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第漆話
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しおりを挟む「青子さんだけのお耳に入れたい話があるのですが、二人で席を外させていただいても宜しいでしょうか」
唐突に蒼慈さんがそんなことを口にし、千茜様が面食らった様子を見せたが、すぐに好戦的といった印象を受ける笑みを浮かべると、常よりも更に声に深みを添えて。
「わたしを前にして可憐な花を摘み取ろうとするつもりかね? 悪戯に手折って穢すような真似をしないと、誓って貰わなければならないのだが?」
なんて、どうしてそう無駄に色気のある声で、おかしなことを言うのだろう。
私や蒼慈さんの反応を見て、楽しんでいるのだろうけど、その声だけは本当にやめていただきたい。
「穢すだなんて、とんでもありません。わたしも命は惜しいですから」
真面目にそう答える蒼慈さんに頷き、千茜様がドアの方へ手を差し出す。「どうぞ」と許しを得たことで、一礼した蒼慈さんを真似て頭を下げ、その後を追って行くと、向かった先は庭園で。
「……ふう」
花壇に囲まれた遊歩道を進み、噴水の傍まで来たところで、蒼慈さんが解放されたような深い息をついた。
「やはり、千茜殿下の御前は少々息が詰まりますね」
麗しい容貌に疲労を混ぜて微笑む蒼慈さんに、どう返していいものか分からず、曖昧に微笑みを返す。
庭園のあちこちにはベンチがあるのに、そこではなく噴水の傍まで来たのは、会話が聞かれることを避ける為だろう。獣の耳をもってしても、水の音がノイズとなって言葉を拾いにくくさせているだろうから。
巡回しているらしい親衛隊(この場合は警備員というのだろうか)の姿が見えたけれど、こちらに気付いていないのか、相手が蒼慈さんだからなのか、近付いて来る様子はない。
「しかし、青子さんの耳は本当に優れておりますね」
「えっ?」
何で急に耳の話? と思わず自分の耳に触れる。
「先程のは、同性であるわたしまでも危うかったところですが、あなたは全く動じなかった」
「――千茜様の声のことですか? 腰を抜かしたりしなかった自分を褒めたいくらいですよ。動じていなかった訳じゃありません」
そういったものに精神的な耐性がある訳でもないけど、耳が特別優れていたりする訳でもないと思う。
「成程。それでは、あなたは相当に鈍いのでしょうね。否、気を悪くなさらないで下さい。今のは褒め言葉ですから」
「……」
絶対違うと思います。
ムッとしたのが表情に出ていたのだろう。クスクス笑う蒼慈さんが片目を閉じながら、面白がる様子で私を見ている。
ウインクをされたようでドキリとしてしまったけれど、笑い過ぎて両目を閉じてしまいそうだったところを、ただ私の反応見たさに片方だけ堪えていただけ、といったところだろう。
黒でも白でも、こういったところは狼族の基本なのかもしれない。ああ、でも。
――と、向こうの世界でのことを思い出しかけて、振り払った。懐かしいと重ね合わせて、会いたくなってしまうのは困るから。
「あなたは不思議な方ですね」
気が済んだのか、笑いをおさめてから、こちらを慈しむように見下ろしながら言う。
「簡単に落とせてしまいそうなのに、全く籠絡される気配がない」
内容が表情に伴っていません。
「手折ってしまうつもりはありませんが、花は愛でるもの。触れて、香りを楽しむくらいならば、誓いを破ったことにはなりませんよね?」
蒼慈さんの手が私の頬を包む。
またそうやって揶揄おうとして。と、半ば呆れたような気持ちでいる筈なのに、頬が、そして耳が熱くなっていく。
「――ああ、やはり」
内緒話をするにしても近くに寄せられ過ぎた顔がスッと離れ、頬を包んでいた手も離れたかと思うと、指を頻りに曲げ伸ばしする。
