黒白の護り手~黒に染まりし運命の娘~

織月せつな

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香琴国――叢雲 2――

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「ちょっと……ちょっと待ってよ……」

 得体の知れないものを追って駆け出してから暫くして、藤玉蘭の散在する中央辺りで、クルトが音をあげた。

「あっ」
「クルトくんっ」

 そして、とうとう転んで動けなくなってしまい、戻ってきたラザファムが素早くクルトを背負う。
 得体の知れないものがこちらの動きに気付いた様子もないのは、先にあるものに意識が完全に向いているからだろう。

「メリーちゃん」
「走れます。それより、先に行って様子を見てきて貰えるかな?」
「了解っ」

 息を切らせながらアメリアがどうにか言葉を紡ぐと、ムスタファは更に速度を上げて、みるみるうちにその姿が遠くなっていく。
 クルトは体力の問題よりも藤玉蘭の芳香で気分を悪くさせているのだった。背負われた状態で鼻をおさえて口呼吸しているが、それでも効果はあまりないようだ。吸い込んだ量が多い所為だろう。

「神子」

 段々と距離が離されてしまうアメリアをラザファムが振り返る。
 獣人と人族、そして男女の違いとして仕方のないことだったが、足を引っ張っているようで悔しい。

 ズズンッ

「!」

 足元から突き上げられるような震動を感じた。

 ドゴンッ――ガガガガガッ……

 何かを破砕するような音と、ギザギザしたものを擦り合わせるような音。

 グオォォ……ォォン……ッ……

 続いて耳をつんざく巨大な獣を思わせるものの咆哮。

「神子。無事か?」

 揺れによって身を伏せたアメリアに駆け寄ったラザファムに、コクコクと頷いて見せながら立ち上がる。

「今のは精霊とやらの声かな」
「ええ、多分」
「地下から飛び出して来た感じだったね」
「……」

 妙に落ち着いている。とアメリアはラザファムを見上げた。そのわりに耳がペタリと伏せられた上に震えている。
 しかし、表情も口調も、普段のものと何も変わらないのだ。

「あ、そうだ。先に行ったムスタファは大丈夫かなあ」
「……あの」
「俺たちは慌てずに行こうか。手、繋ぐ?」
「ラザファムさん」
「何かな?」
「大丈夫?」
「うん?」

 心配するアメリアに、ラザファムが首を傾げる。
 ドドンッとまた地が揺れ、ふらついたアメリアを支えたラザファムの手が、いつの間にか人のものから獣のものに変わっていた。何気なく尻尾を見れば、完全に下に巻いてしまっている上に、やはりこちらも震えていた。
 あれだけ藤玉蘭の芳香を嫌がっていたのに、今はその様子はなく、意識を手放してしまったらしいクルトを背負い直しながら、「行こうか」と散歩の続きでもするように言った。――と。

「うぎゃあああっ!」

 ドスッという鈍い音と共に、ムスタファの悲鳴がこちらまで届いた。
 声は上空まで流れ、高く吹き飛ばされたように空へ投げ捨てられたムスタファの姿が見えたかと思うと、ガクンと何かに強く引っ張られて戻っていく。
 フィリーネの糸だ。やはりフィリーネはここにいる。
 そう思ったアメリアだが、逸る気持ちを抑えて双子の片割れが飛んで行きそうになっていたのを、同じように見上げていた筈のラザファムに目を向ける。

「打ち上げ花火みたいだったねえ。あはは」

 彼は、明らかに普段と違っていた。落ち着いていると思えたのは錯覚で、藤玉蘭の効果からか色々麻痺してしまったようだ。
 このまま連れて行っても良いものかと悩むアメリア。すると。

「アメリアさん、どうなさいましたか?」
「っ、クラウスさん?」

 不意に声を掛けられ、肩を跳ねさせながら振り向く。
 フィリーネがいるのであれば、ロミーも、そしてクラウスも勿論いるだろうことは承知していたが、ドガンズガンッと暴れるモノの存在から離れた場所で会うとは思っていなかった。
 アメリアの気配を感じて飛んで来てくれたとも考えられるが、彼の後方に控える弱りきった痩躯の老人(アメリアにはそう見えていた)と一緒だとするなら、それは違うと打ち消される。

「あの、ラザファムさんの様子がおかしいんです」

 フィリーネたちの様子が気になったが、クラウスが傍観していたくらいならば問題はないのかもしれないと考え、目下の問題から解決して貰うべく、にこにこしているラザファムを示した。

