43 / 49
第捌話
5
しおりを挟む部屋に入るとすぐに朱皇皇子の姿が目に止まる。私と視線が合うと尻尾がパタパタと揺れて、精神的に落ち着いているようなことに安心した。つい笑みがこぼれてしまうと、皇子の方も微笑み返してくれる。
丹思様は逆に目を逸らし、また栞梠さんにも顔を合わせ辛く思っているのか、耳をペタリと伏せてしまっていた。
蒼慈さんは澄ました表情ながらも栞梠さんを気にしているようで、紅茶を口にしながらも目線は栞梠さんに定まったままだ。
そして千茜様は。と、様子を窺おうとしたところで、空気を読めない私のお腹がくぅと鳴る。
ううん。そんな控え目な音ではなかったから、たちまち顔が熱くなった。
「っ」
蒼慈さんが紅茶を吹き出しそうになり、朱皇皇子はクスクスと笑いながら手招きする。
「お前の腹はよく鳴くな」
「うう……」
招かれるままに近付くと、紅茶請けとして出されていたのだろう、たっぷりと生クリームが挟まったクッキーのようなものを食べるよう促され、わざわざ立ち上がって私を座らせてくれた。
紅茶が冷めていることを気にされたけれど、それについては全く問題ない。カップが皇子の使った後だということは意識してしまうけれど、それより、これから皇帝の元に向かうという時だったのに、出鼻を挫くような真似をしてしまったことが申し訳なさすぎて、顔が上げられない。
「食事をするように言った筈だが、忘れてしまったのかね?」
「わたくしが青子様と話し込んでしまった所為です。気が回らず、失礼しました」
「出掛けることになると告げていなかったこちらも悪い。ゆっくりで構わないよ、青子。先ずは食べなさい。そうして貰わねば困るからね」
「は、はい……」
頭を下げて、いただくことにする。気遣われるばかりで、何をやっているのだろうかと自分に向けて嘆息すると、皇子は何を思ったのか私の頭を労るように撫でてくれた。
「おや、随分と構うね、朱皇。青子は一応、わたしの側室になる女性なのだが?」
「! も、申し訳――」
「な、なりませんっ」
謝る皇子の声を遮る形で私が言うと、一斉に視線が集まってしまって、隠れてしまいたい心境になる。
「……とまあ、拒絶されている訳だが。誰の所為なのだろうね?」
「……」
なんだか千茜様が楽しそうに思えるのは、先程栞梠さんから、千茜様は朱皇皇子を溺愛していると聞いたからだろう。
千茜様は揶揄っているつもりなのだろうけれど、皇子にそれは伝わっているのだろうか。困惑したような眼差しを向けられてしまって、応えられずに私はもそもそとクッキーを口に運んだ。
あ……美味しい。
「口に合ったようで何よりだ」
言われて千茜様に目を向けると、妙に艶っぽい表情をしているものだから、ドキリとしてしまう。
声だけでなく表情一つで女性をその気にさせてしまうような方だから、本当に危険だ。その気はないつもりなのに、こんなにも胸が熱くなってしまう。
「……」
ふと丹思様を見ると、やっぱり元気がない。無理もないことだけれど、丹思様の柔らかな笑顔が見たいと思ってしまう。思い詰めたような表情をされると、どうしても悪い方に考えてしまうのだ。私の勝手な妄想だと頭では分かっているのだけれど。
「宜しければこちらもどうぞ。僕は手をつけておりませんので」
じっと見過ぎてしまっていたからか、丹思様が口を開いてくれたと思ったら、ご自分の分であるクッキーを差し出されてしまった。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、何故受け取ってしまったのだろうと思う。美味しいけど、喜んで食べてる場合ではないのに。
それでもつい食べてしまったのは、食べないと逆に皇子や千茜様に気を遣われてしまうからだった。
「お時間を取らせてしまって、すみません」
「否、和ませて貰えたのは、こちらとしてもありがたいことだったのだよ」
「……?」
「君が来る前に冷静さを戻せるだろうとは思っていたのだがね、理性を欠いてしまいそうなくらいに憤っていたものだからね」
「――兄上……」
千茜様の言葉に、朱皇皇子が胸を詰まらせたように溜め息をついた。
「申し訳、ありません……」
丹思様が声を震わせた。
震えているのは声だけじゃない。耳も尻尾も……睫毛までも。
「謝罪はもういいと言っているだろう。お前がそんなに弱々しいのは、こちらとしては見るに堪えない。いつものように突っ掛かって来る勢いでないと、参ってしまうのだよ」
「しかし、もしもまた自分が自分でなくなってしまったとしたら……」
「その時は朱皇が止めるだろう。それに、青子もいる」
「……わ、たし、ですか……?」
この流れで名を呼ばれるとは思わなくて、他人事のような返し方をしてしまったけれど、勿論ここへ来たからには、出来ることがあるならばやらせて貰うつもりだ。
「朱皇と青子の二人が、丹思にとって特別なのだろうからね。先程も、朱皇だけでは反応が鈍かったが、青子の姿を目にして正気に戻った。或いは青子が特別ということかね?」
「このような時に、揶揄わないで下さい」
「揶揄っている訳ではないのだよ。丹思には正気でいて貰わなければ困る。あの者に操られる姿を見るのは不快だ」
「……」
「まあ、最悪、栞梠の手を借りれば良いのだろうが、あまり好ましい手ではないだろう?」
丹思様と栞梠さんの視線が絡み、解ける。
栞梠さんの読み取り難い筈の表情が、悲しげに歪んで見えた。
丹思様を主として慕いつつも、幼い頃から見守っていたのであれば子を思うものに似た感情もあるだろう。そんな人が暴走する様を目にするのは、どれだけ辛いことだろう。
丹思様だって、自己嫌悪に苛まれることになるのだ。今、こうして身を縮ませて震えているように。
思わず抱き締めそうになって、堪えた。私なんかの同情じゃ気休めにもならないだろう。
「行けそうかい? 丹思」
「――はい」
どうやら私の空腹だけのことではなく、丹思様が落ち着かれるのを待っていたようだ。
ようやく震えがおさまると、千茜様の呼び掛けに頷き、朱皇皇子が差し出した手を握って立ち上がった。
0
あなたにおすすめの小説
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
修学旅行に行くはずが異世界に着いた。〜三種のお買い物スキルで仲間と共に〜
長船凪
ファンタジー
修学旅行へ行く為に荷物を持って、バスの来る学校のグラウンドへ向かう途中、三人の高校生はコンビニに寄った。
コンビニから出た先は、見知らぬ場所、森の中だった。
ここから生き残る為、サバイバルと旅が始まる。
実際の所、そこは異世界だった。
勇者召喚の余波を受けて、異世界へ転移してしまった彼等は、お買い物スキルを得た。
奏が食品。コウタが金物。紗耶香が化粧品。という、三人種類の違うショップスキルを得た。
特殊なお買い物スキルを使い商品を仕入れ、料理を作り、現地の人達と交流し、商人や狩りなどをしながら、少しずつ、異世界に順応しつつ生きていく、三人の物語。
実は時間差クラス転移で、他のクラスメイトも勇者召喚により、異世界に転移していた。
主人公 高校2年 高遠 奏 呼び名 カナデっち。奏。
クラスメイトのギャル 水木 紗耶香 呼び名 サヤ。 紗耶香ちゃん。水木さん。
主人公の幼馴染 片桐 浩太 呼び名 コウタ コータ君
(なろうでも別名義で公開)
タイトル微妙に変更しました。
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件
表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。
病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。
この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。
しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。
ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。
強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。
これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。
甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。
本編完結しました。
続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる