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美扇国――十束 2――
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しおりを挟む港の近くまでに差し掛かると、ようやく眼前に海が見えるようになる。
赤兎大草原の見張らしは素晴らしいものだが、広大な海を望むにはこの辺りまで近付く必要がある。海と草原とが接岸するのは、かなり高所の断崖絶壁であるからだ。
途中、天幕ドームに立ち寄ることなく、夜を前にしてここまで辿り着けたのは、やはり馬に掛かる負荷をあらかじめ削っておいたからに他ならない。
しかしここへ来て、雲行きが怪しくなってきた。
「雨が降りそう」
灰色と黒色の雲を纏い始めた空を仰ぎ、アメリアが心配そうに呟く。
「何者かが、あの雲を引き連れて来たのですわ」
荷台から馭者台へ身を乗り出しながら、フィリーネがアメリアの呟きを引き取る。
「引き連れて?」
「ええ。上空におかしな気配を感じますもの」
「それだけじゃないねー」
ムスタファがクラウスの翼に手を掛けながら、同じように身を乗り出して言う。
肩に伸ばした手が翼に邪魔されてそうなってしまったのだろう。クラウスは眉間に皺を刻んだが、それが分かったからか何も言わなかった。
「何かがこっちに来るよ。真っ直ぐ迫ってくる。魔力の匂いがぷんぷんだ」
「どういったお客様ですかねえ」
馬車を停止させ、クラウスがふわりと馭者台から馬を飛び越えた先に降り立つ。
ラザファムとムスタファもそれに続きながら、フィリーネとロミーにアメリアと待つように言い置いた。
「言われなくても承知しておりますわ」
苛立ったように応えるフィリーネだが、アメリアは何が来るのだろうかと馬の鼻面を撫でながら見守る位置に立っている。
いつの間に? と目を剥きながら、フィリーネも傍へ駆け寄り、ロミーは馬の背に跨がった。
正面から強い風が吹いてくる。
水に滴らせた墨のように雨雲が広がり、唐突に激しい雨が降り始めた。
「アメリア様、早く中へ!」
「う、うん……」
頷きながらも、馬に装着させる雨具を引っ張り出し、もたもたと被せていく。
ロミーとフィリーネは手伝おうとしたが、勝手が分からずアメリアを急かすばかりだ。
その頃、クラウスたちの前に、それは姿を見せ始めていた。
草花に容赦なく叩きつける雨で烟る視界の中、巨大な人形が泥土によって形成されていく。
「あ、これ厄介なヤツだ」
ラザファムが言いながらも突進して、人形が完成する前に拳の一撃を食らわせる。
ゾムッ!
腕がめり込み、人形の胸部に大穴を穿つ。
だがそれも、腕を抜くとみるみるうちに泥土が穴を塞いでしまう。
ムスタファと共に連続で攻撃を続けるが、足を削いでも頭部を蹴り落としても、時間が経てば修復される。
この泥人形に対して有効なのは火だが、ちょっとやそっとのものでは足りない。全体の水分をカラカラに蒸発させる程の火力が必要だが、しかしこの雨の中では、瞬時に焼き尽くし、辺りを焦土に変えてしまわない限りは、どうあっても難しいように思われる。
おかしなことに、泥人形は数を三体に増やし、見上げる程に巨大なものとなっても、全く攻撃して来ようとはしなかった。
雨の力が強い為に、人の形となったところで溶けるように身を崩し、形状を保てずにいるからかもしれない。
「――ああ、どなたかと思えば」
ラザファムやムスタファは、ぐっしょりと全身を濡らし、また人形に攻撃していた所為で泥まみれにもなっていたが、クラウスの周囲だけは何の影響もなかった。
泥人形を暫く眺め、思い当たる人物が浮かんだところで、彼は徐に上空を指差し、射抜くような仕草をする。
――――ズガンッ!
雨雲を円状に散らして飛来した閃光。
目を眩ませ、耳に衝撃を与え、地を跳ねさせたそれは、一撃目は三体の泥人形を呑み込む程に甚大で。二撃目からは、雨に代わって降り注ぐ光の矢となり、草原一体に突き刺さっては消えていく。
やがて光が消えた頃には、雨雲は一筋すらなく、泥人形は乾いた土の塊に変わり、雨水の量に水捌けが追い付かなくなっていた草原一帯も、雨が降る前の状態に戻っていた。
「相変わらず、力の調節が出来ていないようですね、アーダルベルト」
ずぶ濡れだった全身が、沐浴でもしたかのように、さっぱりと気持ち良くなっていることを知り、双子がはしゃぎながらお互いの尻尾を撫でていると、クラウスの呼び掛けに応える者の足音が聞こえ、耳を傾けて振り向く。
「えっ……四翼!?」
ラザファムとムスタファとが同時に戸惑いの声をあげたのは、相手の持つ翼の数などではない。
天遣族であるその者が、同じく天遣族であり六翼であるクラウスを襲撃するような真似をしたことだ。
クラウスの言うように、雨の量が多すぎたことで泥人形が自身の形を作り出し、保とうとすることで精一杯であった為、攻撃を仕掛けるまでには至らなかったが。
「気安く名で呼ぶなよ、クラウス=ルーツ。僕はアーダルベルト=エイセル。力の調節などどうでもいいのさ。お前からその翼を奪えるならな」
「……あらら。もしかして仲悪い?」
「だからって、善良なオレたちを巻き込まないで欲しいなー。メリーちゃんもいるんだからさ」
「――」
文句を言う双子を、アーダルベルトが睨み付ける。
一瞬、尻尾を膨らませて毛を逆立てた二人だが、負けじと睨み返した。
それを受けて不快そうに鼻を鳴らしたアーダルベルトの視線が、距離を置いた先にいるアメリアたちを捉える。
「!」
途端、絶望したかのように、衝撃を受け、呆然となったようだった。
「……愚かな……ことを……」
嘲るでもなく、哀れみを含ませてアーダルベルトが吐息混じりに漏らす。
「魔族を従えるまでに堕ちたか、クラウス=ルーツ!」
激昂は、裏切られた者のそれのように、憎しみの籠った声でクラウスの名を吐き出させる。
「魔族を従えたくらいで、堕ちるとは言いませんよ。だいたい、あなたはわたしの翼を奪いたいのでしょう? 翼のない天遣族がどうなるか、ご存知でない訳ではありませんよね。ああ、あなたの手で堕としたかった、などと仰有るのはやめて下さいね。気持ち悪いですから」
「くっ……」
言葉を詰まらせるアーダルベルトに、ラザファムとムスタファが何とも言えない表情になった。
「まさかの図星」
「うわー。さすが六翼。あっちのお兄さんも美人だけど、うちの大将は格が違うから、変なのにモテちゃうんだなー」
「そこの双子は、黙っていて下さい」
「はーい」
挙手をして間の抜けた返事をする大神族に、クラウスは呆れたようでありながら親しげな眼差しを向ける。
それがアーダルベルトの逆鱗に触れたようだった。
「お前から全て奪ってやる。翼だけじゃ済まさねえ。お前が大事にするもの、全部だっ」
叫ぶなり、バサリと四翼が最大限まで開かれ、次の瞬時には真っ白であった翼が緋色に染まる。
「煉獄の焔よ、狂おしく乱れよ!!」
刹那、緋色の翼から噴出した焔の渦が、徐々に巨大化しながら双子へ、そしてアメリアたちの方へと襲い掛かった。
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