「これは、いけない」

 痩躯の老人――ディルク=カーフェンが、その骨ばった手を伸ばし、ラザファムの腕を掴む。

「だぁれ?」

 寝惚けているような声音を耳にして、クラウスは彼に背負われているクルトを預かることにする。そしてアメリアに少し離れるよう促すと。

「喝!」

 ディルクの叫びと共に、彼を中心として大気が破裂したような衝撃が起こり、周囲の藤玉蘭の幹がミシミシと音を立てて亀裂を走らせた。



 ラザファムが衝撃派によって正気を取り戻すより前。更に言うならば、アメリアがラザファムの様子の変化に気付くより前――ムスタファがアメリアたちから先行して藤御殿に着いたのと同時に、屋敷の床下から現れたモノによって、建物が崩壊していく様を目撃し、彼は言葉を失った。
 双子でありながらも、藤玉蘭の芳香による作用に差があったようで、こちらは酩酊めいていしたような状態には陥らず、ただ嗅覚が麻痺して不安定な気分になったくらいであった。

「……うげぇ」

 ようやく漏れた声は嫌悪を表しており、それでいて「それ」を見上げる目はひどく悲しげであった。
 地下から這い出て来た巨大な大蛇の形をした黒いもの。そのところどころから覗いているのは獣の体毛。
 色を変え、種を変えて、継接つぎはぎされたそれは、こうして地上に現れたことで、かつて何であったかを知ることが出来る。

「あれが……行方不明になった獣人なのか……?」

 どのように組み合わされたのかは分からないが、媒介となっているのは精霊であろう。大蛇の姿ならば滝の裏側にある洞窟か深い滝壺の底でおとなしくしているものである筈。そのおとなしさが災いして、獣人と共に犠牲となってしまったものと考えられた。

「あら、片割れだけですの? アメリア様はどちらにいらっしゃいまして?」

 屋敷を破壊させ続ける大蛇を呆然と眺めていたところで、そんなムスタファを狙った魔物の首を糸で巻き付けて落としながら、フィリーネが世間話でもするように声を掛けて来た。

「うーわ。お姉さん凄惨せいさん

 絶命後に風化する魔物を相手にしているといえど、返り血というものが服などに付着すると、少々面倒なことになる。骸が消えてしまう代わりに、その血液や体液が己を害した者として、仲間を呼び寄せる臭いを放ったり、毒のような作用をもたらすのである。
 赤黒い血を全身に浴びたフィリーネは、大蛇に対する嫌悪を忘れそうになるくらい、酷い有り様で、正直なところ恐ろしい。

「一緒でないのならば良かったですわ。こんな姿でアメリア様にお会いしたくありませんもの。……ああ、全く忌々しいですわね」

 大蛇が暴れる度に大地が揺れる。
 ただ暴れているのではなく、どうやらロミーが目の前をチョロチョロするのが気に入らないようで、食いついてやろうとする度に、建物に頭を突っ込む形となっているようだ。

「ところで、えーっと、聞きたいこといっぱいあるんだけど、取敢えず何でこんなに魔物がいるの? あんなに魔物避けの木が生えてんのに!」

 と屋敷の手前にある数本の藤玉蘭の木を見る。
 その花だけが藤色ではなく黒い花を咲かせていた。そして木の根元から魔物が続々と現れて来るのだ。

「あれを伐ってしまえばよい、という訳ではないようです。既に他のを試しておりますけれど、全てを伐ったとしても、ああして別の場所の花が黒くなって、魔物を生み出すようになりますの」

 ムスタファの視線から察してか、先回りして答えるフィリーネ。そうする間にも二人は迫り来る魔物を滅していく。
 ――と。

「うぎゃあああっ!」

 大蛇の尾の先が、魔物ばかりでなくムスタファを薙ぎ倒し、起き上がったところで今度は跳ね上げたそれに背中が命中し、上空に投げ出される。
 しかし、フィリーネの糸がムスタファの腰に巻き付き、引き戻されはしたが、その勢いのまま大蛇が大口を開けたその中に危うく入りそうになった。

「姉さん、方向、考えて!」
「助かったのですから、ありがたく思いなさい」

 喚くムスタファに素っ気なく返したフィリーネは、大蛇の尾の傍に向かうロミーに気付き、溜め息を吐く。

「何をしてらっしゃいますの」
「ロミーも、ピューンッてしたい」
「楽しいものじゃありませんわよっ」

 ムスタファの飛びっぷりが良かったのか、大蛇の尻尾の攻撃を受けようとするロミーに呆れ、ここまで連れて来た(フィリーネはついてきたのだが)ロミーの主を苦々しく思う。
 この惨状を前にしていなくても、気づかないでいる筈がない。なのに手を出して来ないのは、一体どういうつもりなのか、と。

「……あれは……?」

 続いてムスタファを追い始めた大蛇が這い倒して行った場所から、平たい木の箱が滑り落ちてきた。
 妙に気が引かれて、魔物の相手を縦横無尽に張った糸に任せながら、両腕でやっと抱えられる程の大きさの箱を拾い上げる。

「あっ……」

 途端、ビリッと雷撃に撃たれたような衝撃が全身を突き抜け、箱を落としそうになる。しかしどうにか堪え、警戒しながら蓋を開けると。

「まあ……!」

 純白の綿が敷き詰められたその中に、鳥のものにしてはやや大きく、艶やかでありながら常闇を封じ込めたように黒い翼がおさめられていた。
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