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第捌話
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しおりを挟む部屋に入るとすぐに朱皇皇子の姿が目に止まる。私と視線が合うと尻尾がパタパタと揺れて、精神的に落ち着いているようなことに安心した。つい笑みがこぼれてしまうと、皇子の方も微笑み返してくれる。
丹思様は逆に目を逸らし、また栞梠さんにも顔を合わせ辛く思っているのか、耳をペタリと伏せてしまっていた。
蒼慈さんは澄ました表情ながらも栞梠さんを気にしているようで、紅茶を口にしながらも目線は栞梠さんに定まったままだ。
そして千茜様は。と、様子を窺おうとしたところで、空気を読めない私のお腹がくぅと鳴る。
ううん。そんな控え目な音ではなかったから、たちまち顔が熱くなった。
「っ」
蒼慈さんが紅茶を吹き出しそうになり、朱皇皇子はクスクスと笑いながら手招きする。
「お前の腹はよく鳴くな」
「うう……」
招かれるままに近付くと、紅茶請けとして出されていたのだろう、たっぷりと生クリームが挟まったクッキーのようなものを食べるよう促され、わざわざ立ち上がって私を座らせてくれた。
紅茶が冷めていることを気にされたけれど、それについては全く問題ない。カップが皇子の使った後だということは意識してしまうけれど、それより、これから皇帝の元に向かうという時だったのに、出鼻を挫くような真似をしてしまったことが申し訳なさすぎて、顔が上げられない。
「食事をするように言った筈だが、忘れてしまったのかね?」
「わたくしが青子様と話し込んでしまった所為です。気が回らず、失礼しました」
「出掛けることになると告げていなかったこちらも悪い。ゆっくりで構わないよ、青子。先ずは食べなさい。そうして貰わねば困るからね」
「は、はい……」
頭を下げて、いただくことにする。気遣われるばかりで、何をやっているのだろうかと自分に向けて嘆息すると、皇子は何を思ったのか私の頭を労るように撫でてくれた。
「おや、随分と構うね、朱皇。青子は一応、わたしの側室になる女性なのだが?」
「! も、申し訳――」
「な、なりませんっ」
謝る皇子の声を遮る形で私が言うと、一斉に視線が集まってしまって、隠れてしまいたい心境になる。
「……とまあ、拒絶されている訳だが。誰の所為なのだろうね?」
「……」
なんだか千茜様が楽しそうに思えるのは、先程栞梠さんから、千茜様は朱皇皇子を溺愛していると聞いたからだろう。
千茜様は揶揄っているつもりなのだろうけれど、皇子にそれは伝わっているのだろうか。困惑したような眼差しを向けられてしまって、応えられずに私はもそもそとクッキーを口に運んだ。
あ……美味しい。
「口に合ったようで何よりだ」
言われて千茜様に目を向けると、妙に艶っぽい表情をしているものだから、ドキリとしてしまう。
声だけでなく表情一つで女性をその気にさせてしまうような方だから、本当に危険だ。その気はないつもりなのに、こんなにも胸が熱くなってしまう。
「……」
ふと丹思様を見ると、やっぱり元気がない。無理もないことだけれど、丹思様の柔らかな笑顔が見たいと思ってしまう。思い詰めたような表情をされると、どうしても悪い方に考えてしまうのだ。私の勝手な妄想だと頭では分かっているのだけれど。
「宜しければこちらもどうぞ。僕は手をつけておりませんので」
じっと見過ぎてしまっていたからか、丹思様が口を開いてくれたと思ったら、ご自分の分であるクッキーを差し出されてしまった。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、何故受け取ってしまったのだろうと思う。美味しいけど、喜んで食べてる場合ではないのに。
それでもつい食べてしまったのは、食べないと逆に皇子や千茜様に気を遣われてしまうからだった。
「お時間を取らせてしまって、すみません」
「否、和ませて貰えたのは、こちらとしてもありがたいことだったのだよ」
「……?」
「君が来る前に冷静さを戻せるだろうとは思っていたのだがね、理性を欠いてしまいそうなくらいに憤っていたものだからね」
「――兄上……」
千茜様の言葉に、朱皇皇子が胸を詰まらせたように溜め息をついた。
「申し訳、ありません……」
丹思様が声を震わせた。
震えているのは声だけじゃない。耳も尻尾も……睫毛までも。
「謝罪はもういいと言っているだろう。お前がそんなに弱々しいのは、こちらとしては見るに堪えない。いつものように突っ掛かって来る勢いでないと、参ってしまうのだよ」
「しかし、もしもまた自分が自分でなくなってしまったとしたら……」
「その時は朱皇が止めるだろう。それに、青子もいる」
「……わ、たし、ですか……?」
この流れで名を呼ばれるとは思わなくて、他人事のような返し方をしてしまったけれど、勿論ここへ来たからには、出来ることがあるならばやらせて貰うつもりだ。
「朱皇と青子の二人が、丹思にとって特別なのだろうからね。先程も、朱皇だけでは反応が鈍かったが、青子の姿を目にして正気に戻った。或いは青子が特別ということかね?」
「このような時に、揶揄わないで下さい」
「揶揄っている訳ではないのだよ。丹思には正気でいて貰わなければ困る。あの者に操られる姿を見るのは不快だ」
「……」
「まあ、最悪、栞梠の手を借りれば良いのだろうが、あまり好ましい手ではないだろう?」
丹思様と栞梠さんの視線が絡み、解ける。
栞梠さんの読み取り難い筈の表情が、悲しげに歪んで見えた。
丹思様を主として慕いつつも、幼い頃から見守っていたのであれば子を思うものに似た感情もあるだろう。そんな人が暴走する様を目にするのは、どれだけ辛いことだろう。
丹思様だって、自己嫌悪に苛まれることになるのだ。今、こうして身を縮ませて震えているように。
思わず抱き締めそうになって、堪えた。私なんかの同情じゃ気休めにもならないだろう。
「行けそうかい? 丹思」
「――はい」
どうやら私の空腹だけのことではなく、丹思様が落ち着かれるのを待っていたようだ。
ようやく震えがおさまると、千茜様の呼び掛けに頷き、朱皇皇子が差し出した手を握って立ち上がった。
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