします」
私と既成事実云々は、私自身違う気がしたし、朋澪さんが千茜様との子を宿して皇帝に、なんて話も、だったらどうして私に化ける必要があったのか、問われても答えられないものだったから、そんな風に少しだけ嘘をつく。
千茜様が私を一瞥すると、耳が立ち上がったから、余計なことを口にしなくて良かったと思う。
「昨夜、依頼がありましたので、わたしがその方と、もう一人いた妖狐を尋問致しました」
「!」
言われて、ああそうか。と思う。私が言わなくても、蒼慈さんが自らその情報を仕入れることは可能だった。
とても乱暴なものではあるけれど、あの時既に観念していたようだったから、或いは酷いことをされなくて済んだかもしれない。
「妖狐族は、特定の人物に化ける際に、その人物の血液を口にし、肌に塗るといったことをしなければならないそうです。今回、千茜殿下に見事見破られたのは、量が少なすぎたからのようですね。観察も足りなかったと、当人から聞いております」
……飲んだの? 舐めたくらいにしたとしても、私の血を?
考えただけでくらくらする。
もう凝固してしまっていた筈だから、何かで溶かしたりしたんだろうけど、それでも、そこまでしなければならなかったなんて、やっぱりおかしい。
「私である必要が、あったんでしょうか」
質問されている側だということも忘れて、つい訊ねてしまう。
「あなたでなければ、殿下の懐に入り込むことが出来ない。と、そう思ったのでしょう」
「でも血を取られたのは――」
「ええ。計画を立てるより前になりますね。用意周到と言うには少々強引なものです。まあ、はじめから化けるつもりで採取されていたならば、もっと大量の血を奪われていたでしょう」
「――」
「……大丈夫ですか?」
聞いたことを想像しただけで、全身から血が抜かれていくような錯覚を覚えて震える。
「安心したまえ」
不意に千茜様の声が耳元で聞こえた。
身を引くより早く背後からおぶさるように抱き締められてしまう。
「二度とあのような真似はさせぬよ。わたし自身が君に何も出来ないのと同じように」
「え……?」
「過保護な護りを破ったとして、苦渋を味わって貰いたかったのだが、別の護りが働いてしまったことには驚かされたのだよ」
何の話だろう?
よく分からなかったから訊ねようと思ったけれど、蒼慈さんが咳払いすると、千茜様は「これは失礼」とおどけたように言いながら私を離して席に戻った。
「彼女らに問い質しましたところ、本来の狙いは血ではなく青子さんを人質とすることだったようです」
「ほう。効果があるのは朱皇か丹思くらいだが、あの二人を脅して何を得ようと言うのだね?」
「無論、継承権の放棄、ですよ」
「――まさか、わたしが黒幕であったとでも言うつもりかね」
「わたし個人での結論は、千茜殿下が仕組まれたことだと誤解させる為の、誘導であると」
ここまで聞いて、嫌な予感がした。
丹思様をお助け下さいませ。そう言った章杏さんの声が脳裡に蘇る。
「今、縛罪府内では、ある方に疑いの目が向けられております」
「君はそれに同意しているのかね?」
「全てを恙無く実行するには、あの方程当てはまる方はおりませんが、信じたくはありません」
――ああ、やっぱり。
誰のことを指しているのか、予想出来てしまうことが悲しい。
でも、だからこそ打ち明けるならば今なのだろう。
「『丹思様をお助け下さい』そう章杏さんから言われました」
「!」
二人の視線が驚きを含んで私に向けられる。
「『表に出て来ない者こそ、お疑い下さい』とも。私にはそれが誰のことなのか分かりません。ですが、お調べになってはいただけませんでしょうか」
丹思様が囚われ人になってしまう前に。
そう祈る思いで答えを待っていたのだけれど。
「いくら青子さんの頼みでも、難しいかと」
「狐の言葉を鵜呑みにする訳にもいくまい」
「そんな……」
「時間がないのだよ。九大老の中にも死者が出てしまったのでね。こちらは病死か老衰に違いないのだろうが、丹思の屋敷が襲撃に遭ったり、そこに行方不明とされていた朱皇がいたことから、これまでの件が彼らに知られてしまったのだよ。そして、怪しき者は罰せよとなっている。さすがにわたしには手を出すまいが、丹思は庇えない」
どうして。丹思様だって皇子に変わりはないの筈なのに。
私に何が出来る?
この世界に来てから受けた恩返しをするなら、きっと今なのに。
自分の無力さを悲観し、私は両手の拳を強く握り締めた。
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