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第玖話
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しおりを挟むこちらの世界に戻ってから、朱皇皇子はまだ一度も皇帝に会っていない。それは皇子が拝謁を求めたことに対して、栞梠さんや千茜様が「なかったこと」にしていたからなのだけれど、事情を知らないでいたら酷いことにしか思えなかっただろう。
でも、それは皇帝から皇子を守る為だった。同時に丹思様の精神を崩壊させ、皇帝の完全な傀儡になることへの阻止に繋がることだったのだ。
表面では朱皇皇子を次の皇帝にと望む姿勢を取りながら、裏面ではその皇子を抹殺して丹思様を皇帝として、妖狐族を従えさせる能力を行使させる操り人形にする計画であったそうなのだから、酷い人だと思う。
黒狼族の特別な紅玉の瞳には、相手を支配する能力があるらしいのだけれど、それと妖狐族の能力を使って、今の種族間の均衡を崩そうとしているのではないか、というのが、私のいない間に皆さんの中で出された答えの一つだった。
千茜様がどう出るかを考えなかったのか、という疑問が出された時(多分蒼慈さん辺りだろう)その為に朋澪さんが使われていたと考えられるといった返答があったという。
異物である私の存在が、或いは皇帝の計画に少しずつ狂いを生じさせたのではないか、といったことを言われてしまうと、そこは頷けない程、何の役に立てていない気がするのだけれど、もしも本当にそうならば、いて良かったと思えて嬉しい。
「玖涅、ちゃんといましたか。偉いですよ」
千茜様のお屋敷から外に出てみると、丹思様のお屋敷からそう離れていないことに少なからず驚いた。これならば皇子が忍び込もうとして訪れることに無理のない距離だと思う。
その丹思様のお屋敷(跡と付けるべきだろうか)近くで、玖涅くんの姿があった。
珍しいくらいに玖涅くんを褒める蒼慈さん。けれど玖涅くんは涙目で蒼慈さんを睨んでいる。……ううん。睨むという感じの鋭さや迫力みたいなものはないから、不満ではあるけれど縋ろうとしている感じだろうか。
千茜様の親衛隊が先導する皇子たちが通り過ぎる際には、ササッと蒼慈さんの陰に隠れていたから、これから向かう先を知っているなら、逃げなかっただけ「頑張ったね」と私からも褒めてあげたい。
――あ、でも知ってる筈はないのだ。だって蒼慈さんはずっとあの部屋にいて、玖涅くんがお屋敷から出て行った時には、こんな流れになる予定はなかったと思うし。
「狐に頼んだのですよ」
私の考えを読んだかのように、蒼慈さんが答える。
「何匹か潜り込ませているようでしたからね」
「用意周到なだけでございます。念には念を。過ぎたるは猶及ばざるが如しと申しますが、足りないと後悔する手の打ち方では、全てを失ってしまう可能性がありましたから」
多分、蒼慈さんが栞梠さんを気にして見ているようだと勘違いしていたその時に、二人の間で何らかのやり取りが行われていたということなのだろう。
狼族の人たちは、妖狐族のことを「狐」なんて呼び方をしながらも、結構頼りにしているみたいだ。
「うっそ。今日、何かあったか?」
お屋敷から城の内部に入るまでには、城内の敷地にある諸々の場所を通るのだけれど、練兵場近くはちょっとした騒ぎになってしまった。
無理もない。三人の皇子と縛罪府将軍が一緒にいるのだ。ぞろぞろとお供を連れて。
慌てて片方の膝をついて頭を下げる訓練兵の人たちは、後をついて歩く私たちに対しては、興味津々といった目を遠慮なく向けてきていた。
「ガルルルッ」
「!」
そんな訓練兵の人たちを威嚇する玖涅くん。さすがに迫力がさっきとはまるで違う。ちょっと八つ当たりが含まれているのかもしれない。
「その意気ですよ、玖涅」
窘めるかと思ったけれど、蒼慈さんがまた玖涅くんを褒めた。
嬉しそうに耳をピンと立てた玖涅くんは、しかし疑り深い眼差しを上司に向ける。
「何やらせるつもりなんすか」
訊ねる口調は拗ねているもので、蒼慈さんはぎゅむっと玖涅くんの耳を握った。
「いだだだだっ! 何するんすか、急にっ」
「褒めても素直に受け入れられないようですから、こちらの方だと喜ぶ体質になったのかと」
「なってねーっす! なったとしたらそーじさんの責任すよ!」
「おや。その兆候でも?」
「ないから放して欲しいっす~。もう本当に泣くっすよ~?」
玖涅くんの声が弱々しくなったところで、耳から手が放され、玖涅くんはえぐえぐと半分本気で泣きながら耳を擦った。
「騒がしいぞ」
「ふぇうっ」
「申し訳ありません。はしゃぎ過ぎました」
朱皇皇子からの注意に、玖涅くんはまた蒼慈さんの背中に隠れ、蒼慈さんは不謹慎に見える程に無邪気そうな微笑みを浮かべる。
皇子は溜め息をつくと、私に視線を向けて口を開いた。
けれど、何かを言いかけてやめてしまう。
近くまで行こうかと迷ったけれど、丹思様から目を離して欲しくなかったこともあって、遠慮しておいた。
丹思様の手を握ったままの皇子の様子が微笑ましいから、邪魔をしないで見ていたい、などと思っていたからではない。断じて。
「玖涅には青子さんの護衛を頼みますよ」
「黒塗りの奴らがまた現れたりするんすか?」
「それは分かりません。ですが、玖涅ならば或いは皇帝の紅い目の力までも、抵抗が可能かもしれませんからね。そういった期待をしているのですよ」
「!」
期待という言葉に、今度は素直に反応したようだった。けれど、皇子たちが怖いのだから、皇帝はもっと怖いのだろう。一瞬だけ大きく振られた尻尾もすぐに内側に巻かれてしまった。
「青子は、俺のこと必要?」
「えっ?」
蒼慈さんの背中に張り付いた状態で、こちらに顔だけ向けて玖涅くんが訊ねてくる。
「別に俺なんかいらないよね?」
これは、どっちが正解なのだろう。
必要と答えて守って貰うことを頼りとするか、玖涅くんが本当に嫌なら無理強いさせない為に、必要ないと答えてしまうか。
「……」
「……」
「……」
「?」
「……必要、です」
蒼慈さんにくっついている玖涅くんが可愛くて堪らなかったので、きゅんとした勢いで答えてしまったことを、少しだけ反省しています。
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