「倒れてしまったあなたを、こちらへお運びする前に、丹思様が妖狐たちに何かさせていたようでしたので、何をされたのかと尋ねたところ『邪淫から青子様をお守りする呪いです』と答えられたので、どういったものか気になっておりましたが、これで理解しました」
「じゃいん?」
「簡単に説明しますと、青子さんに手を出そうとすると、その者の体に制裁が下されるということですよ。手が痺れたくらいで済みましたが、先程の千茜殿下のお言葉ではありませんが、本気であなたを穢そうとすれば、これくらいでは済まなかったでしょうね」
「……」
そこでふと、千茜様に言われたことを思い出した。
「二度とあのような真似はさせぬよ。わたし自身が君に何も出来ないのと同じように」
「過保護な護りを破ったとして、苦渋を味わって貰いたかったのだが、別の護りが働いてしまったことには驚かされたのだよ」
あれがこのことを指しているなら、千茜様も確かめるようなことをした、ということだろうか。私の知らない間に。
「青子さん、そんなに不快そうな表情をしないで下さい。さすがに傷つきます」
「え? あ、ごめんなさい。違うんです」
しょんぼりと耳を垂らす蒼慈さんに、慌てて両手を振る。
「確かめる為に、わざわざこんなことしないで欲しいです。私の方が傷つきます」
その気なんてないのに実験したがるなんて。興味本位でもされた方は困ってしまうのだから、守ろうとしてくれる気持ちは嬉しいけど、言い方に問題があると思う。じゃいん……(邪淫という字であってるかな?)というのじゃなくて「危害を加える」とか「危険な目に遭う」とかいうことなら、おかしな真似をされなくて済んだのに。
「青子さん」
「はい?」
「先程、その鈍さを褒めてしまいましたけれど、あまりにも酷いのは考えものですよ」
「……?」
なんだろう。蒼慈さんの目が、ちょっと怖い。
怒らせてしまったみたいなんだけど、急に、どうしてだろう?
こちらが怯んだのが分かったのだろう。蒼慈さんは視線を逸らし、切り替えるように息を吐くと。
「千茜殿下の手前、あのように言いましたが、丹思様のことはこちらにお任せ下さい。千茜殿下を陥れようとしながらも、丹思様をも罠にかける。そういった手で自身の罪を隠そうとしていることも、十分に考えられます。それに、自害したという狐が青子さんの元に現れたことも……」
「自殺じゃないです」
話の途中だったけれど、それだけは訂正したかった。
「犯人は見ていないそうですけど、火を……つけられたと……」
「――では、殺害されたその者の言葉を信じるのであれば、早急に真犯人を見つけて捕らえなければなりません。審問会が開かれる前までに間に合わせなければなりません」
「審問会?」
「ええ。丹思様は一応皇族です。その上、九大老のうちの一人が病死か老衰かといった亡くなられ方をしましたが、その方が千茜殿下を推す側であった為に、自分たちで丹思様を裁こうとされているのです。これには縛罪府として参加は出来ても、完全に中立の立場であらねばなりません。しかし、何らかの証拠が掴めれば提出することは可能です。勿論、真犯人を連行出来たならば、審問会自体を中止させることも出来ます」
「――」
「朱皇殿下も、そしてきっと千茜殿下も尽力して下さるでしょう。ですからあなたには、ご自分の身を守ることだけを考えていただきたいのです。もう狙われる必要がないとは言い切れませんし、あなたを失うことだけはしたくありませんから」
「……はい」
何も出来ない癖に、自分でなんとかしようと思わないことだ。そう念を押されたように思い、しっかりと頷く。
そして、私が本当に理解したのかを確認するように、厳しい表情で見ていたかと思うと。
「――!」
顔が間近に迫ってきたことに驚いているうちに、唇にぶつかって来たものがあった。
「たとえ毒が回るとしても、触れたいと思ってしまうものなのですよ。気を付けて下さいね」
咬みつくようなキスをしてきた人の台詞とは思えない言葉に、私は自分の唇に手をあてて立ち尽くすことしか出来なかった。
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